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子どもの病気はゆるめすぎ

2016-06-29 15:49:20 | 病気のなおし方(自助努力)
🍀🍀子どもの病気はゆるめすぎ🍀🍀


大人の病気は、忙しさの中で常に体が興奮状態にあることが原因だと説明しました。

すなわち、自律神経のうち交感神経がいつも刺激されていることに注目する必要があるのです。

ところが、

子供の場合は、が逆に副交感神経に注目する必要があります。

副交感神経が刺激されていると、体内の消化器官が働き、リラックスの状態になります。

飲み込む、呼吸、排泄などは副交感神経の刺激なのです。

大リーガーの選手が試合中にガムを噛んでいるのもリラックス状態を作るためです。

今の子供たちは外で遊ぶ時間が少なく、食べ物が常に豊富な毎日を送っています。

これは副交感神経が刺激されている状態です。

副交感神経があまりに優位だと何が起こるか?

その状態が続くと、筋肉や骨格が丈夫に発達しなくなります。

ですから今の子供たちや若者は骨が細くてあごも細く、筋肉が足りず、その結果疲れやすい体質になっているのです。

また、副交感神経側に偏ると気迫がなくなります。

子供がいろんな困難に出会ったとき、それを乗り越えるためには、

交感神経の刺激により脈を増やしたり血圧を上げながら対処する必要があります。

しかし、副交感神経側に偏って穏やかすぎる子は、そのような気迫が生まれません。

それが不登校や若者の職場離れに結びついているのではないかと思うのです。

子供だけではなくお年寄りもそうです。

いくら年をとっても穏やかでいれば良いのではなく、

ときには交感神経を刺激し、やる気を出しで困難にぶつかったりして、元気に過ごすことが大事なのです。


やたら「塩分は控えた方がいい」と言うお年寄りもいますが、

あまりに塩分を控えすぎると交感神経が働かなくなり、どんどん気迫がなくなっていきます。

中には、初めから介護されることを前提に

「介護費用を払っているんだ」

なんて考え方をするお年寄りもいらっしゃいます。

でも、それでは、やはり、だらしないです。

「介護費用は他人のために払っている。自分はお世話にならないぞ!」

これくらいの気迫が大事です。

塩分を控え過ぎるとこんな気迫も出ないのです。

70歳を過ぎると医療費は1割負担です。

このとき気迫のあるお年寄りはこう考えます。

「9割は国が負担してくれるのだから、自分はめったなことで病院には行かないようにしよう!」と。

一方、穏やかすぎるお年寄りは

「1割負担になったから、これからもっと病院に行こう」

と、こう思います(笑)。

私たちは無理しすぎても体を壊しますが、

楽をしすぎても生きづらくなってしまいます。

漫画家の水木しげるさんは著書「水木サンの幸福論」の中で「幸福の7か条」について書いています。

その第6条に
「怠け者になりなさい」
とあります。

つまり、頑張りすぎず、遊びすぎず、

ちょっと怠け者くらいがちょうどいいと言うことなのです。(^_^)


(「みやざき中央新聞」安保徹さんより)

がんの神様ありがとう、4

2016-06-29 11:25:08 | 病気のなおし方(自助努力)
4「がんの神様ありがとう」

(筑波大学名誉教授 村上和夫さん 育生会横浜病院院長 長堀優さんの対談)

