シューマッハカレッジ留学記

英国トトネスにあるシューマッハカレッジ。その在りし日々とイギリスのオーガニックな暮らしを記録した留学記です。

2.イギリス・ベジタリアン事情

2022-12-18 | 2.イギリス・ベジタリアン事情



いざシューマッハカレッジへ

 トトネスの宿の小さな部屋で目覚めると、その日の空はどこまでも爽やかに晴れ上がっていた。9月に入ったばかりであるのに、朝は長袖のシャツだけでは肌寒い。トトネスの小さな宿屋で数日を過ごした私は、大学院の寮が今日から開くので、そちらへと移動することにしていた。学校はトトネスの街から北に向かって車で10分程度の所にある。
 古い街並みの北端あたりにトトネス駅があり、そこを通りすぎると、左手に広い芝生の庭をもつ警察署がある。建物は白く塗られた普通の民家風で、POLICEという看板がなければ警察とはわからない。道は私立学校の芝生の広いグランドを突っ切るかたちで抜けて行く。グラウンドの向こうには、アーサー王物語を彷彿させるような幻想的な川面をもつダート川がながれている。広葉樹の茂った林の中をしばらく走ったあと、にわかに視界は開け、なだらかな丘陵に牧場や畑が連なる田園風景が目に飛び込んでくる。長い歴史を感じさる石造りのセントメリー教会の角を右折し、300メートルほど入ったところにシューマッハカレッジはあった。

部屋にはいつも新鮮な花を

 芝生の広い庭には巨大なナッツの大木と高くそびえる松の大木が、まるでご神木のように立っており、その奥に、古い屋敷を改造した二階建ての校舎があった。大学と言っても日本の大学のように大きなビルが立ち並ぶ光景とは全く違う。校舎には蔦がはり、長年の風雨に耐えたその壁面は、建てられてからずいぶん時がたっていることを伺がわせる。なんだか現世を越えた何かと繋がっているような、どこかそんな気持ちを抱かせさえする。



 学校の正門前に着き、車からスーツケースを降ろしていると、オレンジ色のワイシャツを着た一人の背の高い初老の紳士が手伝ってくれた。続いて校舎から何人かの大学スタッフが挨拶に出てきて、お互いに自己紹介をした。寮の部屋は大学の玄関の正面に位置した6畳くらいの個室で、部屋には机とベッド、そして洗面施設がついている。部屋で荷物をほどいていると、先ほどの初老の紳士が再び現れ、近くのダーティントン有機農園で栽培しているという花をいけた小さな花瓶を持ってきてくれた。シューマッハカレッジでは、使用している部屋には、いつも新鮮な花を飾るのが習慣なのだそうだ。そのころ私は、これまで生きてきた世界とは何か違う世界に足を踏み入れたことを、心の奥のどこかで感じていた。

「ゲーテの科学論」から授業がスタート!

 最初に出迎えてくれたオレンジ色のワイシャツの紳士こそ、私がこれから一年あまりに亘ってお世話になるブライアン・グッドウィン教授であった。大学院コースの教授兼統括責任者を勤めておられる。
 大学院初日は、グッドウィン教授の挨拶の後、早速授業が始まった。開講を記念するオープニングレクチャーは、ヘンリー・ボートフト博士による1週間の集中講義であった。ヘンリー・ボートフト博士はあの量子力学の大家であるデビット・ボームの研究室の出身者であり、イギリスにおいてゲーテの科学論研究の第一人者でもある。欧米でもゲーテの科学論への関心は時と共に高まっており、そのためか、授業には生徒のほかにも、他の先生、学校関係者も参加していた。しかしながら、渡英後すぐの私にとって、いきなりの哲学の授業はかなり厳しいものだった。従って、授業開始のその日から、学校が終われば、殆どの時間は辞書を片手に文献と格闘する、ハードな日々が始まった。

ベジタリアン料理教室のショートコースも

 授業が始まって暫くたった9月下旬に、シューマッハカレッジで定期的に開講される短期コースが始まった。今回のテーマは「The Zen of Cooking」。難解なテーマの多いシューマッハカレッジでは珍しく、主にアメリカ西海岸のカリフォルニア風ベジタリアン料理を教えるコースである。アメリカのサンフランシスコにある禅センター・Tassajaraなどで禅とベジタリアン料理を教え、いくつものベジタリアン料理の本も書いているエド・ブラウンさんが講師を担当した。Tassajaraというとサンフランシスコにある有名なベジタリアンレストラン「グリーンズ・レストラン」の母体でもあり、ブラウンさん自身、若い頃にグリーンズ・レストランで数年間働いていた経験を持っている。かなり恰幅の良い先生で、達磨さんのような風貌の持ち主である。
 授業で作られた料理を、大学院コースの私達も毎日お相伴に預かったのだが、蕎麦や豆腐といった日本の食材を上手に西洋風の料理に用いたり、玄米の思いもよらない使い方をしていたりと、どれも見事な料理に仕上がっていた。料理は広義の意味での「アート」であることを思い起こさせてくれる。まだ慣れない異国の地で、少々疲れ気味になっていた私にとって、The Zen of Cookingの料理は、私をお腹から和ませてくれた。

