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西宮北口、サンボアの思い出(その3)

一人前の米の量は半端ではなく大盛り丼飯2杯分はあったと思う。皿はカレー屋や喫茶店のスパゲティによく使われるステンレスをプレスしたタイプ。サンボアは型で押さえてあるからいいが、ドライやピラフ だとふちギリギリまで盛られ、スプーンをどこから入れていいか迷う。そう、こんもりと盛られたかき氷をいかに崩さず食べるか、みたいなものだ。この量なので価格の据え置きは大変だとよくおじちゃん、おばちゃんがこぼしていた。

おじちゃん、おばちゃんはこのあたりの名物夫婦で、気に入らん客をよく叱り飛ばしていた。一番の重罪は食べ残す事。そのためご飯の量は必ず皿に盛って食べられるか一人一人に見せて確認していた。また、小さい子を連れた客には辛くて食べられないと言って断っていた。

確か娘さんが1人いて女子高に通っていたが、サッカー部の友人Oテツが言うには、小学校で同級だったとか。恐らくおじちゃん夫婦は僕の親父お袋と同世代だったのだろう。この頃から学生専門店を名乗り、事実そう書かれたボール紙が入り口に張られていた。学生以外も入っていいのだが、あれこれ文句を垂れた客は追い出されていた。

72~3年に一部50円値上がりしたが、インベロのカツだけ値段据え置きで250円のままであった。記憶が怪しいが新メニュー3種が生まれたのがこの頃ではなかったか。全てサンボアのアレンジで、なんとかリーピロ(恐らくフランス語の"Riz pilaw"リ・ピロウでピラフの意)という名前であった。

ジャンボン=リーピロ :サンボアのみじん切りハム掛けだったかな?あまり覚えなし
コンポーゼ= 〃 :紫キャベツ、セロリのみじん切りと裏ごしたゆで卵掛け
フロマージュ= 〃 :おろしたパルメザンチーズがタップリかかっていた
  (全てサンボアに上記が追加され50円増しだった)

ゆで卵は白身と黄身を別々に裏漉していて視覚的にはとてもきれいだった。但し、作る方の手間は大変だったようで、この中でメニューに残ったのは皆にフロマンと呼ばれたチーズかけだけであったように思う。

78年に就職してから何年か後、一度だけ食べに行った。残念な事におじちゃんは亡くなっておられた。(後記註:申し訳ない。TVを観たらまだこの時おじちゃんは生きておられた。店に出られなくなっていただけ)おばちゃんにも顔を忘れられてしまい。得意の『ウチは学生専用です。』を言われてしまった。多分制服着た学生以外は断っていたのではないだろうか。

『おばちゃん、ワシやで。T橋』と言って食べさせてもらう。僕は忘れられたが友人のJ朗のことはきっちり覚えていた。(オバチャン面食いやったんか)懐かしい味は変わらないが、インベロのカツ載せが未だ250円の据え置きであったのには驚いた。但し量は半分以下になっていたが、その頃はそんなに食えなくなっていたのでそれで充分。

横に添えられていたドレッシング和えキャベツはカレーが掛けられた上にパラパラとちらされていた。一部のサイトでサンボアのカレーは水っぽい、酸っぱい、白いソースがかかっていたという表現を見た事があるが、原因は多分この改訂版しか食べた事のない人が書いたのではないかと思う。

さらに腹立たしいのはこのカレーはまずかったと書いている奴(しかも自分は食べずに伝聞だけで)が存在している事だ。金のない高校生といえども、まずかったらいくら大盛りでも食いに行くか!! 金が無いだけに美味くて安いもんにひきつけられるのだ。

ちなみに友人のO知(わはは。あんまり匿名になってないな)が小遣いをもらうと行ったというフルコースは、サンボアでインベロのカツを食べ、甲東園に移動しファミリーコンフェクトでクリームホットケーキ。最後は喫茶JUN(美人のおねーさんがいた)でコーヒーを飲むというものだった(笑)。

サンボアのカレーを何度かマネをしたが、あの味は出せない。カレー粉が大英帝国の老舗、クロス&ブラックウェルであったことは間違いないのだが。それ以外がさっぱりと・・。おばちゃんに聞いておけばよかった。

味の復元には失敗したが、卵で包むインベロップカレーは僕の定番メニューとなり、ご飯を卵で巻く技術は相当進歩した。自作のオムライスを見ているとプロが作ったのかと・・(笑)。また同級生の何人かも自宅でインベロを作り、家族には好評という話であった。

その4に続く

コメント一覧

ひげぼーず
そーですか。やっぱりちょっと僕らの食したカレー群とちょっと違った形で出されていたようですね。インベロはルーをまぶす(織田作の夫婦善哉ではまむしてあるよって、と書かれていたように思いますが)為、玉子で巻きやすくなっており、いまだに真似をしています。

さんぼあもどき
はじめてコメントさせていただきます。
わたくしは今でこそ北の大地で生活をしていますが、マイ・ジェネレーション的青春期に西宮北口あたりを庭にしてました。で、25年経った今も時折発作のようにあの味を思い出しているひとりです。
インターネットなら何か情報が得られるのでは・・・。と検索したところ見事にヒット。
以下に自分の日記に記してあったサンボアのくだりを投稿します。
【サンボア】
中学生の頃、同級の悪友にあるカレー屋を教えられた。当時(1980年頃)の阪急西宮北口駅の南口を出て阪急スタジアムへ続く半アーケード沿いにその小さな店はあった。黒っぽい扉を開けると、うなぎの寝床のような暗い店内は狭いカウンターと赤い丸椅子が数脚のみ。お世辞にもきれいな店とは言えず、むしろ陰気で息苦しささえ感じるような店内に血色の悪いおばさんが1人、小さな声で無愛想に「いらっしゃい・・・」。
メニューはなく、客は(と言っても、ほかに客がいたためしがない)勝手知ったる感じで「ピラフ・・・」あるいは「インベロ・・・」と、これまた陰鬱に小声で注文するだけ。カウンターの奥の薄暗い厨房にはどうやらオヤジさんらしき気配があり、ごそごそと調理にかかっているようだ。薄汚れた壁には何故か少林寺拳法のポスターが貼ってあり、「半ば己のため、半ばひとのため」とうたっている。あまりに寂しい店内に客のだれかが貼らせたのだろうか?などと考えているとステンレスの平たい皿にこんもりと湯気を立てて出てきた。とき卵と一緒にいためたライスがラグビーボール型にまとまり、駄菓子屋のカツがのっている。それにしゃばしゃばのカレー汁(具は一切ない)とマヨネーズがかかっており、キャベツの千切りが添えられている。なんとも投げやりな一皿なのだが、奇異さをこらえこらえ口へ運ぶうち、どうしたことか「うまいかも・・・?」という思いになってくるから不思議。そう、アレから25年ほど経った今も、「あ~、もう一度食べたい」と思い出している。値段は300円だったと記憶する。
ちなみにピラフとインベロの違いが全く解らなかった。
以上です。インベロはインべロップだったのね、て感じです。サンボアその4も読ませていただきます。
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