経営サポートのモリです。
先日、夏休みを利用して5日間の東北旅行をしました。
至る2011年3月11日に宮城県沖で発生した東日本大震災。
ご存知の方も居ると思いますが、自分は震災直後の2011年5月から、震災後約1年後の、2012年3月まで、休日を瓦礫撤去やドロ出しのボランティアをしてきました。
その時にに知り合った、大阪から同じくボランティアの為に石巻に来た松本氏(ボランティアリーダー)と同じ年同士(1981年生)、2人で東北復興支援の旅をした事を書かせて頂きます。
今回は約2年前に自分達がガレキ撤去やドロ出しをしていた宮城県石巻市以外の地域を周り他の地域の現状を把握する事と、何か自分達の出来る事を探す旅でもあり、以前自分達が活動をしていた石巻市の住民の方々と交流をしたり、また関東や関西でチャリティーバザーや東北物産展でもやれたら・・・なんていう思いから計画した旅です。
行った場所は、宮城j県石巻市、南三陸町、歌津町、気仙沼市、岩手県陸前高田市 大船渡市、釜石市、大槌町 福島県南相馬市 浪江町です。
初日に先ず仙台まで入り、翌日に南三陸町~岩手県大槌町まで行くことにしました。
コースは海沿いの国道45号線を走れば良いのですが、所々仮設の橋桁であったり、道路の途中で行き止まりであったり、未だに道路のアスファルトがめくれ上がっていたり・・・
震災直後に直ぐに復旧をさせなければならない場所が、まだこのようになっている状況・・・
仙台から旅をを続ける中、震災で津波を被って、家が無くなってしまった場所や何も無くなった空地を見ながら・・・
そして、未だ解体されていない建物や窓ガラスや家具がメチャクチャになっているのを見ながら・・・
何か時間が止まってる場所を見ながら、そして将来ここの土地はどうなって行くのだろう?などと考えながら北上をしました。
夕方17時頃に最終目的地の大槌町に到着をして仮設の食堂&売店がある、『大槌復興食堂』という名前の仮設プレハブ小屋の食堂&町民のコミニティースペースを見つけ中に入りました。
この食堂では、勿論町民の方々や、他県からのボランティア、また復旧作業に携わっている土木作業の方々の食事処として営業しているかたわら、お土産で町の特産物の海草類や復興支援Tシャツが売っていたり・・・
特に自分が心を打たれたのは、震災前の町を模型で再現をして『何処の建物に誰が住んで居たのか?』 『震災前の町並みはどうだったのか?』等を1本1本丁寧に印旗を付けて 『震災前の大槌町に戻そう!また皆の手で町を復活させよう!!』という地元町民の活動を見ることが出来ました。
※この食堂の中や復興模型は写真等をとても撮影できるような雰囲気ではなかったので、写真は有りません。
そして大槌町を1時間程滞在した後、21時頃に以前石巻市のボランティアでお世話になって、今でも東京でのチャリィーバザーや石巻でのイベントの際毎回呼んで頂きお世話になっている、
『BIGUP石巻』というNPO法人の代表 原田さん
震災当時一緒に活動をした同じチームメイトの高野君
震災以後自身が被災者だけれども、一緒になってボランティア活動をしている地元のお母さん、木村ママ と久々に石巻市で再開をし、また石巻の皆様と会うのが久ぶりでしが、1週間前に『伺いますねー』と連絡をしただけで、夜遅くに突然行った自分達を
『久ぶり~!元気してた~!よく来てくれたね~!』
なんて言ってくれて明るく向かい入れてくれました。
まだ初めて会ってから2年程しかたっていませんが、久しぶりに行った自分達を本当の家族のように快く受け入れて頂きました。
今現在、彼らが行っている活動は震災直後におこなってきた瓦礫撤去やドロ出しのボランティアでは無く、震災後の子供達の支援やまた地域住民への就職の斡旋、また大きな被害を受けた方、家族を震災で亡くされた方の心のケアのボランティアに今は力を入れているそうです。
3日目・・・昨晩合流した石巻の皆様と南三陸町の海水浴場に行きました。
石巻ボランティアの原田氏の友人でもある勝又氏が中心となっているTUNAGARIグループと言う南三陸町を拠点として活動をしているチーム(ダイバー、潜水士、サーファー、ジェットスキーヤーが中心となって立ち上げたボランティア集団)が約2年かけて、地元住民や他のチームのボランティアさん達と海水浴場のガレキ撤去をしてきた、TUNAGARIビーチで遊ばせて頂く事になりました。
シュノーケルやバナナボートを楽しませて頂いたり、また沖縄県から初めて東北にボランティアに来たの大学生グループの方達に、震災直後の瓦礫撤去の様子や当時の活動内容の話をしたり、また自分達の今後の活動内容や、大学生グループが今後どのような活動をしていきたいのか?などを色々と話、コミュニケーションを取らせて頂きました。
中でも心に残った沖縄県の大学生の言葉が、『自分達の住む沖縄県は東日本大震災位の規模の地震が起こり津波が来たら、沖縄県ごと無くなってしまうかもしれません。それと日本でも沖縄県は小さな島なので東北みたいに直ぐには救助に来てくれないかもしれません!!』
その言葉が、一番印象的で心に響きました。
確かに同じ日本でも東京や大阪と言った都心に住む自分達に比べれば、そう言った津波や液状化、自然災害の不安が一層大きくなると感じ、また自分達が考えている以上に真剣に自然災害の事を考えている気がしました。
最終日・・・石巻を後にする前に一緒に旅をして来た大阪の松本さんと2年前、一緒に同じチームで作業をしていた高野君より・・・
