岩手県岩泉町に立つ小本津波防災センターでは、町の人びとや児童、園児たちが旗を振って、皇太子ご夫妻を歓迎していた。
施設の見学を終えてご夫妻が玄関から出てきた。だが車には乗らない。すっと住民たちに近づき、雅子さまが男性に、声をかけた。
「震災では大変でしたね。ご自宅は大丈夫でしたか」
皇太子さまも同じように住民たちと話をしている。予定外のお声がけは5分ほど続いただろうか。おふたりは予定時刻を少し遅れて車に乗り込んだ。
東日本大震災の被災地視察で、皇太子ご夫妻は6月20日から1泊2日の日程で岩手県を訪問した。
「雅子さまは終始、リラックスした笑顔を見せていらっしゃいました」(皇室ジャーナリスト)
雅子さまの体調の良さが際立つ訪問だったが、普段とは異なるご夫妻の行動があった。それが冒頭のような、予定にない人たちへのお声がけだった。
翌21日は、200人近い死者・行方不明者を出した同県宮古市の田老地区に向かった。ご夫妻は防潮堤の上から海に向かい深い黙礼を捧げた。なかでも雅子さまは、体を90度に曲げ、誰よりも深く頭を下げた。そして、浄土ケ浜ビジターセンターでは、仮設住宅や災害公営住宅の入居者と懇談。本来は、10人と懇談する予定だったが、会場にいた19人全員と言葉を交わした。関係者は、こう振り返る。
「両殿下はずっと中腰の体勢で、椅子に座った入居者と同じ目線で会話を続けていらっしゃいました」
天皇、皇后両陛下や秋篠宮ご夫妻を思い起こさせるような光景だった。
こんなことがあった。2008年に大分県で開催された全国障害者スポーツ大会。開会式前日のレセプションでは、いつも皇太子さまと選手の懇談がセットされている。皇太子さまは、車椅子に座った選手らと短く会話を交わすものの、懇談の時間を5分ほど余らせて、会場をあとにした。
皇太子ご夫妻が、設定以外の懇談や時間を超えて、積極的に対話をすることは過去にほとんどなかった。だからこそ、皇室取材を長く続ける記者たちは、今回の皇太子ご夫妻に何かの兆しを感じたのだ。
<悲しみも包みこむごと釜石の海は静かに水たたへたり>
雅子さまは、14年の歌会始に、前年秋に釜石市を訪れた際の想いを詠んだ和歌を選んだ。前に踏み出す歩みはわずかかもしれないが、ご快復ぶりを喜びたい。(週刊朝日)
雅子様の病状は完治に近い行動に災害地の人々は敏感に感じた事は、以前訪問時の言動とは違い自分の意思で行動していると見えたのだろう。病いは既に完治していると言う事だろう。皇宮病院の甘えさせすぎ過ぎていると伺えるが・・・