シューマッハカレッジの創設に深く関わり、その後もプログラムディレクターとして学校運営に携わっておられるサティシュ・クマール氏が、2007年に来日された折に、長野県安曇野において3日間にわたって滞在され、約30名の方々とともに、貴重な時間をともに過ごされました。
以下の記事は、サティシュ・クマール氏のことと安曇野での3日間のことを兼ねて、マクロビオティックの月刊誌「むすび」誌の2007年7月号に寄稿したものです。その号は既に完売してしまい、入手が不可能になったことから、オリジナル原稿をもとにインターネット版として掲載することにしました。
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平和への旅路
~ サティシュ・クマールの半生と思想
シャロムヒュッテの臼井氏(左)と意気投合するサティシュ・クマール氏(右)
2007年4月29日。その日の安曇野は、眩しいほどに青く澄み亘った空に、ワイシャツ一枚が心地良い暖かさであった。昨日は冷たい風と激しい雨の嵐のような一日だったそうである。しかし、それはあたかも夢だったかのように、気温はぐんぐんあがり、木々のこずえには新緑が芽吹き、地面では様々な草花が勢いを増し、さわやかな自然の香りを漂わせている。天と地と様々な生命の息吹に包まれたこの一瞬は、全てが繋がり、調和に満ちた平和の一つの姿を、自然が私たち人間に見せてくれているかの様であった。
その安曇野にある、広い農園と林に囲まれたマクロビオティックの宿“シャロムヒュッテ”の庭先に、スローライフの提唱者である辻信一さんに連れられて現れたのは、今や平和運動やエコロジーの分野、或いは、精神性を重視した新しい社会づくりにおける分野において、思想家として、活動家として世界的に知られ、欧米ではカリスマ的存在にもなっているサティシュ・クマール氏であった。今日から2泊3日の間、辻氏やクマール氏の著書の翻訳をされた尾関氏のご家族とともに、じっくりと彼の思想を聞き、私達の歩むべき方向を語り合おうというのである。
母の教えとジャイナ教
クマール氏のこれまでの人生は、まさにミラクル(奇跡)であり、ドラマチックであり、感動に満ちている。そして、人と自然(神)を信頼し、他者への愛と感謝に満ちた毎日を送ることに貫かれている。そこには、自然は全てのものが繋がりあい、お互いに影響しあい、依存しあいながら生命の営みを行っており、決して部分を切り離して考えることはできない自然観が原点にある。
クマール氏は、インドの田舎の農村で、質素でありながら、豊かな自然と特に母親からの愛とに満ちた環境の中で育てられた。母親は、インド古来のジャイナ教の熱心な教徒であったが、自らもある種の神秘的な能力のある体質の持ち主だったらしく、クマール氏の成長を見計らいながら、自然界のしくみや人間の生き方、自然と人間との関係や、暮らしのための智恵など、様々なことを教えてくれたそうである。
クマール氏が8歳になったある日、母親は、庭先に生えている野生のプラムの木の前でクマール氏に語った。プラムの木は自然の営みの中に身を任せ、宇宙の進行とともに生きている。私たち人間も、過ぎた自尊心や孤立することを止めて、他人を自分と同じように尊重しながら、生命の流れの中で生きていくならば、プラムのように沢山の実をつけることになるだろう。もちろん、一人一人の個性も大事である。それは種が一つ一つに分かれるために殻を必要とするのと同じである。しかし、種は芽吹くと殻を脱ぎ去り、他の生命との共生の中で生きていく。人間も、ある一時期は個性(エゴ)を必要とするが、種が殻を捨てるのと同様に、いずれ個性(エゴ)を捨て、他人や自然との深い結びつきの中で生きていくことが必要なのだと。
クマール氏は9歳のときにジャイナ教の修行僧として出家した。そこでも様々な導師たちから教えを受け、彼の思想はますます深まっていった。彼が18歳のときに、その後の人生を大きく方向付けた一冊の本と出会った。それは非暴力思想を世界に知らしめ、今でも世界の多くの人の精神的支柱となっているマハトマ・ガンジーの自伝であった。それを読んだクマール氏は、ジャイナ教の修行僧や尼僧のように、一般の社会から離れて修行を行い、自らの救済の道を求めていられるのは、限られた小数の特権であり、世の中には沢山の救済を求めている人がいるからには、自分はその人たちのために何か行うべきだと考えた。そして、彼はなんと、僧門を出て、再び一般の社会へと戻ってきたのであった。
ピースウォーク
