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般若心経の解説49、"波羅僧羯諦"

2016-06-02 12:57:46 | 般若心経
🍀般若心経の解説🍀49


🌸🌸「波羅僧羯諦(はらそうぎゃてい)」🌸🌸


私たちは、ことがすこぶる順調🍀に運び、

ときには他の人たちに抜きんでて注目👀✨されるようになりますと、

「自分ほど偉いものはいない」と思い、

とかく慢心😏が生ずるものです。

また、若さのまっただなかにいるときや、身体の調子🌸がよいときには、

年老いた人👴👵や病気で苦しんでいる人への心くばりを欠きがちになります。🙀

さらに、私たちは生身の人間でもありますから、

自分の立場をよくするためにときにはウソ😈をいってみたり、

お酒を飲みすぎてつい大言壮語🎵をすることもあります。

ささいなことに腹をたてて😠、荒々しい言葉⚡️☔️を発することもあります。

自分を偉く👑みせることをいい、また他人をけなす👎こともあります。

しかし、ひとたび逆境に陥ったとき、

あるいは身の老いを感じるようになり、健康🍀が損なわれはじめますと、

私たちは、誰しも心が沈み☁️☁️、苦悩が頭をもたげてきます。⛅️

思いわずらうことが重なりますと、

正常な判断🌸ができなくなり、ついに迷い🌀がちになります。

迷いは、この世は「もちつもたれつ」なのに、

自分中心⭐️に考えようとすることに起因するといわれています。


このような自分中心⭐️の迷いの生存を、

仏教🌸では「生死(しょうじ)」といいます。

生死を離れて☁️☁️、心💓の安らぎ(成仏)を得るにはどうすれば良いか。


道元禅師は、

「正法眼蔵」の「生死」の巻でこのように説かれています。🎵

心をもてはかることなかれ。

ことばをもていうことなかれ。

ただわが身をも心をも、

はなちわすれて、

仏のいえになげいれて、

仏のかたよりおこなわれて、

これにしたがいもてゆくとき、

ちからをもいれず、

こころをもついやさずして、

生死をはなれて仏となる。

と。

大いなるもの☀️、つまり、ほとけ🌸に、身も心もすべてまかせてしまうことだといわれるのです。😄☀️

「波羅僧羯諦」
(彼岸に全く往ける者よ)

は、苦悩し😵、まよう🌀、わたしたち凡夫の、大いなるほとけ🌸に対する、

身心(しんじん)のはからいを捨てた
呼びかけ🎵であると見ることができるでしょう。😄💓


(「あなただけの般若心経」より)

いのちの絆を考える

2016-06-02 12:55:53 | 日記
🌸🌸いのちの絆を考える🌸🌸


痴呆症が深まった「ナミさん」というおばあちゃんの話です。

ナミさんは「君ケ畑(きみがはた)」という集落に生まれ育ち、

結婚や子育て、旦那さんの介護や見送りもやりました。

だからナミさんは認知が激しくなっても「この君ケ畑にいたい」とずっと1人暮らしを続けました。

でも老衰が深まるにつれて寝ていることが多くなり、

喋ることが少なくなって、全身のめぐりが悪くなって、浮腫(むく)んだりしました。

そんなナミさん見て娘さんが「うちに来てほしい」とお願いします。

ナミさんは娘のお願いを受け入れ、娘さんの家に行きました。


ある夜中、1人でトイレに行こうとしたナミさんが転倒します。

頭を7針も縫う大ケガでした。

孫やひ孫がお見舞いに来ても目も開けなかったのですが、

会話の中に「君ケ畑」という名前が出ると、ナミさんは何か言おうとしました。

「もしかして君ケ畑に帰りたいの?」

と娘さんが言うと、ナミさんは頷きました。

見ていた花戸ドクターが

「みんなで一緒に帰りましょう」

と声を掛け、

ナミさんはまた自分の家に戻ることになりました。

息子さんも京都から駆け付け、ヘルパーさんやお孫さんやひ孫さんもやってきました。

こうして君ケ畑の家に戻って5日間、

大切な人に寄り添われながらナミさんは過ごしました。

5日目、ナミさんの寝ている隣の隣の部屋で、私は息子さんと話をしていました。

突然、息子さんは話しかけていた言葉を途中で飲み込み、

ナミさんの部屋へと入っていきました。

私も後を付いて行くと、ちょうどナミさんの息が止まる瞬間でした。

「おーい、息が止まったぞ」

息子さんが声を掛け、
家の裏手から娘さんも駆け付けました。

娘さんはナミさんの手を握り

「おばあちゃん!」

と呼びかけました。

息が止まって何十秒も経っているのですが、

その呼びかけに舞い戻るかのように

ナミさんは、また息をし始めました。

娘さんは涙を流し、両手でナミさんの手を握り、言いました。

「おばあちゃん、ありがとうもう。

もう、ええよ」

ナミさんは、その言葉に安心したかのように完全に息を終えました。


後になって娘さんは、

「あのときはすごく温かかった。

満足みたいなものだったのかも」

と振り返ります。

別れのつらさ、悲しみはあるけれど、どこか温かな充足感、

もっと言えば命のエネルギーや命のほとばしりのような、厳かで温かな空気が満ちていたのだと思います。


私はカメラを持ったまま、

「シャッター音でその空気を壊してはいけない」と思いました。

我に返って、ようやく1枚撮りました。

亡くなったナミさんの目から涙がこぼれていました。

娘さんはその写真を見ながらボロボロと涙をこぼし、

「お母ちゃん、これでよかったんやね」

と、ナミさんに笑かけました。

波の中に笑顔がある、そんな場面でした。

ナミさんの息の吹き返し、

そして、亡くなってからの涙は、

ご家族にとって一生胸に残る大切な贈り物だと思いました。


(「みやざき中央新聞」國森康弘さんより)