辻総合研究所ーTsuji Consulting

パリと東京を中心にして素敵な出会いや、いろんな地域の暮らしや文化、経済、新しい夢に向かっての動きをお伝えします。

ローマのオペラ

2007-06-05 00:16:29 | Weblog
ローマの古代遺跡に浮かびあがるイタリアのオペラー蝶々夫人―

2005年7月9日

夏の夜、イタリアローマのカラカラ古代浴場で7月9日、土曜日、2100から、2330までの公演だった。3部構成。ライトアップされた古代遺跡。昔は多くのひとがおとづれた浴場だった場所は、1年半(2003年11月から2005年5月まで)わたしが勤務した、国連FAO(国連食糧農業機関)の隣に位置している。

世界に誇る日本のオペラといえば、このマダムバタフライ、だろう。
芸者である15歳の蝶々さんが、アメリカ人のピンカートンと結婚し、3年まち、彼がかえってきたときは男の子もうまれていたが、アメリカ人の妻をつれてかえってきた。子供をひきとりたい、蝶々さんの世話もしたいという申し出をことわった。子供をひきわたし、不名誉のままでいきるよりは名誉ある死を選ぶ、日本人女性。芸者としての人生、没落した家の娘として、両親を助けるため芸者になった蝶々さんの有名な話だが、原作者は、ジョン、ルータ ロングの小説を、ダビッド、べラスコが戯曲化し、プッチニーはロンドンで戯曲を見た。オペラにしたいとおもったが、プッチーニは、イタリア語の翻訳イリカと、ジャコサに送った。1900年だった。
すぐにはできなかった。その後ルイジ、イリカ、ジョゼップ、ジャコサがオペラ台本化したものだ。プッチーニは音楽を、オペラの形にした。1904年、ミラノのスカラ座が初演だった。失敗に終わった。彼は、やり直した。数年後今度は、成功だった。

このカラカラ浴場で堪能したオペラは、オーケストラ指揮者は、ドナト、レゼテイ、コーラスの指揮者は、ジェア、ギャラテイ、監督は、レンゾ、ジャカキエリだ。

大変感動したのは、舞台の背景に日本のシンボルであるさくらが使われていて、その上に扇形の橋がこしらえてあったことだ。橋の下には、4つに仕切られた板には、さくらが、描かれていて、桜の模様は、美しい王朝の絵物語を見ているような気がした。それが、物語によって色合いがかわっていく。


ライトで明るくなり、時にはしーんとして、暗い情景になる。

わたしがカラカラ浴場でみた、場面では、数えた限りでは、23人の女性が着物をきて次から次へと現れる姿は圧巻だった。異国の地でみる日本の着物は、素晴らしかった。本物の着物というよりは、どちらかというと西洋の好みにあわせた、あるいは、着物地でつくった、イブニングドレスの上に着物を着るということになるだろうか。場面ごとにかわっていくので、すべておぼえていないが、蝶々夫人が最初にあらわれたときのシーンは、非常に清楚で気品のあるいでたちで、かさをさした、20人の女性にまじってひときわめだつのは薄い紫色の着物姿だった。わたしにとっては、日本人であることに誇りをもった強い瞬間だった。

薄紫色の着物をさらりと脱ぐと、あとで白い着物すがたになる。なまめかしい夜のいでたちにかわる。

ピンカートンの帰りを待ちわび、桜の花を用意し、美しく着飾る蝶々夫人の愛らしさがきわだつ。
蝶々夫人が、夢を見ているときのシーンは本当に夫であるピンカートンが戻り、3人で一緒にくらす幸福な様子がえがかれていた。しかし、現実の戻ったときのショックはおおきいだろう。蝶々さんが、夢からさめ、子供をピンカートンとアメリカ人の妻に預けることは、ひきとっって、2人の面倒をみるといわれても日本人としての誇りが許さない。

現実は冷たく、悲しく、アメリカ人妻ケイトとの予期せぬであい、対面。30分以内に、ピンカートンが、直接ひきとりにくれば、子供をわたすといったが、彼はこない。その後蝶々夫人は、自殺する。父親が使った同じ短刀だった。

ランプをもつ男性の衣装は、中国人のようだった。これも演出のひとつかもしれない。

蝶々夫人が、3年夫を信じ、帰りをまつことはそうできることではない。

第2幕目は、青色の着物姿になる。その後遠くからは、小花を散らしたピンク色にしかみえないが、イブニングドレスのようにみえた。

第二幕目は、ずっと夫を待ち続けている間、青色の着物姿になる。その後遠くからは、あでやかな、小花をちらしたピンク色の着物にみえるが、イタリア人女性の演じるマダムバタフライのしなを作り、片手で着物のすそを腕にかけるしぐさだが、さくらの花と、小枝を部屋中に飾り、庭にも飾り、迎えいれようとする女のこころいきがいじらしい。このシーンは、長く外国に住んでいると忘れがちなしぐさだ。日本女性の昔の姿をみているようだった。歌舞伎で男性が女性を演じることができるように、イタリア女性も日本人女性を演じることができるということを立証したということになるだろう。


