シューマッハカレッジ留学記

英国トトネスにあるシューマッハカレッジ。その在りし日々とイギリスのオーガニックな暮らしを記録した留学記です。

8.生命の進化の本質とは

2022-12-18 | 8.生命の進化の本質



ダーティントンの夏

 シューマッハカレッジのあるダーティントンでは、毎年7月から8月の約1ヶ月のあいだ“ダーティントン国際音楽学校”が開かれる。世界を舞台に活躍する音楽家などが教師となり、やはり世界各地から集まって来た音大生やセミプロ、一般の人々に対して、コーラスから弦楽器、管楽器まで幅広い授業が行われる。そして、ほとんど毎晩の様に音楽会も催され、ダーティントンは一年で最も華やかに賑わう時期となる。
 沢山の人が集まることから、その宿泊の確保も大変であり、敷地内での宿泊可能な場所は全て貸し出されてしまう。キャンピングカーで来たりテントを持ってきて宿泊する人もいるので、牧場の一部も開放されるほどである。

 そのころ大学の寮にいた妻と私も出て行かなければならなくなり、夏の間だけの居所を探さなければならなくなった。トトネス周辺で気候のよい夏に借り住まいを探すのは難しい。いろいろと探したあげく、結局、現地にお住まいの日本人のつてで、そのお友達の家の一部を貸してもらえることになり、私達は有難く学校の寮からそこへと移動した。
 場所はトトネスから車で30分ほどのトーキーという街で、イギリスのリビエラと言われ、大きなリゾートホテルなどもある賑やかな観光地である。日本で言うとちょうど熱海か白浜といった感じの町であった。丁度その夏、私達は一生の内で見られるか見られないかの一大イベントに、偶然にもそのトーキーで巡り合うことができたのだった。

完全日食の大スペクタクル

 8月11日。国営放送BBCのニュースが朝から何だか騒々しく、トーキーにもにわかに人が集まってきているらしい。実は、この日のお昼前に太陽と月とが完全に重なる日食がこの地域で起こるというのであった。それは大西洋を起点としてイギリス南西部からトルコを通りインドに至る幅数百キロの帯の範囲でおこるというものだった。地球規模からするとまるで線のように細い帯の中に、幸運にもここデボン州と隣のコンウォール州が入っていたのである。
 私達は、丘が多いトーキーの中で、比較的広く空を見わたすことのできる海のそばの公園に出掛けて行った。公園には、太陽を見るための特殊なサングラスを手に持った人で既に溢れかえっていた。


完全日食を見に集まった人々、日が暮れたように街灯も点灯した

 太陽を見上げると既に3分の1が月で覆い隠されていたにもかかわらず、周りの明るさは大して普段とは変らない感じであった。だが、さすがに完全日食の時間に近づくと急速に空は暗くなり、公園や通りの街灯が一斉につき始めた。間もなく、周囲はちょうど日が落ちて暫くたった位の薄暗さにまでなっていった。
 予測されていたこととはいえ、周囲の人達も次はどうなるのか分からず何だかそわそわしているのが感じられた。それから5分か10分くらいたったころ、西の空のはるか彼方に明るく日が差す一角が現れた。明るい部分はみるみるうちに広がってきて、気がつくと空の西側は明るく、東側は暗黒の空といった、あたかも世界が二分されたような実に不思議な光景となっていった。
 そして、だんだんと暗黒の世界が東の彼方に去っていくと、街灯の明かりも次々と消えていき、まるで何もなかったかのような普段の明るさが戻ってきた。暗くなるときは目が慣れてくるせいか、夕方が早く訪れたといった程度で感動は少ないのだが、むしろ、明るくなって行く時の方が感動は大きかった。
 それは、太陽と地球と月が実際に宇宙に浮かんでいて、お互いに関連しながら動いていることを実物大で見て、感じられるからに違いない。

誤解されてきたダーウィンの進化論

 この広大な宇宙の中で、遠い星、近い星から様々な影響を受けながら浮かんでいる地球であるが、偶然か必然か、この星には様々な生命が満ち溢れ、長い年月をかけて進化を遂げてきた。一体何の為に、どの様にして生命が形成され、進化してきたのかという疑問に対して、昔から今に至るまで、数多くの人々が答えを探し求めてきた。

 百五十年ほど前にイギリスのダーウィンが、生物の進化について「自然界にはあたかも自然淘汰が存在する様だ…」と述べたがばっかりに、多くの生物学者はそれを「生物は競争原理に基づいて、最も強いもの、優れたものが生き残る」と解釈してしまった。ダーウィン自身、自分は決してそうは考えていないと言っているにもかかわらず、近年に至るまで競争原理の考え方が一人歩きし、多くの人の信じるところとなってしまった。

 だが、進化の考え方はいま大きく変ってきており、競争原理による説明は明らかに時代遅れのものになりつつある。その流れに大きな影響を与えた二人の世界的な学者がシューマッハカレッジを訪れた。一人はチリに住むフンベルト・マチュラナ博士、もう一人はシューマッハカレッジからそう遠くないところに住むジェームズ・ラブロック博士であった。