『どうしても藤森さんに見て欲しい場所があるんで、来て下さい』
と言われ付いて行くと、なんと2年前の夏休みに、当時の経サポメンバー(オゼ主任、タケナカ主任、シバタMG 空創石神井ワラ主任) が『一緒に自分達も行きます!!』と自分がやっているボラ活動に一緒に来てくれて、また自分達の貴重な休みを利用して体力作業のドロ出しや床剥ぎなどを率先して3日間も作業をした大東建託のアパートが綺麗にリフォームをして、震災前の姿に戻っていました。
本来で有れば津波を被った家は塩水を含んだり、もう一度耐震補強をしたり・・・
勿論、全ての家財道具や水周りを新品に交換しないと住める状況ではないので、ほとんどの家屋はリフォームや修理ではなく、完全に解体をして更地にしてしまうのですが、ここの家主様は
『せっかくボランティアの皆様が助けてくれたのに、解体するのではなく、もう一度綺麗な状態に戻したい』と言う強い意向もあり見事に震災前の状態にリフォームをされていました。
これを見たときに、本当に2年前に自分達がしてきた事、また自分達の会社の仲間、ボランティアで知り合った仲間、一人一人がしてきた事が無駄では無かったんだな。
そう思った瞬間でした。
そしてもう一つ・・・
自分が石巻へボランティアへ行くきっかけとなった場所が有ります。
3年前の2010年12月 (震災の4ヶ月前)、当社の年末旅行に宮城県東松島市と仙台旅行がありました。
当時、6~7人一組でレンタカーを借りて、自由行動というプランがあり、
ノダ専務、アベ店長、ズキ主任、テラヤマ社員、サトウ(サコ)社員、ヨシムラ店長代理、自分の7人での班行動があり、
『石巻は水産物が有名だから石巻に行って寿司を食べよう!!』
と計画をして石巻に訪れた事が有りました。
震災後、何度も石巻には行きましたが、町の様子が変わりすぎていて、何処にその寿司屋さんが有ったのかは解かりませんでしたが、ちょうど2012年の9月頃、瓦礫撤去の現場に向かう途中偶然にもその寿司屋さんを発見しましたが、当時はまだ営業を再開していませんでした。
が・・・今回石巻へ行った時にはもう一度、寄ってみようと思いその寿司屋さんに行きました。
なんと、のれんがかかっていて、営業を再開していたので、もちろん寿司を食べに行きました。
寿司屋の大将と話をしているとこの店もやはり津波をかぶり大人の胸位の高さまで津波に漬かったそうです。
でも何より、無事に店が再開できた事が、一番良かったのではないかと思います。
そして最後に帰りに、福島県南相馬市、浪江町に向かいました。ここは原発事故非難区域が解除されて間もない場所です。
旅の計画ではここの地域のJAや道の駅で地元の方に話を聞こうとでも思ってましたが、復興しているとか、仮設で店を再開したとかそんなんでは無く、ホームセンターやパチンコ屋やファッションセンターしまむらetc・・・
本当に2年半前に時が止まった状態でした。
津波を受けて止まっている車、流されているままの横たわっている家屋、転がっている貨物コンテナ
まだ何もしていない現実を見ると出てくる言葉がありませんでした。
『何が自分達が出来るのか?』
『今まで自分達がやってきた活動は一体何だったんだろう?』
『ニュースや報道で言っている事など、全て嘘か?』
そんな想いがこみ上げて来るような町並みが広がっていました。
福島原発に関しては自分の安易な考えがあった事を深く反省したいと思います。
でもこれだけは言いたいことは、『福島原発が収まり次第、また自分達の力が必要な時は必ず行きます。そして、少しでも力になろうと思います。』
今回の旅の感想・・・
今回は東北3県、見て回って感じた事は、まだだま復興には程遠いが、いつか必ず、と思う愛情が溢れるているのが各県や街を観ていて感じました。
大槌町で模型を作って方、南三陸町のビーチで活動をしていたボランティアの方、石巻市で活動をしている仲間達、寿司屋で元気に頑張っていた大将、復旧作業に汗を流している工事現場の方、福島で交通整理をしている警察官etc
皆、皆、皆、皆、『いつか必ず!!』と前を見て頑張っている姿を見て来ました。
そんな自分達も、もっともっと何か出来る事を探して前に進もうと思いました。
自分自身の普段の仕事や遊びや趣味や続けているボラ活動・・・
そして何が大切なのか?仲間、家族、親戚、人と人と繋がりや絆・・・
皆さんも少しでも良いので、自分自身をもっと大切に見つめ直して下さい。もう一度、仲間や家族を少し大切に思ってみて下さい。
それから、東北産の物が売っていたら買ってみるとか、募金箱に小銭を入れてみる等、で良いと思うので少しのボランティアが大きな復興に繋がると思います。
少しでも良いので2年前の事を気に止めて下さい。
そしててあの3.11の日を風化させないで後世に語り継いで行って下さい。
最後に・・・自分は、この会社に入社をする前、6年間トラックで全国を走り周り仕事をさせて頂いてました。勿論今回旅をした東北地方の方々にも大変お世話になりました。全国の地域の方々にお世話になりました。全国各地、良い所、素晴らしい場所も沢山行きました。だからこそ、本当の意味での日本の復興、東北地方の復興を心より願っています。そして今後もボランティア活動を始め、自分が出来る何かを少しでも良いので復興支援に携わって行けたらと思います。
長くなりましたが東北の現状と旅の感想を書かせていただきました。