芳野星司 はじめはgoo!

童謡・唱歌や文学・歴史等の知られざる物語や逸話を写真付でエッセイ風に表現。

小沢昭一的「反戦のこころ」

2016年09月09日 | 言葉
                                                            

 小沢昭一がラジオで長く続けていた「小沢昭一的こころ」という番組があった。平成4年の末から平成5年の正月にかけて「20周年記念 小沢昭一的こころ『唄う小沢昭一的こころ』」がある。その中の「正月気分は反戦気分」という傑作は、おおよそこんな話である。
「あの愚かな戦争が敗色濃厚になった頃、帝国海軍は予科練というのをつくったんですな。〽赤い血潮の予科練の〜 …頑是ないといっていい年頃だ。送り出す方は年寄りだ。若者たちの純情を利用して…悲しみというより憎しみが湧いてくる…」
「戦意高揚歌というのが作られて…二大戦時歌謡は 〽みよ東海の空開けて〜という「愛国行進曲」と「露営の歌」…」
彼は「愛国行進曲」をがなり立てるように唄う。
「〽正しき平和打ち建てん、いいですか、正しき平和打ち建てん…断固と守れ その正義(彼はそのフレーズを敢えて繰り返す)断固と守れその正義〜」
「露営の歌」も唄うというよりがなり立てる。「〽東洋平和のためならば、なんの命が惜しかろう(彼はまた敢えて繰り返す)〽東洋平和のためならば〜」
 そして言う。「正義の戦争、平和のための戦争と言うんですな。正義の戦争より、不正義の平和がいい
 
 小沢昭一はある雑誌に投稿している。
「じっさい、何が「いのち」を粗末にするといって、戦争ほど、人間の「いのち」を軽く見るものはなく、もう無残にも「いのち」は踏みつぶされ蹴散らかされるのです。
 でも、そのことに、私たちは、あの戦争に負けた時に、はじめて気がついたのです。あの時、不思議と頭の中がスーッと澄んで、モノが実によく見えました。あれは、多くの「いのち」を失った代償だったのでしょう。私たちは、それまでの無知を恥じ、もうコンリンザイ戦争はごめんだと思ったものです。「戦争放棄」の憲法は、アメさんから押しつけられたにせよ何にせよ、あの時、日本人の皆が、ごく自然に、素直に、そうだ、それが一番いいと、心底、納得したことだったのです。
 だから、世の中の、大抵のことは、何がどうなってもいいから、戦争だけはごめんこうむりたい、「戦争放棄」だけは守り抜きたいという、これが、私の人生で、たった一つだけ出た明白な結論です。人間、長い人生の間には、考え方も少しずつ変化するものですが、この考えばかりは変わりませんでした。
 ところが、「喉元過ぎれば熱さを忘る」ですか、このごろ「憲法見直し論」がチラホラ顔を出してきて、私はとても心配です。いえ、見直しも結構ですが、第九条ばかりは、そのまま、そのまま、でありますよ。
 「戦争放棄」は、政治に哲学がないなんていわれる日本が、唯一、世界に先がけて打ち出した、まことに先見性のある政治思想と思われるのでありまして、この、百年か二百年先の時代にツバをつけた新思想を、なんとか保持したいものです。世界の先頭切ってやっていることですから、そりゃいろいろ障害も出てきましょう。そこを何とかやりくりするのが先駆者のつらいところで、それを、ほんの五十年ぐらいで取り下げちゃいけません。
 戦争は病気と同じです。病気はかかったらもうおそい。かかりそうになったら、でもおそい。それよりふだんの、かかる前の予防が大切だとお医者に教わりました。
 戦争も、私たちはよく知ってますが、はじまってしまったらもちろんのこと、はじまりそうになったら、もう止められません。戦争のケハイが出ても、もうおそいのです。ケハイの出そうなケハイ、その辺ですぐつぶしておかないと・・・つまり、戦争は早期予防でしか止められません。しかも、その戦争のケハイなるものが、判りにくく、つかみにくいのです。戦争の反対は平和ですが、平和のための戦争、と称えるものもありますしね。いえ、おかしなことに、いつもそうなんです。あの戦争の時も、
 ♪ ・・・東洋平和のためなら、なんの、いのちが惜しかろう(「露営の歌」)
 と、毎日歌って戦いました。ですから「国際貢献」「国際協力」「世界平和を守るため」というのも、こわいケハイです。 ♪ 国際貢献のためならば、なんの、いのちが惜しかろう・・・ということにならないように、なんとしても、予防しなくては!」

 いま一度「小沢昭一的 反戦のこころ」を。