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平等って、

2016-07-06 15:30:23 | 基本的な考え方


日本の教育は、平等という言葉をはき違えているのではないでしょうか。

平等というのは、皆が同じであるということではありません。

皆が違うんだということを、互いに認め合うことなんです。

ケント・ギルバート

多数決のほんとの意味

2016-06-14 18:08:09 | 基本的な考え方
🍀🍀多数決のほんとの意味🍀🍀


民主主義の原理とは何か、を考えてみよう。

それが最も単純な図式で現れているのが「直接民主制」であろう。

もちろん、どんな組織でも執行部があるが、

全員を拘束する法や規則の制定、

さらに全員に行動を起こさせるような重要な決定は、

その成員の全員に一人一票の秘密投票で賛否を問い、

多数決をもって全員の意思として決定する。

これが最も原始的な段階で、

次いで執行部の選出も秘密投票で行い、

この執行部内の議決の秘密投票で行うという形に進んでいく。

そして組織が複雑で規模が大きくなれば
第二段階から第三段階へと進むが、

この発展は、直接民主制という第一段階がない限り、ありえない。

そこで問題は、この第一段階が、その国の文化的蓄積の中に、あったか無かったか、

次は、それが一国の中の特殊な集団内のみで行われていたのか、特殊な集団内から広がって、全国的な規模となり、

庶民に至るまでそれを当然とする状態を生じ得たか否か、

それが文化的蓄積の有無の分かれ目となる。

この第二の問題は後に述べるとして、最初の段階についてまず記すことにしよう。

今、「一人一票の秘密投票」といったが、
これが完全に行われている国は今でも少ないであろう。

共産圏のような挙手なら、反対者への報復や排除は簡単にできる。

この問題は古代においてはさらに難しい問題がある。

というのは、人が氏族や大家族に属している場合、家長権等を無視して「個人として」、「自由な投票」、を行うことなど、まず望めないからである。

この場合、最もそれが行いやすかったのは「出家」のはずである。

僧は原則として、この世の社会のあらゆる「縁」を断ち切って「出家遁世」し、

「個人」となって僧院に入り、平等な立場でブッダに仕えているはずだからである。

だがこの「はず」もなかなか原理通りにいかず、

組織には組織の上下があり、その組織の長は人事権を握っているから、その人間はもちろん自由ではない。

さらに平安の大僧院の僧は「鎮護国家」を祈る国家公務員だから、俗世の序列がそのまま作用しやすい。

だが、そうだとしても、全員が1つの目的を持つ宗教的組織的集団は、氏族や大家族と違って血縁順位がなく、

その意味では平等な「一味同心」であり、

重要な決定に対しては全員で会議をし、多数決で議決のうえ決定するという方法があっても不思議ではない。

一体、この方式が仏教によって日本に持ち込まれたのか、それともまた「掘り起こし共鳴現象」で、仏教の渡来以前から似た方式があったのか、これは明らかではないが、

大体、原始仏教の議決方法「多語毘尼」(もしくは「多人語毘尼」)その他にその根拠が求められるという。

これは教団内の諸問題の解決方法を示した経典で、その一つとして多数決があり、

公開投票、半開票投票、秘密投票の三つが記されている。

だが、この通りにしたため大乗と小乗の分裂を引き起こし、以後は用いられていなかったといわれる。

おそらく日本人は仏教は輸入しても、仏教史は知らなかったのでこれが用いられたのであろう。

いずれにせよこれに基づいて、「満寺一味同心」という形で寺院全体の意思決定をし、