マチュラナ博士との出会い

 ある日の夕方、夕食までまだ時間があったことから、私は本を探そうと図書室に入っていった。図書室はもう既に薄暗く、しんと静まり返っていた。私が明かりをつけると、誰もいないと思っていた図書室に突然「サンキュー」という言葉が響いた。あわてて室内を見まわすと、図書室の片隅に歳の頃は60歳くらいか、眼鏡をかけ髭をはやした、学校ではあまり見かけない小柄の男の人が座っていた。

 その人こそ、若い頃から国際的に高い評価をうけ、ノーベル賞級の学者などが集まる国際会議には招待され、ダライラマが出席する会議ではダライラマの隣の席をあてがわれるという、名実ともに今の時代を代表する学者であるフンベルト・マチュラナ博士であった。

 マチュラナ博士は若い頃に、生物がどのように外界を認識しているかを研究し、早くから世界的に知られる学者となった。後年、その仕組みを突き詰めていくと、それが生物の成長や進化の仕組みにも共通することを突止め、弟子のヴァレーラとともに「オートポイエーシス(自己生成)」理論として発表したのだった。

自然界の進化は、「愛」が基本となっている

 彼の理論を強引に一言で言うならば、「全ての自然界の生物が行っている基本原理は、自分を取り巻く環境を受け入れて、自らを環境に合わせて変化させ、適応させる」というものである。
 これまでの進化論では、進化は「生存競争」の結果としか考えられていなかったのに対して、マチュラナ教授は、生物界では外界を受け入れ自らを外界に適応させるという協調的な原理が働いており、それこそが進化を推し進める原動力となっていると説明している。

 さらに彼は、その自然界共通の原理は、私達が普段「愛」と言っている、まさにそれと本質的に同じものであるという結論にまで行きついたのであった。逆にいうならば、自然界は「愛」によって成り立っているというのである。何だかニューエイジの思想の様であるが、これはれっきとした「科学」である。そこが彼のすごいところであり、彼は初めて「愛」を「科学」的に説明した最初の人物であるとも言われている。

人間界に、生物界の基本原理を取り戻す

 これは生物の世界のみならず人間社会にもあてはまる。マチュラナ博士は集中講義の最後の時間に、次のことを語ってくれた。今日までに人間社会で繰り返されてきた全ての悲劇の原因は、人間が生物界の基本原理である「共存」「協調」の生き方から離れてしまったためだという。

 人類は、牧畜や農耕を始めた頃から、「所有」という概念に目覚めた。すると日常生活の中に「不安」や「管理の概念」、他人に対する「不信」が芽生え始め、それが武器の発明に繋がり、搾取と貧困を生み出し、挙句の果ては原子爆弾まで作ってしまったというのである。
 人類はもう一度「他者(環境)を受け入れ、自らを他者(環境)に合わせて変化させ適応して行く」といった生物界の基本原理を取り戻すことが必要であり、それこそ「愛」であり、「倫理」であり、人類の「責任」であるとして講義は締めくくられた。

 誰もが息を呑んでマチュラナ博士の話しに聞き入り、話しが終わると教室は拍手で満ち溢れた。その後、生徒の皆は口々に「サンキュー!フンベルト」と言って彼に握手を求めたのだった。
 私も学校の授業でこの時ほど感動を覚えたのは、後にも先にもない。そして何よりも、この授業のおかげで、人類を含めた大自然の全てのものは、共通の基盤の上でお互いに深く「むすび」つき、無数に分かれていながら一つの生命を形成していることを、極めて確信に近い形で、初めて論理的、科学的に理解することが出来たのだった。



地球や生物界との共進化してきた人類

 マチュラナ博士は、地球が一つの有機的システムとして成り立っているとする、ジェームズ・ラブロック博士のガイア理論を高く評価していた。そのラブロック博士が、最も大事なこととして語ってくれたのは「共進化(Co-evolution)」ということだった。
 あまり日本では聞きなれない言葉だが、その意味は、生物は自分が生き残るだけの為に進化を競い合っているのではなく、自分を取り巻く環境全体に調和、適応するために、他の全ての生物や地球環境とともに共同で進化しているということである。

 また、「共進化」の中にはもう一つの意味合いも含まれており、それは主に細胞レベルの出来事であるが、全く別種の生物が、何らかの理由で片方がもう一方に取り込まれる形で進化する仕方があるというものである。人間の細胞の中のミトコンドリアも、かつては別の生物だったものが、進化の過程で人間の細胞の先祖に入りこんだことが分かっている。実は人間の身体は他の生物との共同作品だったのだ。

 「共進化」という言葉は、きっとこれから主流になっていくだろう進化論を表わすキーワードとなるだろう。「共進化」の考え方では、大自然と人間とが決して切り離されることはなく、人間を含む全ての生物は同等であり、大自然を共に構成する一員として相互に依存しあう必要不可欠な存在であることが基本となっている。

 このようなことが学校で教えられるようになってくれば、環境や農業、食や消費の仕方などの考え方も、いま主流となっている考え方から大きく変らざるを得ないだろう。そのことからも、未来の社会は必ず明るいはずであると、私は確信している。

 トトネス周辺では8月の半ばともなると、麦の穂が既に金色に輝きはじめ、それが青い空を背景に大西洋からの風にたなびく姿が美しい。そして、8月の後半になると賑やかだった音楽学校も終わり、ダーティントンにはいつもの静けさが戻ってくる。8月の末には麦も一斉に刈り取られ、周囲は急速に秋の気配が濃くなって行く。