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web日記 日替わりするは 気分だけ

スターウォーズ エピソードIII

2005-07-31 22:34:50 | あしあと:出かけた場所
7月31日@有楽町マリオン

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いまさらスターウォーズ、と思うものの、されどスターウォーズなのだ。
子供の頃から見守ってきた壮大な物語を見届けなければならない。

敬愛するジョゼフ・キャンベル先生の「千の顔を持つ英雄」を下敷きに作られたというこのお話。
英雄のアーキタイプをSF映画やRPGのストーリーに重ねることは今や当たり前だけど、やっぱりスターウォーズのシリーズって傑出してよくできていると思う。

でも。。。
んーーー。

私がおばさんになった、ということなんだろうか。
どっか子供だましに感じてしまった。
いっちばん古くてダサイはずのエピソードIVに感じた「これは!」っていうのがない。
どっか浅いの。

CG技術が発達すると、それを目一杯使いたいのは人情だろうと思う。
めまぐるしい特撮(古い!)戦闘シーンに力を注ぐのはもちろん構わないのだけど、すごすぎてついていけない。目にもとまらぬ早さ、というのは、対比する静けさがないと生きないのだ。
そういうところに結構な時間とエネルギーを注いでしまった結果、肝心のキャラクターの掘り下げが甘くなっちゃって全然共感できない。
あれだけじゃあ、アナキンがダースベイダーになる動機として甘すぎる~~~!

パドメとの恋の障害とか、野心とか、シスに寝返った後の理想や良心との葛藤なんかがもっともっとあっていいはず。
これから延々と続く宇宙戦争の元凶になるべきダースベイダーの物語があんなあっさりしてていいの?
パドメも女王様だったんじゃなかったっけ?ただの女になっていたではないか。

何より、ヨーダはあんなに機敏に動いちゃ絶対にいかーーーん!!!
ヨーダはこの6つのエピソードの中で唯一、すべてを見届けてる定点として存在しているのだよ。
それにマスターの中のマスターなんでしょ。もと剣道部の私としては、真に強いものはどっしりとしており、精神で敵を倒すものだという確信がある。なのに、あれではかえって小物に見えてしまう。ちょっとは若い頃の設定だから、という言い訳は却下。もともと、東洋的な隠者の雰囲気がヨーダの魅力なのに、すっかりアメリカンカートゥーンの1キャラクターに成り下がってしまったではないか。ダメダメダメーーーー!

最初の3部作より明らかにキャストが豪華でお金もかかってるのに、ジョージ・ルーカスは酔狂な無駄遣いをしたなあ、と感じてしまった。スタッフが多すぎて統制とれなくなっちゃったんだろうか。
もう、終わってから友達と大ツッコミ大会よ。

そう、でもキャストが美しい、というのが何よりの救いなのでありました。
アナキン役のヘイデン・クリステンセンの怒りと悲しみに満ちた顔がたまらん。
あれひとつですべてを許す。

あと、衣装が素敵でした。役者さんの動きが優雅に見える。
実際、立ち姿がみな美しい。戦い方もおおむね舞に似た雅があった。
中でも、パドメのお葬式のシーンがほんと美しかった。
オフィーリアのようだよ。
美しい人には美しい花を。
レイア姫にはちょっと納得いってなかったもんね。

そこらへんが、やっぱ、されどスターウォーズ、ということで、まとめ。

橋の日

2005-07-18 11:57:16 | つぶやき:もろもろ
ここ数日、細野晴臣&上原知子の「Mabui Dance #2」という曲が気に入って、やたらローテーションしている。
元歌は琉球民謡の「仲島節」で、遊郭へ向かう小橋が歌われている。
仲島へ渡る橋はあんなにあってどれが本物なんだか、という感じ。

実は、さっき対訳を確認した。
というのは。

昨日タクシーに乗り、橋を渡ったところで止めてくれるよう頼んだが、どの橋なのかで車中でもめた。

約束の時間をとうに過ぎていたけれど、どうしてもどうしてもある忘れ物が気になって、さらに別の橋を渡った先のコンビニまで足を伸ばして調達することにした。
遠回りしたら方向感覚が乱れ、渡るべき橋が見つけられずにいったん最初の場所に引き返した。

どの橋を渡ればいいの。

そして、その夜、図らずも似たような会話を交わしていたのだった。
2人の間の橋をどちらが渡るのか。
私は無意識ながらに、どれが本物の橋かわからないから、相手に渡ってきて欲しいといった。
その人は、一番怖い橋が本物だから心を開いてこちら岸に来てみろ、といった。
怖いのは本物の証拠だからじゃなくて、渡りきったその時に、では役目は終わったね、とあなたが言うことなんだよ。


たとい仲島や 音絶えて居てんよ
如何し忘りゆが 恋ぬ小橋

バタフライ効果

2005-07-10 23:34:42 | よびかけ:誰かの言葉
「バタフライ効果」という言葉を耳にした。

おそらく学術的な用語であろうが、「例えば北京でチョウチョがぱたぱたと羽ばたくとそれがニューヨークで嵐になってしまうこと」転じて、小さな活動が大きなムーブメントになる、ということの比喩でその人は使っていた。

蝶の羽ばたきが嵐を呼ぶ、というイメージが私好みなわけだが、そんな感じの運動をみつけたので、メモ。

「言の葉さらさら」(8月7日まで期間限定)
http://www.kotosara2025.jp/index.php

ちょっと、「エコトノハ」(→マイブックマーク)に似すぎていて、ん、と思うが、こだわるまい。

趣旨概要は、20年後の生活がどんなであって欲しいかを短冊に書き、バーチャルな笹の葉につるしましょう、ということ。

清き祈りがある臨界点に達した時、それは実現する、、、と思いたい。
これ、20年後にふたたび公開にならないかしら。

そういう私の祈りは煩悩にまみれてるんですけど。
わっはっは。

同じく、日常使う水を流すときに「ありがとう」と声をかける運動がある。
(ネタ元失念)
人体の8割近くは水分であるということと、水は気持ちや言葉の持つバイブレーションを記憶する、という説をもとに、優しい記憶をもたせた水が水道管から川や海に流れ、蒸発してやがて雨になって、込められた感謝のココロが広く循環していくことを想定している。

今日の一滴のよき水が明日の世界を潤しますよう。

折しも、日本各所に洪水の被害がでているのですが、、
清き水でも溢れ出したら困るかなあ。。。