それに基づいて行動を起こすには、「満寺集会」という衆徒全員の出席する会で「大衆僉議(たいしゅうせんぎ)」という評決を行い、

そこで多数決によって議決しなければならなかった。

そしてこの「大衆僉議」は細かいルールがあった。

延暦寺のルールは、「平家物語」にも詳しく出ている。

そしてこの寺は当時の指導的寺院だから、他の寺院も似たようなものであったと見てよいであろう。

そしてこの「満寺集会」の「大衆僉議」に出るのは神聖な義務で、出席しないと罰せられたらしい。

延暦寺は何しろ衆徒三千だから、集会の場は当然に野外で、一同は大講堂の庭に集まる。

その時の服装は異形であり、全員が破れた袈裟で頭を包み顔をかくす。

たとえなんぴとといえども、また、天皇の命令でも、頭をむき出し、顔をあらわにして出席することができない。

そして全員が堂杖(どうじょう)とう杖を持ち、小石を1つずつ拾って出席し、

その石を置いてその上に座る。

さらに声を出す時、鼻を抑え、声を変えねばならぬから、隣に座っている人間が誰だかわからない。

いわば師と弟子が隣り合わせに座っても絶対にわからないようにしなければならないのである。

すると、これも誰だかわからぬの1人が、声をかえた大声で「満山の大衆は集合したか」と叫び、

提案の趣旨を説明し、一ヶ条ごとに賛否を問い、

各人の判断に従って

賛成の場合は
「尤も(もっとも)」

反対の場合は
「此の条 謂(いわれ)なし」
と叫ぶ。

このようにして一条ずつ議決され、終われば「僉議事書(せんぎことがき)」「列参事書(ことがき)」という文章にまとめられる。

これは「多語毘尼」の半公開投票にあたるであろう。

いま読むと、まことに巧みに秘密投票の原則が守られていると思うが、

彼らの異形や異声が、果たして近代的な合理主義から出たのかといえば、おそらくそうではあるまい。

だがこの問題は後に触れるとして、

まず、この討議に付する議案はどのようにして決定されたのかが問題である。

それはよくわからないが、高野山と同じなら「合点(がってん)」とあう方式をとったものと思われる。

この「がってん」という言葉は今も使われ、芝居のセリフなどにも登場し「わかった」「承知した」の意味に使われるが、

元来は少人数の表決の結果すなわち「点の合計」を意味する言葉であった。

勝俣鎮夫の「一揆」に、やや後代のものだが、典型的な「合点状」として弘和四年(1384年)の高野山違犯衆起請文があげられている。

年貢を滞納した荘官罷免に関する評定で、

公正に投票することを神に制約し、その起請文の余白に「荘官罷免」または「罷免せず年貢取り立て」の二つの投票課題を記し、

それぞれの余白に、当業者が短い線を引くという方法をとっている。

どんなルールで線を引いたのかは明らかではないが、

「線」は元来秘密投票のためだから、

一人一人立っていって、見えない場所で線を引き、

もとの座に戻るという方式をとったものと思われる。

この起請文生では線が、前者が41、後者は23だから、荘官は罷免されたわけである。

これが「合点」で、ここから後代の「がってんだ」が生まれたものと思われる。

これが「多語毘尼」の秘密投票であろう。


現代では「多数が賛成したから正しいとはいえない」という議論がある。


新聞などにもしばしば現れる議論で、前記の「合点状」でも、41対23名から41の方が正しい決定とは、必ずしもいえないだろう。

ではなぜそれが、反対の23を含めて全員の決定とされるのか。

実をいうと「多数が賛成したから正しいとはいえない」という前記の言葉は、

多数決原理発生の原因を忘れてしまった議論なのである。

この原則を採用した多くの民族において、それは「神慮」や「神意」を問う方式だった。

