芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

適正規模

2015年10月26日 | エッセイ
                      

 エルンスト・F・シューマッハーは、ドイツ生まれのドイツ人で、ユダヤ系であったためドイツを離れ、イギリスの経済学者として、その著作と活動で名を知られた。
 彼は石炭公社で有限の資源の仕事に関わり、その関心は資源の枯渇問題、持続可能な人間の営為、環境問題、企業の「適正規模」に向き、「人間復興の経済」「スモール イズ ビューティフル」を著した。さらに「足るを知る」仏教に深く感銘し、仏教的な経済学に関心を寄せ続けた。
 資本主義は間断なく自転しながら、利益を生み続け、その企業規模を拡大し続けてきた。さらに市場を勝ち抜くためとして、何千億円とか数兆円規模の買収、合併も常態として行われるようになった。今やその企業規模は、経済主体として普通の国の経済規模を遥かに凌駕している。もはや彼等に「タガ」を嵌めるものは何もない。規模や経済力があまりにも巨大になり、その影響力で国家に圧力をかけ、政治家に金をばらまき、法律を変えさせ規制を緩和させ続けている。
「スモール イズ ビューティフル」…今こそ「適正規模」というシューマッハーの概念を思い起こすときなのではなかろうか。

 北一輝は、ご存じ日本のファシストであり、稀代の、危険かつ魅力的な、市井の思想家であった。彼は五・一五事件や、特に二・二六事件の将校たちに強い影響を与え、その思想的背骨となった。
 北は「国体論及び純正社会主義」を著したが、典型的な「天皇機関説」論者だった。彼は他の日本的ファシスト、右翼たちとは異なり、天皇というものに対する湿った強い思い入れは、ほとんど窺うことができない。
 彼にとって天皇制は、日本という国家の制度であり、日本にとって必要な機関に過ぎなかったのである。
 磯部浅一、村中孝次、安藤輝三ら二・二六将校等が処刑にあたって「天皇陛下、万歳」を叫び、その後刑場に向かった北の片腕・西田主税が「我々はどうしましょうか?」と彼に訊ねると「まあ、やらんでもよかろう」と言って「天皇陛下万歳」を口にすることはなかった。
 北には「国家改造案原理大綱」(大正12年)と「日本改造法案大綱」(大正15年)の二著があり、それは私の脳裏に常にある。
 その中に「皇室財産の国家下付」がある。天皇は範を示すために所有の土地山林株券等を国家に下付し、国家は皇室費を年額三千万円とし、国庫より支出する、とある。
 私有財産限度を定め、日本国民一人の所有し得べき財産限度を三百万円とした。これは海外に財産を有する日本国民にも適用される。その超過額は無償で国家に納付させる。これに違反する者は天皇が示した範を蔑ろにしたものとみなし、国家に対する内乱罪を適用して死刑に処す。…私有地にも限度を設け、日本国民一家の所有し得る私有地は時価三万円とした。
「大資本の国家統一」という巻では、「私人生産業限度」を設け、資本の限度を一千万円とした。海外における国民の私人生産業もまた同じと。限度を超過した生産業は国家に集中して国家の統一的経営とすると。国有化である。その賠償金は「三分利付公債」を交付する。…
「国家改造案原理大綱」と「日本改造法案大綱」の私人の所有財産限度額と私企業の資本限度額には多少の差異がある。
 確かに北一輝は恐るべき犀利なファシストであり、国家主義者であったが、他の日本のファシストや右翼たちとは、どうも根本思想が異なるのである。
 とまれ北は人間の物欲、所有欲を認めていたが、一人の個人が一生かけても消尽できぬほどの財産の所有を制限し、また資本の巨大化とその影響力を制限しようと考えたと思われる。彼の中にも「適正規模」の考えがあったのかも知れない。

 巨大になり過ぎた企業は分割、あるいは国有化する。一人の個人が一生掛けても使い切れない私有財産は…。シューマッハーの「足るを知る」仏教経済学、北一輝の私有財産・私企業の資本限度…は、その現実性、実効性はともかく、今こそ一考すべきテーマかも知れないのだ。


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