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2歳の先生

2017-12-23 14:11:52 | お話
🌸🌸『2歳の「先生」~父に感謝できるようになったのは…~』🌸🌸


私が14歳の時、父が経営する会社が倒産し、父は私と母を残して愛人と夜逃げしました。

病弱だった母は一生懸命働いて私を高校へ入れてくれました。しかし働き過ぎによる急性心不全で死んでしまいました。

私は16歳で天涯孤独になりました。

高校を中退した私は、起業を決意してアルバイトをしながらお金を貯めました。

18歳の時、カラオケのリース会社を起業しました。でも悪質な仲介業者が機械を持って行方をくらましてしまいました。

私は三畳一間の住まいを引き払い、上野公園をさまよいました。

そこで「自衛官募集」のチラシを見つけ、今度は自衛隊に入りました。

除隊するまでに貯めたお金で24歳の時に福岡で起業しました。資本金も人も、全て自分で集めました。

必死に働きましたが、従業員に給料を払うと1円も残りません。

銀行で「お金を貸してください」と頭を下げても、断られるばかりでした。

でも諦めず、2年間無給で社員の3倍働きました。インスタントラーメンを三つに分けて3食分にして食べたり、水だけで5日間しのいだこともありました。


ある日、福岡地方裁判所からの出頭命令書が届きました。封を開けてビックリしました。

あの親父が、私が起業したことを知って勝手に私の実印を作り、6000万円の借金を作っていたのです。

私1人で裁判を戦いましたが、負けることも多く、持ち物がどんどん差し押さえられていきました。

借金の取り立てに来たヤクザが私に同情し、「おまえ、腹減ったろう」と食事を作ってくれるほど貧しい生活でした。

27歳で何とか借金にも片がつき、結婚をしました。

子どもも生まれ、「ようやく温かい家庭ができた」と思っていたら、またとんでもないことが起こりました。


5月の日曜日、2歳8か月の長女は家内に抱かれ、昼寝をしていました。

しばらくして家内の絶叫が聞こえました。「お父さん、早く来て!」

慌てて駆けつけると、娘が涙をポロポロ流しながら「痛いよ~」と胸を押さえ、家内に抱きついていました。家内は必死で娘を抱きしめていました。

10分ほどして病院に着いた時、家内がつぶやきました。「お父さん、この子、息してない」

急性心不全でした。お骨になった娘は手のひらに乗るほど小さくなっていました。

涙も枯れ果て、放心状態の私は「世の中には神も仏もないんだ」と思いました。

しかし1年くらい経つと冷静になり、「娘は何か俺に教えてくれたんじゃないだろうか」と考えるようになりました。

そのうち、人の生きる道や経営のやり方、部下の使い方、従業員との接し方、そのすべてがだんだん分かってきました。

私はずっと父を恨んでいましたが、でもそれは間違いだと気付きました。

父は私に必要な試練を与えてくれていたのです。

その後、20年ぶりに私は父と奇跡の再会を果たしました。

父は別人と思えるくらいにやせ衰え、汚い服装のみすぼらしい老人になっていました。

父を看取っていく中で、私は反面教師となっていろんな経験をさせてくれた父に感謝できるほどになりました。

私の「先生」は、2歳8か月でこの世を去った娘です。

娘の死を考える中で、私は大切なことに気付くことができたのです。


(「みやざき中央新聞」H29.12.18 市川善彦さんより)


Appleも、カッコ悪いこと、やったもんだね。

カッコイイAppleが、ブサイクなことやったら、意味ないよね。

新商品が出るたびなんで、

やってるのは、感じてわかってたけど、今回はあまりに露骨でしたね。

これで信用を落としてしまったな。

仕方ないね。

大きな問題にならなければ、いいのだが。