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恩師の七回忌(その1)

関西に帰ってきて不便なのが東京での法事。そう簡単に出て行く訳にはいかないが・・・故人を思うと複雑な心境だ。2009年の2月7日に帰天された英語・バスケ・キャンプの恩師、Robert Flynn師を偲ぶ会は毎年四谷のイグナチオ教会で行われていたが、今年は七回忌。さてどうしよう。

そう思っていたらバスケのチームメイトが関西でもやろうと言い出した。本人曰く『言うだけ番長』だが、言い出しっぺが必要なのだ・・・こーゆー場合(笑)。師が帰天された時は友人と二人、老神父用施設に出向き見送らせてもらった。その後に残ったのはダンボール2箱の私物。最後に清貧という意味を僕等に教え、旅立たれた。(その時の話はここ)。世間では師の教科書、プログレスが圧倒的に有名だが、我々にとって師の背中はもっと偉大だった。

その私物の何点かを母校敷地内、修道院の1室を借りて展示していた。取り敢えず墓掃除代わりにここを清掃し、その後にミサを立てようと言う話になった。学生時代は10分チョイで駆け上がれた母校だが、ワシャもう一生分走ったもんね。タクシーでズル?を決め込む(学生時代、無届でこれをやると下まで歩かされた上に、もう一回登って来いとwww)



建てられたばかりの新校舎だが、なんか大時計がおかしい。デザイン的になんとなく浮いている上、色も周りと違って・・・え、これって僕が通ってた頃、旧校舎に付いていた時計じゃないのかな?それだけでなく、校舎内にも旧校舎の素材が使われていた。嬉しい配慮ではある(TVのBefore~Afterのパクリか???)



借りた部屋には木工場の看板が掲げられていた。これはマイスターの資格を持つ、ヒルケル、メルシュという二人のドイツ人修道士を偲んで彼らの工具類が保管されているためだ。工場自体は修道院の向かいにあったが、両氏が亡くなった後は誰も機械を動かしていない。



かつては我々の机も彼らの手作りであった。机椅子が一体となった頑丈なものだった。また旧講堂の椅子も彼等の作で、組み立ては大工が担当したが、微調整も無しにきっちり組み上がる劇場の椅子に、日本の大工たちは驚嘆の声を上げたと言う。10年以上前だったと思うが、津和野から来られたフリン師を母校にお連れした時は、まだメルシュさんが健在で楽しげに話されていたのを思い出した。



ここで一緒になったのもなにかの縁なのだろう。

この先はここに続く。


 ※日付は並べるためのダミーです。実際は6月27日の出来事。 

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