こんなタイトルをつけてウオーキング企画をしたら、西日本新聞が取り上げてくれた朝9時から11時まで電話が鳴り続けて、100名の定員に達した。
さすがNHK,さすが司馬遼太郎、さすが西日本新聞。大勢が定員外になったので仕方なく2月28日(日)に第二回目を用意することになった。65名ほどの予定だったが、今日読売新聞がまた取り上げてくれたので、80名を超えた。
まだあと1カ月あるのにどうするんですか!と事務方に言われそうだ(ぶるぶる)。司馬遼太郎記念館にも連絡しなければならないのに、今日も出来なかった。ああ、まずい。
明日送ります(許して!)
日本海海戦紀念碑
の砲塔左下にテーブル
のようなものがあるが、
海戦の海域を示す
地図だ。
坂の上の雲「ネボガトフ」で丸ごと降伏する第三戦艦戦隊の中のアプラクシン(4126トン)は、沖の島と名を変えて第一次大戦に参加した後、払い下げられて実はこの大峰山のすぐ下の津屋崎海岸に日本海海戦記念艦として繋留されていたのだ。
しかし、昭和14年鉄材不足のため解体された。八幡製鉄所から記念に戻ってきたのは1枚のレリーフだった。(それが写真の海戦記念海図というわけだ)
西から伸びてきている
→がバルチック艦隊の
侵入を示している。
中央左下が沖の島で、
その北東5Kくらいで
ロシアの戦艦はぼこぼこ
にやられて沈んでいるのが今更ながらすごいと思う。1月31日(日)のウオーキングに参加のメンバーがこんなものがここにあったのか!とびっくりしてくれる様子を今から期待したい。
東郷平八郎元帥の
揮毫
日本海海戦紀念碑