華のガン日記

2009年肺癌で母を亡くしました。その時のブログと その後の私を記録しました。

転院決定

2009年09月01日 12時53分29秒 | 母の肺癌闘病記
今日は お昼過ぎから北九州へ向かいました。

 昨日までは まだ転院が決まっていないとのことでしたが 今日、北九州へ向かう途中 父から電話があって 木曜日に転院が決まったとか。

 やっと あのバカ医者に文句言えます!
 やっと 一安心できます。

 そうそう、先週の木曜日に 従姉妹 妹が 病院へ行くと 母をあんな状態で お風呂に入れていたらしい。

 「今まで お風呂にも入れてくれなかったのに たいしていい状態でない今になってお風呂に入れるのは 転院が決まったから お風呂に入れているんじゃないですか?」

から始まって 従姉妹 妹は セキをきったように 今までの不満を看護師や馬鹿医者に手当たり次第ぶつけたんだそうな。
 1時間半から 2時間ぐらい文句言ったら さすがに言い返せなくなってきた部分もあったらしい。

 そして 昨日の父の電話では その翌日、先週金曜日に 今度は 従姉妹 姉の方が また馬鹿医者に 文句言ったそうで 二日続けての文句たらたら言ってやったんだそうな。

 そいじゃ 今日は私も・・・と思っていたら 父が 2日目の 従姉妹 姉の文句言うのは許してなかったらしく また父は この従姉妹 姉と喧嘩したらしく・・・・今日は私は 言えませんでした。
 ま、退院したら 絶対言ってやるつもりなので・・・・・

 母の入院前から 従姉妹 姉は 母のことを誰より心配してくれて 私以上に うちの父と喧嘩してます。
 今の病院に入院するより 他の病院にするように言ってくれたり 家が病院のすぐ裏ってこともあって 毎日仕事へ行く前に 母の様子を見てくれたり 世話を焼いてくれたり・・・ホントに色々やってくれてます。
 それだけに ウチの父としょっちゅう衝突!
 父も もう少し 従姉妹 姉の思いをわかってあげればいいのに・・・・・

 北九州へ向かっている最中に 2度目の父からの電話。
 母に何かあったのかと思いきや

 「一緒に昼飯でも食べんか?」

ですって。珍しい。
 なんか 母のことで病室で話せないことでもあるのかと思いきや 行って見ると ただの昼ごはん。

 でも たぶん 生まれて初めてです。
 父と二人っきりで 食事したのは・・・・・

 すごいでしょ?

 それぐらい 私は小さい頃から 父とは離れている存在でした。
 
 食事しながら 父のこの間の病理検査のこと 聞きました。
 父は大腸ポリープでいつものことだと言ってましたが やっぱり 1/5ぐらい ガンがあったんだそうな。上皮内新生物だったらしく 少し大きめに切ったので 半年に一回検査に行くようになったんだと。

 大丈夫かいな?
 ちょっと 気をつけておかないとね。

 ここで 父までガンになったら どうしようもなくなる。

 食事を済ませたら 母の病室へ。
 今日は 先週よりもとても元気がいいようで っといっても 目を開けて起きていてくれた・・・・だけなんですが。

 父は 一生懸命 母に話しかけていました。

 なんだか ほほえましくて・・・・こんな 父と母って 見たことなかったから ちょっとうれしかった。

 そのそばで 私はひたすら母の足のマッサージ。
 何も食べてくれないし 水も飲めそうにないので それぐらいしかできないもんね。

 今日は 2時間ほどいたんですが その間 ずっと起きていてくれましたし 父の問いかけにも 看護婦さんの問いかけにも ちゃんと返事していました。

 少し 安心。

 昨日までは あまりいい状態ではなかったと聞いていたので 少しでも反応してくれることがうれしかった。

 父は1時間半ほどで帰りましたが 私はETC半額の時間帯のこともあるので 30分ほど余計にいました。

 そのあとも 手や足をずっとマッサージしていたんですが 帰る頃には 母の目が悲しそうに見えたので なんとなく帰りづらくて。

 ずっとずっといてあげたい気がしていました。
 このままでも 生きていてくれればそれでいい。
 少しでも 母のそばについていてあげたいです。

 仕事がうまく行ってないせいで たったこれすらの親孝行が出来ない私。
 情けない。


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