シューマッハカレッジ留学記

英国トトネスにあるシューマッハカレッジ。その在りし日々とイギリスのオーガニックな暮らしを記録した留学記です。

10.自然界の仕組みから学ぶ社会システム

2022-12-18 | 10.自然のしくみから学ぶ社会



お互いのために働く幸せ

 ある日、トトネスに住んでいた友人のJさんが、彼が習っているビオラ・ダ・ガンバ(チェロの先祖)の先生が近くの街でコンサートを開くから来ないかと誘ってくれた。私も学生時代にオーケストラでチェロを弾いていたこともあり、妻と私は喜んでその誘いを受けて、演奏会場であるアッシュバートンという小さな街にある石造りの古い教会に足を運んだ。

 演奏者が壇上に上がったとき、妻が驚いたように私に言った。何とその演奏者は、いつもにこやかな笑顔で有機野菜と水とを宅配してくれているマイケルさんだったのである。後で知った話しだが、彼はロンドンの音楽大学を卒業後、エレクトリック・ライト・オーケストラ(通称ELO)という、結構世界的に知られたバンドに所属していた。その後、よりエコロジカルでスピリチュアルな生活を求めて、この地に移ってきたのであった。そして、オーガニックな地元食材と水とを各家庭に宅配する会社を始め、その合間をぬって好きなチェロやビオラダガンバを教えたり演奏したりする生活を送っているのだ。

 教会の窓からは、イギリス独特の少し深みのある青空に、白い雲が急ぎ早に流れて行く。それを見ながら、まるで草原の上を渡って行く風のように流れるマイケルさんの即興演奏を聞いていると、このような小さな街でお互いのために働きながら、素敵な隣人とともに、ささやかな幸せを共有できる生活は、もしかしたら究極の贅沢であるような気がしてくるのであった。そして、そのような生活こそ、エコロジカルな社会の最も典型的な一面なのかもしれないと、心のどこかで感じていた。

本物を証明する刻印 "ホールマーク”

 そのアッシュバートンの街には、間口が2間ほどの小さなお店であるが、アンティークを売っている素敵なお店がある。良く磨かれたウィンドウには、艶やかなあめ色の棚や、銀色に輝く燭台などが飾ってある。きっと、手間と時間をかけて作られたものだろう。そういったものが人に愛されながら使われるならば、時が立っても朽ちるどころか、豊かな表情を増してくる。物もまるで生き物のようである。

 どこのアンティークショップでも、そこにお決まりの様にガラスケースに陳列してあるのが、伝統的な工芸品として代表されるものの一つである銀製品である。

 ある日、妻が親しくさせて頂いていた御夫人が、妻を午後のお茶に誘って下さった際に、趣味である銀製品のコレクションを見せて下さりながら、銀製品の良さや見立ての仕方などを教えてくれた。イギリスやヨーロッパの一部の国の銀製品には、製品の裏を良く見ると小さな「ホールマーク」という独特な形をした刻印が押されている。この「ホールマーク(刻印)」を見ると、その製品がどこの産地で、何年に作られたかが分かるようになっているそうである。ある意味で、この「ホールマーク」は銀製品として本物であることの一つの証になっているのである。

自律的なコミュニティーを目指すチャグフォード

 アッシュバートンからさらに車で30分。荒涼とした草原が広がるダートムーア国立公園をぬけたところに、街全体がアンティークといった趣きのチャグフォードという小さな街がある。街の正面には、まるでお椀を伏せたように美しい円形をした丘が、まるでチャグフォードの街を見守る様にそびえていて、その近辺にはストーンサークルをはじめ古代に作られた石の遺跡が数多く残っている。

 実はこの街は、いわゆるヒーラーと言われる人々が集まっていることでも知られている。確かに大学の同級生だったロビンの奥さんも、かつてここに住んでいてスピリチュアルヒーラーとして活動していた。この街には、そういう人達を引きつける何か不思議な力があるのだろう。

 人口が1300人ほどの小さな街であるにもかかわらず、チャグフォードは地域ぐるみで有機堆肥づくりや有機農場の経営、オーガニックカフェの運営など様々な地域の社会活動を行い、それらを有機的に結びつける事で全体として効率の良い仕組みを作りつつあった。将来的には自然環境と調和しながら、日常必要とする基本的なものはコミュニティーで賄い、自分たちのことは自分たちで統治できるエコロジカルかつ自律的な社会を実現しようとしているのである。



自己組織化がガイアを生んだ

 日本で「エコロジー」というと、「動植物の生態系」であるとか「環境、自然に良いもの」といった意味合いで使われる事が多い。しかし、この言葉の本来の意味は「自然界の仕組み或いは秩序」ということを指しており、その範囲は一般に言う“自然”のみならず、素粒子から宇宙に至る様々な仕組みや、人間の身体やその心や脳の仕組みまでを含んでいる。