🔸村上 長堀先生は見えない世界について、どのように考えておられるのですか。


🔹長堀 医学の世界というのは長いことを科学的手法、科学的な考え方を大事にしてきましたが、対象としたのは見えるものだけでした。

見えるということは、目で見えることはもちろん、様々な計測機器を使って数値化できるものです。

一方、この宇宙における大本の物質は何かについて考える量子論をドンドン突き詰めていくうちに、

大本の粒子があやふやなものだということがわかってきました。

どういうことかというと、原子の中にある電子や中性子、陽子というのは、

その構成要素であるクオークの回転によって形づくられているということです。

🔸村上 だから実体があやふやだというのですね。

🔹長堀 竜巻と一緒だと考えるとわかりやすいかもしれません。

竜巻というのは回転することによって物体として見えますが、回転が止まった途端、自体はなくなってしまいます。

「この世の事象というのは、幻である」

とは、その昔東洋の覚者が瞑想雨で至った真理だと言われていますが、

その言葉に科学が追いつき始めているのが現代だと私は思うのです。

結局、そのそこにあるのは一元論です。

見えるものと見えないもの、粒子とエネルギー、生と死などもそうですが、これまで二元論的に考えてきたことが、

実は、すべて繋がっているということを指し示しているのだと私は考えています。

「善悪不二」という東洋の言葉も、やはりそういうことを表しているのではないでしょうか。

🔸村上 しかし、世界の科学者たちの多くは、まだ長堀さんのおっしゃるような世界にたどり着いたでいなくて、

目に見えるものだけを追いかけているレベルにとどまっているように思います。

そのレベルを突き抜けた世界を、量子論という最先端科学から見ることができるというのは、面白いところですね。

🔹長堀 東洋の祈りを理解する感性と、西欧の科学技術を理解する感性を併せ持っているのが、私は日本人だと思うんです。

そして、その東洋と西洋の考え方を近づけるきっかけになるのが、先ほど話した量子論、素粒子論ではないかと。

例えば、最近ノーベル賞とられた梶田隆章先生もご専門は量子論ですよね。

これは偶然ではなく、今後日本人の手によって東洋と西洋の統合の時代が開かれていくのではないかと私は思っています。

大事なのはバランスですね。

西洋の科学技術に偏りすぎたからといって、これを否定すべきではなく、

東洋の哲学と西洋の科学とのバランスをうまく取っていけば、もっといい世の中ができるのではないでしょうか。

そして、そのバランスを取る上で、最も大事になってくるのが、

やはり死の捉え方だと思うんです。

先ほどお話ししましたように、人間誰もが死んでしまう以上、

それを敗北だとしたら何の救いもありませんからね。


(つづく)

がんの神様ありがとう、3

2016-06-28 09:59:50 | 病気のなおし方(自助努力)
3「がんの神様ありがとう」

(筑波大学名誉教授 村上和夫さん 育生会横浜病院院長 長堀優さんの対談)

🔸村上 先生の若い話が少し出ましたので、長堀先生が医師になられたきっかけを教えてください。

🔹長堀 中学生の頃に北杜夫さんの「どくまるマンボウ航海記」を読みましてね。

こんなふうな生活もあるんだな、と漠然とですが医者に憧れたのがきっかけでした。

兄が医学部に行った影響もあって、高校では医学部を目指そうと頑張っていたのですが、3年生の10月に急性腎炎にかかったんです。

🔸村上 1番大事な時期に。

🔹長堀 これには焦りました。

それまでずっと睡眠時間を削って一生懸命勉強してきたのに、「一日8時間は寝なさい」と医者から言われたんです。

どうしようかなと思ったんですが、その時に、もうひと言、

「1年ぐらいどうってことないよ。
僕だって2浪しているんだ。
なんてことはないからゆっくりしなさい」

と言われたんです。

その瞬間、

「あぁそうか」と思えて、ふーっと大きく力が抜けました。

それからはもう家族が心配するくらいよく寝ましたけど、おかげさまで何とか群馬大学医学部に引っ掛かったんですよ。

その当時、私が思ったのは
「医者のひと言って、でかいんだな」
と言うことでした。

そして自分もあんなふうな言葉をかけられる医者になりたいと思ったのが、大きなモチベーションになりました。

🔸村上 医者のひと言が長堀先生の人生を決定づけたわけだ。

🔹長堀 そうですね。それからもう1人思い出すのは、学位論文を指導して下さった先生です。

とても厳しい方で、論文をまとめるのにとにかく苦労したのですが、ようやく完成したときにおっしゃったのが

「長堀、医学は科学じゃないぞ」

という言葉でした。

それまでずっと「科学的な思考は何か」ということを徹底的に鍛え上げてもらってきただけに、
最後にきた言葉が「それか」と思ったものです。

🔸村上 それはどういう意味なのでしょうか。

🔹長堀 結局、医学には人間の心が入っているということだと私は理解しました。

作家の遠藤周作先生も「医学は人間楽」だと言っているように、

医学というのは科学とイコールではなくて、

人間学、つまり人間の心を加味して考えるということです。

科学というのは目に見えるものを相手にしますけど、心は目に見えません。

それゆえに、心というのは科学が1番苦手なものと言えるでしょう。

ところが医療の現場では、その心の部分がとても大事になります。

科学に基づいた医学が医療の基本になることは間違いありませんが、

それが全てであるとは思ってはいけないということを、先生は私に教えようとされたのだと思います。

🔸村上 大事な教えてすね。

🔹長堀 その先生の言葉、目に見えない世界について考える大きなきっかけにもなりました。


(つづく)

がんの神様ありがとう、2

2016-06-27 12:31:58 | 病気のなおし方(自助努力)
2「がんの神様ありがとう」

(筑波大学名誉教授 村上和夫さん 育生会横浜病院院長 長堀優さんの対談)

