闘病記(脳梗塞・脳動脈瘤)

今から11年前の31歳の時に、脳梗塞を発病し、それ以後、3回の脳梗塞と脳動脈瘤を併発。それでも1日も諦めなかった。

僕の仕事

2007-05-07 16:02:28 | Weblog
1997年 平成9年4月 32歳

 昨年、「脳梗塞」と診断されてから一年が経っていた。あれから、身体に異変はなく、毎日、家業の衣料品店の仕事をしていた。
 仕入れ、販売、父親が4年前に倒れてから、修行先の衣料品店を急遽辞める事になり、父親の店で社員として働いていた。
 修行先の川野に入ってからの最初の私の仕事は掃除でした。朝、出社したら制服に着替えて100坪のフロア―を同期生3人で
モップ掛け。シャッタ―が開いてオープンしてからもモップ掛け、100坪の店内をグルグル回り「いらっしゃいませー。
どうぞご利用くださいませー。」と腹から声を出してその繰り返し。商品には一切触らしてはもらえぬ、日々が続いた。それが半年間続いた。入社して1週間しての歓迎飲み会での事。かなり飲まされ店長と二人で一緒に山手線のホームに着くと、初めて店長から声を掛けてくれた。「飯岡。お前、声が出てるじゃん。明日からも頑張れよ。お疲れさん。」(嬉しかった。初めて声を掛けられ褒められて嬉しかった。店長が乗車した走り去る中央線を見送りその直後山手線に乗り込み家路に着いた。
(店長は黙って俺の働く姿を見ていてくれたんだ) 褒められた事よりも初めて話し掛けられた事が嬉しかった。入社して半年やっとシャツの仕入れ、商品展開、販売担当をかされその後1年後、仕入れを任かされ修行時代が、何年か続いた頃、店長代理まで昇進した矢先、父親が病気の為倒れ、川野を辞める事になって しまった事は、非常に残念でならなかった。と同時に(ここで学んだ事を、これから、父親の店で活かして頑張って行こう)と思っていた。 そして、父親の代わりになれる様、毎日自分なりに必死で頑張った。そして、それから更なる恐怖となる1年後の夏が来るのでした。

 
 今日は僕の仕事のお話でした。
 
 明日は更なる1年後の恐怖のお話しです。