シューマッハカレッジ留学記

英国トトネスにあるシューマッハカレッジ。その在りし日々とイギリスのオーガニックな暮らしを記録した留学記です。

4.遺伝子組み換え技術の波紋

2022-12-18 | 4.遺伝子組み換え技術の波紋



待ちこがれた春の訪れを告げる可憐な花

イギリスは緯度が高いところにあるだけに、冬場は朝は8時ごろにようやく明るくなり始め、夕方4時には真っ暗になる。しかも、数日おきに西の方から低気圧が次々と通り過ぎて行くことから、一週間のうち半分は雨の日となる。従って、イギリスでは冬場に“うつ”に悩まされる人も少なくないらしく、社会的問題にもなっている。しかし、このイギリス独特の、暗く、雨の多い冬も峠を超えると、まず最初に、庭や道端には小さな可憐なスノードロップ(マツユキソウ)の花が至る所に咲きはじめる。高さは15センチくらいのほっそりした容姿で、花は白百合を2センチくらいに小さくしたような形をしており、それが鈴なり咲く姿は、本当に可憐としか言い様がない。スノードロップが初めて咲いた日、私が通っていたシューマッハカレッジのスタッフも口々に花が咲いたことをうれしそうに話していた。どうやら彼らにとって、スノードロップは春の訪れを告げる、日本でいうと梅や桜のような花のようだった。スノードロップが最盛期を迎えたあとは、今度は20センチから30センチくらいある水仙の大きな株が野原や林の中など至る所に現れ、黄や白の花を一斉に咲かせてくれる。そのあとはもう春本番。様々な草木が次々と咲きみだれ、木々の枝は美しい新緑に染まる。生命の息吹が鮮やかな色で彩られるイギリスの春は、変化に富み、美しく本当に楽しみいっぱいの季節である。

悲しげな表情をした初老の科学者

そんな冬の峠をすぎかけたある日の夕方、私の指導担当であるグッドウィン教授から突然電話がかかった。電話の内容は次のようなことだった。スコットランドで遺伝子組換え作物の研究をしていた科学者に連絡をとったところ、シューマッハカレッジで是非話しをしたいとのことから、私にも出席するようにとのことだった。

冷たい雨が降る夕方だった。大学の講堂には、丁度その時に開講していた「農業・生命科学の安全性と民主主義」と題した短期コースの参加者の他、大学関係者など30名ほどが集まっていた。その中には、チベットのラダッカ地方の自然環境と伝統文化の多様性を維持するのための活動で世界的に知られ、もう一つのノーベル平和賞ともいわれるライト・ライブリフッド賞を受賞したヘレナ・ノーバーグ・ホッジさんの顔も見えた。スコットランドから来たという初老の科学者は、ほとんど笑うことも無く、見るからに落ち込んだ、悲しげな表情をしていた。東欧の出身らしく、彼の話し言葉にはかなりの訛があった。

遺伝子操作ジャガイモでネズミに健康障害が

彼は、つい数ヶ月前まで、ローウェットという研究所で研究員として働いていた。そこで彼は、遺伝子組換え作物の研究のため、スノードロップの根に存在するレクチンという毒素を作り出す遺伝子をジャガイモに組込み、それをネズミに食べさせる実験をしていた。この実験ではネズミを3つのグループに分け、①普通の生シャガイモ、②普通の生ジャガイモにレクチンを混ぜたもの、③スノードロップのレクチンを生み出す遺伝子を組込んだ生ジャガイモ、をそれぞれ食べさせた。その結果、③の遺伝子組換えジャガイモを食べ続けたネズミだけに健康障害や免疫機能の低下が現れたのである。②のグループの結果では、レクチンを食べさせたネズミは健康障害を起こすことはなかったことから、それを考え合わせると、遺伝子組換えジャガイモが、単にレクチンを生み出すだけではなく、何か別の変化をとげ、それがネズミに健康障害を引き起こしている可能性が判ったのである。ヨーロッパでは遺伝子組換え作物のことをフランケンシュタイン作物というが、まさにそれが確認されたのである。この研究は、一旦、マスコミにも注目された。しかし、すぐに政府やバイオ企業と関係の深いローウェット研究所の幹部たちは、実験の詳細データの一切をこの科学者から取り上げたあと、この実験には不備が多いと一方的に発表し、この科学者を研究所から解雇してしまったのである。彼がシューマッハカレッジに来たのはその直後であった。彼が見るからに悲嘆に暮れていたのも無理はない。その科学者の名前はプシュタイ博士と言った。

翌日、グッドウィン教授と私は、ヘレナさんを交えて私の研究論文について話し合うために学校の一室に集まっていた。だが、グッドウィン教授とホッジさんは、私の研究のことなどそっちのけで、昨日のプシュタイ博士の一件について数時間に亘って議論した。そして最後に、研究所がプシュタイ博士に行った行為は極めて不当なものと考えられることから、プシュタイ博士の科学者としての尊厳を回復し、世間にこの事実を広く知ってもらうために、出きるだけのことをしようとの結論に至った。私の面前で決まったこの二人のささやかな誓いが、この後、イギリス中を論争の渦に巻き込むことになった。

ささやかな反旗が、大きな反響を!