夫が帰るしらせがとどいてからは、桜の花と小枝を部屋中に飾り、庭にも飾り迎え入れようとする女の心意気がいじらしい。不名誉をもちつつ生きるくらいなら、名誉をまもれないなら、死を選ぶかー簡単に今世界では、「カミカゼ」、「腹切り」といわれ言葉のみが、有名になっていくが、この「蝶々さん」の無念な思いが、3年まち、男の子と3人で、幸せな家庭を築きあげられるとおもったのにー芸者が、結婚するのも簡単ではなく、蝶々さんは、カトリック信者である、アメリカ人と結婚することで、伝統的な、仏教の僧侶からは、批判をうける。さまざまな他の、裕福な求婚者からの誘いもことわり、夫から、みはなされた、妻は、離婚だと、いいぬくる知人にも腹をたて夫を信じていることを主張してみせる、
蝶々夫人、彼女が死をえらんだのは、いろいろな反対や、批判をうけたにもかかwらず、夫が、アメリカ人の妻をつれてかえってきたとき、蝶々さんがおもったのは、ずっとその後もいわれながら、ああいする子供をひきわたして、気がかりな思いと心配な気持ちwpわすれていきるよりは、苦悩をとじこめ、解決するために選んだ死。

純粋な愛を一番大事と考えるいきかたは今すくないのかもしれない。

プッチーニの音楽と並んで、有名な音楽の一節は忘れがたい。西洋の窓口であった、出島があったのは、長崎。鎖国時代の唯一の外国との交流のあったところだ。

日本をはなれて10年11ヶ月たった。今年の9月23日で11年になる。成田から今はもうないAOLでパリへついたには、きのうのことのような気がする。

イタリアローマでみたひさしぶりの、着物、日本の伝統美、サムライの精神、死を準備し生きる日々、
自己を犠牲にする精神、日本の伝統精神の特徴ともいえるこの2つがよく描かれていた。


何回かパリで日本文化について質問されたが、このオペラは、西洋人の眼からみた日本であり、
イタリア人が(マリア、ピアイオナタ)演じるマダムバタフライであるが、11年ちかくヨーロッパ(パリに基盤をおき、イタリアローマへ1年半すみ、バングラデッシュに1年すんだが)にすみ仕事をしてきた一日本人女性として、日本文化の真髄を再発見した気持ちがして、途中で、感動して涙がながれるのをおさえることができなかった。

侍の姿をした裕福な男性が、かごにのせられて到着する。
マダムバタフライの求婚者。これも日本の古い、伝統のしきたりと近代化の狭間を描いているかと思う。舞台は1904年。明治時代。日本の歴史のうえで、サムライと日本の着物、芸者、さくら、そして切腹、(胸をさして死ぬのだが、)愛と名誉のためにしぬからこそ世界で、ミラノでもパリ(2006年に公演)でもローマでもヴェネチアでも演じられるのだろう。貫き通す愛は困難になりつつさるかもしれない。

これは、西洋からみた日本のイメージを集約したものだろう。子供が、ないてでてくるので、だきしめ、最後のほほ擦りをする。ジェスチャーは、本当に日本人とかわらない。イタリアのマリアが演じた蝶々夫人は今でもまぶたにやきついている。

夫にアメリカ人の妻がいることをしって、ひとりになり、のた打ち回る姿は、突然の別れの告白、あるいは、愛するひとのこころかわりをしったときのショック


をうけた経験をしたことのあるひとなら、理解できる。真実をしるつらい残酷な経験は、世界共通だろう。

イタリアローマのテアトル、デ、オペラは、夏になると、6月から8月は、外での野外オペラになる。カラカラ浴場でのオペラは、オペラファンなら一度入ってみたい場所だろう。去年は、ヴエルデイのオペラだった。

日本ではお芝居と映画化されたのはしっていたが、わたしは、まだ日本でもほかでも日本人女性の演じるオペラを直接みたことはない。一緒にみにいった国連の元同僚(オーストラリア人)からは、マダムバタフライを日本人女性が演じるのを日本でみてみたいといっていた。

ひとつの問いがでてくる。なぜ、蝶々さんは自殺したのだろうか。ピンカートンをころしたいとはおもわなかっただろうか。自分が死ぬ前にピンカートンをころし自分もしぬか、なぜ、伝統的な自殺をえらんだのだろうか。
3年まって夢にみたように、男の子と、3人で幸せな家庭を築けるとおもったのに、芸者が、結婚するのは簡単ではない時代。今でも芸者に関しては、あまりいい意味でかたられることはない。両親をたすけるために身をうり、芸者になった蝶々さん。15歳。その後、魂までうることはできなかっただろうか。

西洋と日本。いくつかのシーンでは1904年2月17日にミラノで最初のオペラ公演があった。そのとき、日本はすでに明治時代にはいり、サムライがかごにのってあらわれるというすがたは現実的にはなかったかとおもうが、日本が鎖国から開放されて、サムライも刀をすてたが、西洋人から見た日本は古いイメージとかさなり、西洋にはない独自性となり、オペラのような、総合芸術、(歌、演劇、ダンス、音楽、衣装、など)の場合は、古いイメージと創造性がかさなって面白いのかもしれない。






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