面白いことに、この点では日本もヨーロッパも変わらない。

古代の人びとは、将来に対してどういう決定を行ってよいかわからぬ重大な時には、

その集団の全員が神に祈って神意を問うた。

そして評決をする。

すると多数決に神意が現れると信じたのである。

これは宗教的信仰だから合理的説明はできないが、「神意」が現れたら、

それが全員を拘束するのは当然である。

これがルール化され、多数決以外で神意を問うてはならない、となる。

そして、これはあくまでも神意を問うのだから、

「親が…、親類が…、師匠が…」

といったようなこの世の縁に動かされてはならない。

それをすれば

「親の意向…、親類の意向…、師匠の意向…」

を問うことになってしまうから、神意は現われてくれない。

もちろん賄賂などで動かされれば、これは赦すべからざる神聖冒瀆(ぼうとく)になる。

これらは日本でも厳しく禁じられている。

そして、延暦寺の異形・異声とか、高野山の「合点」とかは、

こういう考え方の現れである。

おそらく、異形・異声になったとき、別人格となったのであろう。

このような信仰に基づけば、多数決に現れたのは「神慮」「神意」だから当然に全員を拘束し、これに違反することは許されない。

多くの国で多数決原理の発生は、以上のような宗教性に基づくものであって、

「多くの人が賛成したから正しい」という「数の理論」ではない。

コンクラーベという教皇の選挙は、今では多くの人に知られている。

だがこれは決して枢機卿が教皇を選出するのではなく、

祈りつつ行われる投票の結果に神意が現れるのだという。

したがって教皇は神の意志で教皇となったので「当選御礼」などを枢機卿にする必要はない。

時には、自分に投票してくれた人に最も厳しい人事をするが、これは行って不思議ではない。

という話をカトリックの人から聞いた。

もっとも「教皇選出の神学」といった資料を読んだこともなく、

そういう資料の有無も知らないから、詳しいことはわからない。

しかし一般に以上のように信じられているらしい。


ユダヤ教徒にも興味深い伝統があり、これは「タルムード」に載っている。

ユダヤ教徒の場合、旧約聖書の「モーセ五書」は神との契約だからこれを変えることはできない。

しかし世の中は変化するから、
「五書」に規定されていないことも出現すれば、

「五書」の規定を文字通りには実行できない場合がある。

そして「五書」のほかに口伝法律があり、これは「ミシュナ」に収録されている。

後代のものとはいえ編纂が紀元220年である。

彼らは「五書」を法規と説話に分け、この法規に関する限り、新しい事態のために、新しい解釈をすることができるようになっている。

これを行うのがサンヘドリンで、その成員の多数決で新しい解釈が採用される。


「タルムード」には面白い話がある。

あるラビが新しい解釈を提案したが否決されてしまった。

そこで彼は自分の解釈はあくまでも正しいと主張し、その証拠に奇跡を行ってみせるといい、

本当に奇跡を行った上で再び評決に付したが、また否決されてしまった。

すると彼は天に向かって大声で

「神よ、私の正しいことを証明してください」

と言った。

すると天から

「みな、何をつまらぬことを議論しているのか、

彼の提案は正しいではないか」

という声がした。

そこで評決に付したが、また否決されてしまった。

神の声を無視したとは面白い説話だが、

これは神意は多数決を通してのみ現れるのであって、

それ以外には現れない、ということである。

これを今日的にいえば

「私は神のお告げを受けた、ゆえに私の提案は正しい」

といった神がかり的主張は一切認められず、方法は多数決のみということである。


(「日本人とは何か。」より)

