芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

ああ稀勢の里

2016年09月18日 | 相撲エッセイ

 初日の敗戦で、稀勢の里の秋場所は終わった。ファンの興味も半減した。いやファンの秋場所もほぼ終わったに等しい。
 それにしても稀勢の里ほどファンを苛々させる力士も珍しい。なぜ苛々するかと言えば、それだけ応援している、稀勢の里ファンだからだ。
 稀勢の里は過度に緊張するタイプで、緊張すると立会いで立てない。それがここ二、三場所は影を潜め、落ち着きが出て、バタバタする相撲が減った。危ない相撲も運で勝った。そのため下位の力士に取りこぼしが減った。しかしあと一つ、大一番に勝てない。
 場所前のインタビューに「今場所が集大成」と稀勢の里は答えた。しかし稽古内容はあまり良くなかったと伝えられている。出稽古もせず、部屋の高安ばかりを相手にしていたという。「稀勢の里関には何が足りないと思いますか?」と聞かれた横綱の白鵬と日馬富士が言った。「苦手な相手を求めて、もっと出稽古に行かなければ」
 今場所は白鵬の休場が伝えられた。これは稀勢の里に初優勝の機会が増えたということではないか。まあ、他人の休場は関係なく、自分の相撲を一番一番、と答えるにちがいないが。

 初日の一番は「ぬうぼー」とした隠岐の海である。身体も大きく、懐が深く、また柔らかい。その彼も大器と言われながら、ほとんど勝ちたい、大関や横綱になりたいという強い欲に欠け、とうとう30歳になってしまった。隠岐の海と親しい好角家によれば、彼は自分の出世計画を持っていたという。25歳までに大関に、27、8歳には横綱に…。彼にも意欲はあったのか。
 北の富士にとって隠岐の海は孫弟子に当たる。彼に大きな期待を寄せていたが、しかし、意欲が足りない、稽古が足りない、とバッサリと切り捨てた。
 稀勢の里はその懐が深く身体が柔らかな隠岐の海に対し、マワシもとれず、腰高のまま彼を抱えるように土俵際まで寄り立てた。勢いよく寄り立てたように見えるが、稀勢の里の腰が伸び、すんなりと回り込まれ、あとは簡単に寄り出された。なんという不甲斐ない負け方か。稀勢の里の欠点が全て出た。立ち合いから腰が高い。脇が甘い。不利な状態にもかかわらず、慌てて寄り立てる、つまり相撲にどっしりしたものが全くない。
 テレビで解説していた北の富士は、常に稀勢の里の優勝と横綱昇進に期待を寄せていた人である。しかし彼は言った。「もう無理だ」と。「もう稀勢の里には期待しません」と。
 初日は横綱審議委員たちも観戦している。そのうちの一人が吐き捨てるように言ったという。「場所前の稽古総見のとき、稀勢の里は下位の力士を相手に2勝10敗だった。案の定負けた。総見で2勝10敗ですよ。今場所、まあ3勝くらいはするでしょうけど…」
 稀勢の里は前半に早くも二敗を喫した。もう彼に期待しても無理だろう。
 かつて魁皇は、小結で一度、大関で四度優勝している。優勝後の綱取りの場所は怪我で休場したり、腰痛に苦しみ、ついに横綱昇進を果たせなかった。彼には型があり、全盛時は最強の大関で、その型になれば安心して見れた。
 稀勢の里はまだ一度も優勝していない。彼の師匠・隆の里は糖尿病と闘いながら、30歳11ヶ月で横綱に昇進した。「おしん横綱」と呼ばれた。横綱としては短命だったが、「強い」という印象が残っている。
 稀勢の里に関しては、あの北の富士ももはや見捨てた。これからの若手の期待力士は正代だろう。あの土俵際の腰の重さ、攻める姿勢、巧さもある。相撲に速さもある。さほど欠点も見当たらない。あまり体重を増やさず、怪我に気をつけて活躍してほしい。
 

                                                      

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