 ここ数十年来の生物学などの研究のお陰で、この自然界には、どこを切り取っても普遍的に存在する幾つかの特徴が存在することが解ってきた。それらは、私達が義務教育において習ってきた考え方を根本的に覆すものである。その中の一つに、エコロジカル社会とも関連の深い“自己組織化”という現象がある。

 自然界の中には、私達の身体の細胞の様に、比較的似通った性質の「個」が集まり、集合体のサイズやその他の条件が整うと、その「個」がお互いに協調的に働き合うことで、一つの秩序をもった組織(共同体)が出来あがる。

 身体や脳の働きも、そういった現象で出来あがっていることが解っている。さらに、そのようにして出来あがっている生物は、環境や周囲の状況を常に受け入れながら、環境に合わせて自らを変えて行こうとする性質を持っている。これによって、さらに大きな一つの共同体(コミュニティー)が出来あがる。実際に生物は、世代を経ながら自らを変化させて行く事によって、地域の地形や気候などに柔軟に適応していく。そして、近隣の他の生物達とともに、その土地の風土に適合したコミュニティーを作り上げているのである。

 こうした繰り返しによって最終的に出来たのが地球“ガイア”である。このような、「個」同士が協調的に働き合うことによって、自ら一つの秩序をもった組織を創りあげる事を「自己組織化」と呼んでいる。

より高い調和を求める「個」と「全体」

 この「自己組織化」によって出来ている生物界では、第8章でも紹介した「共進化」という現象が起こる。生物が自然環境に合わせて変化し進化すると、その生物が属する環境「全体」の状況も当然変ってしまう。すると個々の生物は既に変化した「全体」に再度調和しようと、さらに変化をする事になる。自然界ではこのサイクルが延々と繰り返されている。まるで堂堂巡りをしているようにも見えるが、実は、自然界がより高い調和を求めて変化し続けるための神聖ともいえる仕組みであり、生命の進化を促す源でもある。

 従って、自然環境の最も相応しい姿とは、“安定している”状態であるというよりも、ダイナミックに“変化し続ける”状態であると表現するほうが相応しい。このような「個」が常に全体との調和を試みる生命システムでは、その調和が高度になればなるほど、そこには豊かな多様性が育まれ、更なる調和を実現する能力も高まってくる。また、全体の中で無駄なものは少なくなり、太陽から得られたエネルギーなどの利用も、様々な生物の間で有効に姿を変えて利用されていくのである。

自然界のホールマーク ~ 自己組織化

 実は、この「自己組織化」の現象は、生物の世界だけでなく、原子や分子といった普通の物質の世界にも存在することが解っている。つまり、銀製品に本物を示すホールマーク(刻印)があるように、自然界には「自己組織化」がホールマークのごとく宇宙の万物の中に刷り込まれ、刻印されているのである。

 このことは、物質界と生物界とは基本的に共通のものであることを暗示している。かつて、シューマッハカレッジの校庭で、メキシコから来たシャーマンが「生物と無生物の間には基本的に違いはないのよ」と語っていたことは(第5章参照)、まさに本当だったのかもしれない。



「神の見えざる手」の本当の意味

 実は、経済学者E・F・シューマッハをはじめ、かねてから健全な社会づくりを考えてきた人達が理想とした社会は、これらの自然界の仕組みと驚くほど一致するところが多い。イギリスには実に百年以上まえから、「自己組織化」する社会の重要性を説いていた経済学者らがいた。

 あの「神の見えざる手」で知られるアダム・スミスもその一人である。彼は、小さな地域においてある程度の自給自足がなされ、一人一人が自由かつモラルに富んだ行動をするならば、そこには「神の見えざる手」が働く自由市場経済が生まれると説いたのであった。それは自然界の「自己組織化」の原理そのものである。

 彼の自由市場経済の考え方は、このように自給自足型の比較的小さな地域経済を前提としているにもかかわらず、現代においては都合の良い部分だけが利用され、私欲と利権の渦巻くグローバル経済の正当化の材料になっているのは非常に残念なことある。

生命のしくみと共通する社会システムへ

 人間社会のあるべき姿と自然界の仕組みとの間には、かなり共通な部分が多いことはもう疑う余地はない。自然界の秩序について知ることは、自然に則した生活をする上でも必要だし、自然界の叡智から私達のあるべき社会のヒントを得るためにも、知らないよりは知っていたほうが良いに違いない。従って、シューマッハカレッジでの教育活動は、来るべき未来の社会のビジョンと自然界の仕組みとが、両輪のごとく組み合わされているのである。