華のガン日記

2009年肺癌で母を亡くしました。その時のブログと その後の私を記録しました。

母が亡くなって 今日で6日目

2009年10月23日 22時34分00秒 | 母の肺癌闘病記
母が亡くなって 今日で6日目。
 少しは泣かなくなりましたが 今でも後悔することばかりです。

 最初に母が危篤になる前日、久しぶりに一時的に母の目の焦点が合った。
 あのときの 母の顔が 今でも忘れられません。
 少し顔をしかめて 目に一杯の涙を溜めて 何かを言ってた。
 ガンのせいで なんていってるかわかりませんでしたが もしかしたら あのとき 母は 

「ごめんね、もう無理やわ」

そう言いたかったのかもしれない。
頑張ったけど 頑張ったけど ごめん、もう無理やわ、って。
もしかしたら 私にさよならを言っていたのかもしれない。

 おじいちゃんにも 神様にも 散々お願いした。
 お母さんを連れて行かないでって。
 母にとっては 迷惑だったかもしれない。
 痛くて痛くて 早く楽になりたいのに 枕元で 私に
「お母さん、生きて!お願い、生きて!」
言われたことが もしかしたら 負担だったかもしれない。

 ごめんね、お母さん。

今まで 散々親不孝してきて 今になって そのままのお母さんでもいいから 生きてくれなんて そりゃ 虫が良すぎる話ですよね。

 そういえば。
 お通夜の前に 葬儀場の人から 言われた。
 
「人間は 最後まで聴覚だけは残る」

やっぱり・・・って思った。
以前 母の前で余計なこと言った妹と喧嘩して 母が亡くなるまで しばらく話をしなかった。
 その妹が その話を聞いて やっと謝ってくれた。っていうか 私に謝らなくても 母に謝らなきゃね。

 父も 姉も 母の前で 散々余計なこと言った。
 最期に危篤になる前日、先生が母の前で言った
「今月一杯は 持たないかと・・・・」
それも やめてくれ!って言いたかった。

 やっぱり母には全て聞こえていたんでしょうね。
 ごめんね お母さん、私がもっとみんなにちゃんと言わなきゃいけなかった。 辛いこと一杯聞いてしまったね。

 一度危篤になったあと 次の電話が来たら ホントに母は逝ってしまうかもしれないと思ってた。
 一度目の危篤の時に 高速道路 暴走してしまったし おじいちゃんにも 母にも 散々叫んだ私。
 私が起きている間だったら 危ないし 連れて行くなってうるさいけん おじいちゃんは わたしに見つからないように 母をこっそり連れていったのかもしれない。

 母も 高速道路暴走して危ないし もう ゆっくり眠りたいのに 私が起きていると うるさいし 邪魔やけん 私が寝てる隙を見て こっそり 逝ったのかもしれない。
 なんだか そんなことばっかり考えている今日この頃でした。



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