必ず訪れる死を学ぶ

2016-06-01 19:35:32 | 基本的な考え方
🍀🍀必ず訪れる「死」を学ぶ🍀🍀


私は30年間、上智大学で「死の哲学」を教えてきました。

当時は誰もそのような講座を開かなかった時代でしたし、

ましてや日本では「死」というものがまだタブー視されていました。

ですから、私が「死の哲学を教えたい」と提案したときは、

「それはやめたほうがいい」とたくさんの励ましの声をいただきました(笑)。

「誰も講義をとりませんよ」とも言われましたが、

結局、毎年多くの学生が履修してくれました。

「いつか私たちの命は終わってしまう」という事は無視できません。

だからこそ、
「死への準備教育(デス・エデュケーション)」は、
生の教育でもあると思っています。


私は「死」を考えたとき、四つの側面に分けています。

普通、「死」というと「肉体の死」だけを考えがちですが、

他の三つも重要です。

まずは「心理的な死」です。

私は世界各地の老人ホームを視察しましたが、
生きる意欲を失ってしまった方に何にもお会いしました。

これが「心理的な死」です。

次に「社会的な死」です。

これは社会との接点が失われてしまった状態です。

がんでお年寄りが入院した場合、
彼の子供たちは、

最初のうちはよく病院に見舞いに行きますが、

それ以降は全く行かなくなります。

看護婦さんが「会いに来てください」と言っても

「仕事で忙しいので…」と答えたりします。

このように外部とのかかわりが途絶てしまうと、「社会的な死」となります。

親の最期のときは子供がそばにいるのが当たり前だと私は思います。

そして「文化的な死」です。

病院や老人ホームで、人間らしい文化的な潤いが一切ないとしたら、

それは「文化的な死」となります。

こうして「死」というものを深く考えてみると、

終末期における生命や生活の質を高めることの大切さがお分かりになるでしょう。


人が最期を迎えるとき、

その人のために何かをしてあげようと考えるのではなく、

ただそばにいてあげるだけで良いのです。

死んでいく人は「孤独のうちに死ぬこと」を恐れています。

ですからそういうときは、そばにそっと寄り添うことを大切にしてほしいと思います。


◇◇◇◇◇


私は長年、死別を体験された方々の話をたくさん聞きました。

愛する人、大切な人の死は、遺された人にとって「小さな死」のようなものです。

しかし、それは人生において精神的に成長するきっかけになります。

だから、死への準備教育の1つである、遺族のための教育「悲嘆教育(グリーフ・エデュケーション)を重視したいのです。

遺族が悲観から立ち直る過程には共通点があり、
12段階に分けて考えています。

その中から少し紹介します。

愛する人の死によって、遺族は一時的に感覚が麻痺したような状態になります。

それから「否認」します。

「あの人が死ぬはずがない」と考え、行動します。

私はこれをアメリカ同時多発テロの時に実感しました。

そのときニューヨークにいた私は、貿易センタービルに2機目の飛行機が突っ込んでいくのを見ました。

その後、ニューヨークで日本人の奥様方に会いました。

ご主人やご家族を亡くされた方は、「まだ葬儀はしたくない」と言われました。

なぜなら遺体を見ていないからです。

飛行機が突入してからビルが崩壊するまで1分間の猶予があったので、
その間に逃げた可能性があるわけです。

もちろんそう考えることもできますが、

2週間経っても連絡がなかったら残念ながらその可能性はゼロに近いです。

このように死を受け入れられず、「否認」の段階に陥る人はたくさんいます。

12段階のうち、9段階目になると「精神的な混乱とアパシー(無関心)」の状態になります。

アメリカで行われた研究によると、奥様を失った男性がしばらくの間、

奥様のことばかり考えて仕事に集中できなくなり、

ミスも多くなるという結果が出ました。

つまり、どうしたらいいのかわからなくなり、何事にも無関心になるのです。

しかし、この段階を超えると「あきらめ(受容)」の段階に入ります。

「あきらめる」という日本語には「明らかにする」という意味もあります。

自分の置かれた状況を「明らか」にして受け入れ、

つらい現実に勇気を持って直面しようとし始めるのです。

そして11段階目は「新しい希望・ユーモアと笑いの再発見」です。

私は日本人で何千人もの死別された方々に会いました。

ご遺族の皆さんは、しばらくの間、ユーモアを失っています。

もちろん大切な人を失った後は笑う気持ちなど起こらないと思います。

しかし、私はユーモアなしで生きるのは健康のためによくないと思っています。

悲嘆のプロセスの中でお笑いを再発見することは、
立ち直りに向けての重要な課題の1つです。

最後に12段階目は「新しいアイデンティティの誕生」です。

たとえば、田中さんの奥様はご主人が生きている間は、

「田中さんの奥さん」というアイデンティティーで生活していたかもしれませんが、

ご主人が亡くなった後はそうはいきません。

1人の自立した女性としての新しいアイデンティティを探求しなければなりません。


◇◇◇◇◇


人生において、悲しみや苦しみは難しいテーマです。

生きる上での指針となる、有名な祈りがあります。

「神よ、私に変えられないことは、そのまま受け入れる平静さと、

変えられることは、すぐにそれを行う勇気と、

そして、それらを見分けるための知恵をどうぞお与えください」

私たちの人生において変えられないことがあるのは確かです。

必ず訪れる「死」もその一つでしょう。

しかし、それを平静に受け入れながらも、

私たちは変えられることがあることを見分けて、

そこに力を注ぐことが、

望ましい生き方ではないかと、私は思っています。


(「みやざき中央新聞」アルフォンス・デーケンさんより)

