闘病記(脳梗塞・脳動脈瘤)

今から11年前の31歳の時に、脳梗塞を発病し、それ以後、3回の脳梗塞と脳動脈瘤を併発。それでも1日も諦めなかった。

妻の日記Ⅴ  回復へのステップ

2008-12-22 07:06:02 | Weblog

   2006年  平成18年  1~3月

 暮れも迫り、慌しく日赤を退院し、リハビリ病院へと転院したのが、12/28でした。病院はとても綺麗で、リハビリ病院だけあって、病室も広くて、明るかったです。 始めは、2Fの整形外科病棟で色々な検査を受け、年が明け、病院が始まり4Fのリハビリ病棟に移動し、リハビリが始まりました。
ST・PT・OT全てやって頂けるのと、今までに、やった事の無いリハビリをやって下さるので、これを見た私は「もう宏ちゃん一人でも大丈夫!」と思い、何日かして様子を見て、東京に帰る事にしました。後は、主人が、「自分の力で、頑張るから、東京に帰っていいよ。」と言ってくれた事が何よりも嬉かったです。
私も会社を、長い間休暇を取っていたので、帰る良いきっかけになりました。
そして、1/7東京へ帰宅したのでした。
何とか主人も、一人で頑張っているようで、それからは、私も様子を見に、1ヶ月に一度のペースで旭川に行きました。行くたんびに元気になり、大分、体力も回復してきたので、2月に外出許可を頂き、上山先生に診て頂き、退院の許可と東京での病院を捜して頂く事になりました。 そして、3/28念願の退院となりました。「宏ちゃん随分長い入院生活だったけど、良く頑張ったね!退院おめでとう」旭川で、先生方を始め、色々な方に出会い、皆に助けられたから、今があるんだと思うよ。 これからは、宏ちゃんが、皆の為に何かできたらいいね!」何かの形で恩返しができると思うよ。
旭川でのこの4ヶ月半での出来事は、私の中で生涯忘れる事ができない体験となりました。上山先生を始め、病院の先生方、入院を通じて知り逢った、患者さん(ご家族の方)、私は本当に心の暖かい親切な人に巡り逢ったからこそ、この試練を乗り越えられたんだと思います。人との出会いをこんなにも大切にと思った事はありませんでした。人は一人では生きていけないものです。
だからこそ、思いやる気持ちが必要なのです。私は、これから、また主人に何が起きても一緒に闘うつもりです。
病気になる事が、必ずしも悪い事ばかりではありません。病気になったからこそ、解ったことも沢山ありました。楽しい事、辛い事、生きてさえいれば今は幸せです。この病気を通じて、私は沢山の事を学びました。そして、また、新たな問題が起きるとは、その時は、思いも寄らなかったのでした。

  
  続きはまた明日掲載します