彼はその後、核兵器の廃絶を訴えるために、友人とともに、インドからモスクワ、パリ、ロンドン、そしてワシントンまで徒歩で歩きとおすピースウォークを行った。彼らはあえてお金を一銭も持たずに旅に出た。もしお金を持っていたとしたら、疲れたらホテルに泊まり、お腹が空いたらレストランに入ってしまう。すると、人と話しをする機会もなくなってしまい、折角の旅の意味も薄れてしまう。
また、彼らは旅の道中もベジタリアンを貫いた。自分たちがベジタリアンであることを話すと、きっと人々は何故ベジタリアンなのかと聞くことになる。それは、自分たちの非暴力と平和の理念を説明するきっかけとなったからだ。二人はガンジーの墓の前を起点にして、神とこれから出合うだろう人々だけを信じて出発した。実際、毎日、様々な人が彼らに寝るところや食べ物をすすんで提供してくれた。彼らは、8000マイル(12000キロ)を歩き通し、ワシントンのホワイトハウスまで無事にたどり着き、最後はやはり凶弾に倒れたJ.F.ケネディーの墓の前を終着点として無事に旅を終えたのであった。
サティシュを囲みながら参加者全員で安曇野ウォーク
リサージェンスと二つの学校
クマール氏は、その後、バートランド・ラッセル、クリシュナムルティー、マーチン・ルーサー・キング、そして、「スモール・イズ・ビューティフル」の言葉で知られる経済学者F.E.シューマッハなど、偉大なる先人たちと会い、語り合った。イギリスに渡ったあとは、自然との共生や精神性を重んじるライフスタイルを提唱する雑誌「リサージェンス(RESURGENCE)」の編集長の座につき、美しい小さな田舎町であるハートランドに住みながら、編集、執筆、講演などの仕事をこなしている。
また、彼はこれまでに世界的に知られる二つの学校を設立した。その一つが、子どもの教育のためのスモールスクールである。
小さな町であるハートランドには、小学校はあったが中学校は無く、子どもたちは一時間もかけて隣町まで通わなければならなかった。しかも折角時間をかけて通う学校は、それぞれの子ども達の性格や学習進度を考慮した教育を行うには、規模が大きすぎて無理だったのである。そこでクマール氏は、スモールスクールと言う、その名のとおりの学校を作ったのだった。生徒が十数人のその学校では、授業の50%は正規の授業を行うのだが、残りの半分は、地域の人も協力して、暮らしのために必要な実際的な技術、例えば家作りなどを教えている。この学校は、イギリスのみならず世界にも紹介されるようになり、世界各地でこのタイプの学校が追随して設立されているそうである。
もう一つの学校は、大人のためにつくられたシューマッハカレッジである。ここは、持続可能であり、精神性の高い社会づくりを行うために役立つ智恵を教えることを目的にしている。環境、食、経済、建築、心理学、芸術など、様々な分野の授業が開かれている。経済学者シューマッハの名前を冠にしたこの学校には、シューマッハの思想に共鳴する世界的な活動家や研究者が講師として招かれ、参加者は2~3週間のあいだ、寝食をともにしながら、じっくりと彼らの考え方や智恵を学ぶことができる。1998年からはホリスティックサイエンスという、世界の全体性を学ぶ正規の大学院コースも開設されている。参加者も、日本も含め、世界各地から来ており、世界でも稀に見る学校となっている。
世界を変えるもう一つの生き方とは
さて、そのようなクマール氏が安曇野で語ったメッセージの中心は、現代の一般的な価値観、経済、社会の考え方とは一線を画す、もう一つの生き方の提唱であった。今の世界は不安と恐怖に満ちており、それに基づいて様々な判断と行動とがなされている。既に世界的な環境破壊や利己主義に満ちた経済活動、そして大量消費文化を特徴とする今の地球は破綻に近づいているとよく言われるが、それに対して不安や恐怖に基づいてヒステリックな反対行動を行うことは、問題を引き起こしているものと同じ次元であり、同じような結果を引き起こすとクマール氏は忠告する。対立では問題は解決しない。一人一人の個人が変わらなければ、本当の世界の平和は訪ずれないのだ。
大事なのは、一人一人が愛に基づいて毎日の一つ一つの判断や行動を行い、常に、どの瞬間も、自分がこうありたいという「自分」を生きることである。人間のみならず自然に対しても非暴力であることに注意を払いつつ、自然と共生した生活を実践すること。決して他人を否定したり、自分の理想を他人に押し付けたりすることも行わない。
国や人種や文化が違っていても、人がこころの深いところで感じる喜び(JOY)は時空を越えて共通する。その喜び(JOY)の感覚こそが私達が生きる上での最も大事な指針となるはずだと、クマール氏は話の最後を締めくくったのであった。
シャロムヒュッテの周辺は生命の多様性に満ちていた
(終わり)