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ジャーナリズムの二極化を憂う

毎年、ゴールデンウィークの3日は飲み会と決まっていた。大学ラグビー部の総会がこの日と決められていたからだ。若い頃は現役相手の試合にも出たのだがウン十年前、試合後の飲み会を欠席するほど体力が落ちたのを境に、選手参加は止めるに至った。なんせ、終わってすぐ足が固まり、マッサージ院へ直行してしまったのだ。

部は大学の前身、1923年の高商創立時から存在し、会には90を越えたOBから大学新入生までが集まる。そうはいっても、大体は一緒にプレーした連中と飲む事になるのだが、1988年、仲の良かった後輩の一人が総会から姿を消し、それから一緒に飲む事が無くなった。居なくなった訳ではない。87年に起きた事件、彼の勤務先の支局が襲われ、犠牲者の追悼行事のために総会に来れなくなったのだ。

ぼーずの故郷、西宮でなされた暴挙が2002年時効になったのは残念極まりない。やった奴らにも腹が立つのだが、いい加減な憶測記事が何度も出た。そして極めつけは犯人の手記を載せたという週刊新潮だった。金を払ったという米国大使館の男性から虚偽の記載で訴えられ、金を払って和解というそれでもジャーナリストかという対応を取ったという。

朝日の検証記事を読んだが、犯人だけが知っている事実の公表は無く、かつ証言には事実と異なる点があるという極めてまっとうな問いかけであった。普通ならそれに対して新潮側から説明、もしくは反論があるはずなのに『記事を読んで判断しろ』という。ひたすら頭を低くして逃げているようだ。ヘタなボクサーはこれをやってKOを食らう。新潮もTKOで負けた。

ここの所、相撲八百長疑惑を初め、週刊誌が負け続けている。女性週刊誌のようにタレントのAとBが別れたってな記事ならどうという事は無いのだが、ちょっとひど過ぎないか。昔、東スポ(東京スポーツ新聞)が訴えられた時『ウチの記事をまともに信じる奴はいない』という自虐的な反論をし、裁判長にたしなめられたなんてマヌケな話もある。ジャーナリスの記事と素人の噂話の線引きがいい加減になってきているのかもしれない。

違いは簡単だ。噂を検証し、裏付けの取れたものだけを流せばいい。まぁ小さい会社には難しいかも知れないが、噂だけで記事にするような愚挙は慎むべきだ。それはやがて自分に返ってくると考えるべきだろう。週刊誌の記者でも真実を告げるという気概を持ってもらいたい。嘘を承知で流す奴らをジャーナリストと呼ぶべきでは無い。
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