イギリスで増えるベジタリアン

 イギリスは狂牛病発祥の国という全く不名誉なレッテルを貼られ、さらにその後に口蹄疫の感染が広がったことから、それ以来、イギリス国民の肉に対する信頼は地に落ちてしまった。売られている肉の多くはアイルランド産など海外から輸入されているものが多い。
 そのような背景も有り、2001年の3月に新聞紙サンデータイムスによって行われたアンケート調査では全人口の12%の人が肉食を止めたという結果が出た。同時期に他のメディアや機関が行った調査でも、平均すると大体9%程度の人が「私はベジタリアンである」と述べていたとのことである。調査時期が口蹄疫事件の直後ということもあり、その数値については少々割り引いて考えなければならないが、実際、イギリスにおいてはベジタリアンは珍しくはなく、私の実感としても10人~15人に1人くらいはベジタリアンと考えて差し支えないだろう。トトネス周辺ではその比率はもっと高いものと思われる。きちんとしたレストランでは、大抵のところがメニューにベジタリアン向けの献立を用意されていた。


トトネス郊外にあるオーガニック農場

 ベジタリアンになる理由は種々様々であり、健康のことを考えてベジタリアンになった人、動物愛護の立場から肉を食べない人、宗教的理由の人、生理的に肉を食べることのできない人、環境保護のことを考えて環境負荷の大きい肉類を避ける人、などまさに十人十色である。

マクロビオティック桜沢氏の弟子との出会い

 「The Zen of Cooking」の参加者の中で、トトネスに住み、長く菜食を続けておられるお二人と出会うことができた。一人はマクロビオティックを実践しているWさんと、もう一人は敬虔な仏教徒である建築家Jさんである。
 Wさんは、パリの大学で博士号を得た後、暫くパリで働いていたのち、桜沢如一氏とマクロビオティックに出会い、主にフランスにおいてマクロビオティックの普及活動に活躍された方である。その後アメリカの西海岸に渡り、マクロビオティックを実践する共同体の一員として自給自足のライフスタイルを実践されていた。「むすび」の前身「コンパ21」や「正食」でもしばしば登場されていたクリマック吉見さんとも親しかったそうである。Wさんは若い頃から精神世界の方面にも造詣が深く、60年代にはイギリス北部にある共同体フィンドホーンも訪れたことがあるそうで、本で紹介されているような大きくて立派な野菜が、当時は本当に採れていたと話しておられた。
 昨今、マクロビオティックというと食事法、病気治しの手段として知られる傾向が強いが、Wさんのような桜沢如一氏に直接教えられた世代の方々とお会いすると、マクロビオティックとは本来は哲学であり自然観であることを再認識させてくれる。できるだけ身近で採れる作物を食し、質素で清々しいライフスタイルを実践され、宇宙と調和した生き方を、食事の面のみならず、生活の仕方や行動の中でもしておられる。
 日本では知る人の少ない「マクロビオティック」という言葉も、イギリスにおいては市民権を得た言葉となっている。あのオックスフォード大辞典にも、「マクロビオティック」は掲載され解説がなされている。桜沢さんをはじめ、彼と共に海外で普及活動をされた方々のご努力とその成果には、本当に頭の下がる思いである。

仏教哲学を学んだビーガンのJさん

 一方Jさんは、「ビーガン」といわれる一切の動物性蛋白質を食べない主義の方である。トトネスにある仏教系の大学院で仏教哲学を学び、そのままトトネスに定住された。Jさんは、建築家らしい素敵な家に住んでおられ、お宅の窓からは、遠くに美しい曲線を描いてたたずむダートムーアの丘陵を見渡すことができる。料理の腕もすばらしく、定期的に自宅で開かれるミニコンサートつきのパーティーでは、野菜、きのこ、ナッツ、豆、などを実に上手に使い、スープからメインディッシュ、デザートまで全てを自分で作られていた。そのパーティー料理は、ベジタリアンでない人でも舌鼓を打つほどで、いつも大好評であった。
 WさんもJさんも、私がトトネスに滞在している間を通じて、何度も食事に招いてくださった。そして、食べ物の話や、トトネスでの生活のこと、学校のこと、イギリスと日本の文化のこと、そして哲学や精神世界に関する話などを、おいしいベジタリアン料理を囲みながら楽しんだ。そこにはいつも、平和で、ゆっくりとした時間が流れていた。私はシューマッハカレッジへの留学期間中、その前の10年間に比してあまりあるくらい様々なことを学んだが、中でもこのお二人との出会いは、その思い出に豊かな色彩を加えてくれた。


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