軍備の鉄則

2016-04-25 11:22:43 | 基本的な考え方
🍀軍備の鉄則🍀


太宗は、太子に書き与えた『帝範』の中で、次のように述べている。

「軍備と言うものは、国家にとっては凶器である。

いかに広大な領土を有する大国といえども、

戦にあけくれていれば、人民は疲弊する。

一方、国内が平和に収まっていても、
戦いを忘れてしまえば、侵略の危険にさらされる。


人民の疲弊は国家の滅亡を招き、

侵略の危機は外敵のあなどりを受ける。

軍備は全廃すべきではないが、

さればといって、やたらにこれを行使してはならない。

それゆえ、農閑期に軍事訓練を施して戦意の高揚をはかり、

3年に1回、大演習を催して軍紀を正すのである。

昔、越王・勾践(こうせん)は、敵にいどむ蛙のさかんな敵愾心に学んで、

ついに宿敵・呉を滅ぼし、覇業を達成した。

これと反対に、

徐(じょ)の偃(えん)王は、軍備を捨ててかえりみなかったがゆえに、ついに国を滅ぼした。

この2人の違いは何か。

勾践は軍事訓練につとめ、
偃王は軍備を忘れてしまった。

それが結局は、両国の命運を分けたのである。

孔子も

『教えざるの人をもって戦う、これこれを棄(す)つと謂(い)う』

(軍事訓練を施さない人民を戦争にかり出すのは、むざむざ死地に追いやるようなものだ)

と語っている。

備えあれば憂いなしとは、これをいうのである。

これが軍事の鉄則である」

と。


(「貞観政要」より)


それで、

戦国最強の武将は言いました。

「人は城、人は石垣、人は堀、
情けは味方、仇(かたき)は敵なり」

武田信玄です。

結局、人を大切にできる人が、最強だってことなんですね。

新しいストーリー

2016-04-16 09:28:32 | 基本的な考え方
🍀🍀新しいストーリー🌸🌸


経営コンサルタントのジェームス・スキナーさんがセミナーでこんなことを言っていた。

「過去の記憶の中に生きるのはもうやめて、
これから新しいストーリーを始めてみませんか」


「会社はストーリーである」と彼は言う。

そして「ストーリーを描いたら人に語るべきだ」と。

1974年、Apple社の創業者、スティーブ・ジョブズは、会社設立にあたり、
コンピュータエンジニアのウォズニアックという男に

「一緒にやらないか」と声をかけた。

当時のジョブズの資産はゼロ。

払える給料もゼロ。

他に社員はいない。

それでもウォズニアックはやってきた。

ジョブズが語った
「パーソナルなコンピュータを作って
世界の人々をワクワクさせよ」

というストーリーに乗ってきたのだ。

会社のストーリーをいかに上手に語るかが重要である。

下手に語っていると、社員の士気は上がらず、

面接に来た学生は「やめときます」となるだろう。


商品もストーリーだ。

語るべきは、お客様。

例えば、フェラーリという車は通勤や家族サービスに使う車ではない。

女性にモテたいと思っている男に語るストーリーである。

「助手席にスタイル抜群の金髪の女性が乗ってきますよ。

2000万円でいかがですか?」。

そのようなストーリーを生きたいと思っている男性なら
「買います」となる。

皆さんが扱っている商品はどんなストーリーを持っているだろうか。


人生もストーリーだ。

より豊かな人生を生きようと思ったら、
より豊かなストーリを描かなければならない。

今まで「原作」に縛られていた人もいるだろう。

「頭が悪いのは、貧乏で塾に通なかったからだ」

と、親のせいにしたり、

「足が遅いのは、うちの家系に早い人は1人もいないから」

と、先祖で持ち出したり、

「成功しないのは、こんな田舎にいるからだ」

と、環境のせいにしたり。

「お金がない」
「時間がない」
「もう年だ」
「自分には障がいがある」、

そんなことを一切考えないで、

「こんな恋をしてみたい」

「こういう家庭をつくりたい」

「こんなことをやってみたい」

と、頭の中で自由に、これからのストーリーを描いてみよう…

と、ジェームスさんは言う。

「20年前のこと、10年前のこと、
いや、昨日までのことは、どうでもいい。

もう過去の記憶の中で生きるのはやめましょう」と。

新年度は、すべての人が新しいストーリーを描くことができる絶好の節目だ。


(「みやざき中央新聞」水谷さん社説より)