🔸村上 長堀先生は何がきっかけで死は敗北ではないと考えるようになったのですか。

🔹長堀 潔く旅立っていかれた、がん患者さんたちの存在でした。

今は患者さんたちにがんを告知することがほとんどですけど、昔は隠していたんですよ。

でも、わかるんですよね、患者さんは。

例えば、症状が重くなった患者さんの病室に日に何度か顔を出していると、笑いながら

「先生、俺もうだめなんだろう」

って言うんですよ。

何て答えてよいかわからずに私がドギマギしていると、

「だって先生、前はこんなに病室に来なかっただろう」

って。

🔸村上 完全に読まれていた。

🔹長堀 それは見事なものでした。でも、それだけじゃなくて、ちゃんと自分の運命を受け入れていたんです。

これは、すごいことだと思いました。

東洋には陰陽の教えがあって、物事を見る時には陰陽の両面を見ていくことが必要であると説かれています。

ところが若い頃は、陽の部分、日の当たる部分しか見てこなかった。

つまり、手術でがんが治った患者さんだけを見ていました。

本当は病院にはがんで亡くなっていく患者さんもたくさんいたのに、そこには全く目を向けられていなかったんです。

ところが、

年を重ねるにつれて、だんだんと先ほどお話ししたような患者さんたちのことが目に入るようになってきました。

彼らは何が違うかというと、

死を目前にしてなお、いまこの一瞬一瞬を大事に生きておられたんです。

それは言葉を変えれば、生き切るということをやられていたのだと思います。

そんな姿を見ているうちに、

死は敗北であるというのは、どうも違うのではないかと考えるようになりました。

🔸村上 それは先生が幾つくらいの時ですか。

🔹長堀 30代になってからです。
やはり20代というのは、外科的なテクニックの向上であるとか、いろんな研究に没頭していたので、もうそれでいっぱいいっぱいでしたから。

そういったことが落ち着いて自分の技術が安定してきたことで、患者さんのことが見えてきたということもあります。

ただ、その一方でがんというものがますます分らなくなったことも確かです。

同じ手術をしても、個人個人で経過が違ってくることも見えてきました。

がんには人の思いがくっついているのではないかと思う考えるようになったのも、その頃からだったと思います。


(つづく)

がんの神様ありがとう、1

2016-06-26 15:19:47 | 病気のなおし方(自助努力)
1「がんの神様ありがとう」

(筑波大学名誉教授 村上和夫さん 育生会横浜病院院長 長堀優さんの対談)

🔸村上 長堀先生と前にお会いしたのはいつ頃でしたか?

🔹長堀 2年くらい前に横浜で開催されたシンポジウムで、講演者としてご一緒させていただいた時だと思います。

🔸村上 そうでしたね。最近、新しい病院に移られたそうで。

🔹長堀 平成27年の4月から、横浜市内にある育生会横浜病院の院長に就任させていただきました。

医療の柱には「キュア(治す)」と「ケマ(寄り添う、看取る)」の2つがあって、

私は特に「ケア」が今後の医療現場で大事になっていくと思ってきました。

今の病院は介護老人保健施設と、特別養護老人ホームを兼ね備えていて、

私がやりたいと思っていた医療ができるので、とても良い場を与えていただいたと感謝しております。

🔸村上 それはいいですね。ホスピスケアの草分けで柏木哲夫さんという方の講演テープを最近聞きましたが、

ホスピスの患者さんたちは
「ここにいると癒されます」
というようですね。

ほとんどの方が末期のがんだから病気は治りません。

それでも「自分の気持ちをわかってくれる」と患者さんが感じることが、

どれだけ癒しにつながっているかと大変感心しました。

先ほど「キュア」と「ケマ」の2つが医療の柱だと言われていましたが、

医療現場全体で見ると「ケア」というのは、まだまだ欠けているようですね。

🔹長堀 欠けてますね。はっきりかけています。

大きな理由として、これまで西洋医学が死ときちんと向き合ってこなかったことにあると、私は思っているんです。

🔸村上 医学部では私について何も教えないんですか。

🔹長堀 少なくとも私は教わっていません。結局、死というものを見ないようにしてきたわけです。

西洋的の二元論に立つと、「生」に対して「死」は敗北だと考えられてきました。

🔸村上 しかし死が敗北だとすると、人生の最期はみな敗北で終わってしまう。そんなおかしなことがあるんですか。

🔹長堀 まさにその通りです。でも私の若い頃には、外科医として「死は避けなければいけない」と思い込んでいました。

確かにそういった考えが、医学を進歩させたこたは間違いないと思います。

ただ、それだけでは収まりかつかないんです。人間は例外なく100%死んでしまうわけですから。

東洋には「生死一如(しょうじいちにょ)」という言葉があって、

これは、よく生きるためには死を意識しなければいけないという発想から生まれています。

ところが現代社会では、その死を遠ざけてしまった。

だから多くの人たちが生きる意味を見失ってしまったんです。

これだけ生活が豊かになったのに、毎年自殺する人が三万人もいて、子供たちの心が荒れている原因も、そこにあると私は見ています。

🔸村上 世の中には絶対の真理というのは少ないけど、生き物は必ず死ぬというのは紛れもない絶対の真理です。

それを医学だけでなく世間一般でも考えれ考えないようにしてきたことが、今の社会の大きな問題だと思うな。

人間には、誕生するための遺伝子、生きるための遺伝子、そして死ぬための遺伝子がプログラムされているから、死ぬことも、また自然なんです。


(つづく)