それから10日ほど経ったある日、テレビを見ていた妻が大声で私を呼んだ。イギリスの国営放送であるBBCのニュース番組で、何とグッドウィン教授がロンドン名所の一つのウェストミンスター寺院の時計台をバックに、記者達からインタビューを受けているではないか!その場所は、イギリスの国会議員などがインタビューを受ける定番の場所である。その日、グッドウィン教授は、知り合いの国際的に活躍する科学者らとともに、20人の連名でマスコミに意見発表したのである。グッドウィン教授らはプシュタイ博士の名誉回復を求めただけなのだが、マスコミはむしろ、あたかも遺伝子組換え作物の危険性が多く、それを国際的科学者によって支持されたと言わんばかりの報道を行い、この日から一週間あまりにわたって、ニュースのたびに遺伝子組換え作物のことがスキャンダラスに取り上げられた。しかし、そのおかげで、イギリス国内では一般の人でも遺伝子組換え作物への関心が急速に高まり、大手スーパーチェーンの中には遺伝子組換え作物を一切扱わないと宣言したところも出てくる程であった。そして、遺伝子組換えを、どちらかというと容認する方向で進んでいたブレヤー首相や政府関係者も、かなり苦しい立場でのコメントを述べざるを得なくなってしまった。これにより、プシュタイ博士の科学者としての名誉は無事に回復し、その後、彼は世界中から講演を依頼されるようになったほか、彼の研究も不当に封印されることなく、その後に出版された多くの本や雑誌に紹介され、広く世界中に知られることとなった。

ユニークな反対運動

時は過ぎ、7月の半ばの暑い日のことだった。イギリス全土から遺伝子組換え作物に反対する人々が、各地からバスをチャーターして、イギリス中部にあった遺伝子組換え作物の実験農場に集まり、一斉に収穫前の作物を刈り取るといった事件が起こった。シューマッハカレッジからも、その時に短期コースに来ていた人達を中心にした十数人が、その日の朝早く、チャーターされたバスに乗ってこの反対運動に参加した。皆が白衣を着て科学者の格好をして刈り取りを行うといった、欧米らしいデモンストレーションも兼ねた反対運動だった。これも、ニュース番組や雑誌に取り上げられ、広く国民に対して遺伝子組換え作物が問題であることを強く印象付ける結果となった。

実はグッドウィン教授と、彼の妹分でもあり、やはりシューマッハカレッジの講師もつとめる分子生物学者のメイワン・ホー教授とは、遺伝子組換え技術の危険性について警告を発し続けている、この分野では世界的に知られた人たちである。では、なぜ二人は遺伝子組換えが深刻な危険性をはらんでいると考えるのだろうか。折角だから、少しばかり簡単にまとめておこう。

なぜ、遺伝子組み換えが深刻な危険性をはらんでいるのか

近年、私達は、害虫に対して強くされた遺伝子組換え作物が、実は関係ない他の虫まで殺してしまっていることなどの報道をよく耳にする。遺伝子組換え作物が、意図した目的以外に連鎖的に他の生物へ悪影響を及ぼしているのである。私達が住むこの地球上では、全ての生き物がお互いに繋がりあい、持ちつ持たれつしながら生活を共にしている。それは地球誕生から36億年あまりの長い年月をかけて進化して作り上げられた、極めて緻密でかつ壮大な生命の網の目“The Web of Life”なのである。しかし、遺伝子組換え作物は、その網の目を変更しようとしているのである。全てが繋がっている自然界においては、無用心な網の目一つの変更が、必ずドミノ倒しのように他に影響してくるのである。

遺伝子組換え作物については、長所をあげるよりも、短所の方が圧倒的に多い。厳密に言うと長所などないといっても過言ではない。遺伝子というものは、そもそも生き物の種類の壁を越えてはお互いに影響しないようにできている。しかし、それを人工的に可能にしたのが遺伝子組換え技術なのである。遺伝子組換えを推進する科学者達は、「大丈夫」「安全である」と言っていたにもかかわらず、その舌が乾かないうちに、私達のごく身近なところで、「遺伝子汚染」が確認され、いまも広まりつつあるのだ。

問われる科学者の倫理観

遺伝子組換えの話しになると、本当に悪夢を見ている思いがするのは私だけではないはずである。まだまだ沢山、遺伝子組換えの問題点はある。もっと詳しく知りたい方には、メイワン・ホー教授が2000年に出版した「Genetic Engineering」(邦訳「遺伝子を操作する」小沢元彦氏訳、三交社)を是非お奨めしたい。



この本の中で教授は、豊富なデータを分析した上で、遺伝子組換え技術が自然界の遺伝子の暴走を招く危険性を秘め、核問題と同じくらい大変な状況であることを明らかにしている。かつてレイチェル・カーソンの「沈黙の春」が環境破壊を世に知らしめ、シーア・コルボーンらの「奪われし未来」が環境ホルモンの危険性を明らかにしたと同じように、この本は遺伝子操作が引き起こす「遺伝子汚染」への警告の書として、現代にとって極めて重要な本の一つであることは間違いないだろう。

グッドウィン教授やメイワン・ホー教授は、遺伝子組換えの問題の根底には、科学者の物の考え方や倫理観の問題が、根深く横たわっていると指摘している。この本質的な問題が解決しない限り、新たな技術が開発されるたびに、また同じようなことが繰り返されるのは誰の目にも明らかである。今、両教授をはじめとする一部の科学者は、これまで世界を席巻し、私達の物の見方さえをも洗脳しつづけてきた現代の科学のあり方に代わる、新しい科学のあり方を提唱している。このことは、これからの私達の子供の世代の教育にも密接に関わることから、いずれまた分かり易くご紹介したいと思う。


トトネスからシャーパン財団へぬける道にて。あの大木たちは、遺伝子組み換えをどのように思っているのだろうか?