闘病記(脳梗塞・脳動脈瘤)

今から11年前の31歳の時に、脳梗塞を発病し、それ以後、3回の脳梗塞と脳動脈瘤を併発。それでも1日も諦めなかった。

旭川リハビリテーション病院への転院

2008-12-16 07:19:38 | Weblog
   2005年  平成17年12月 ②      40歳

 朝食後、前日に用意し終った荷物を慌しく運び込み、車椅子を押してもらってタクシーまで付き添って貰って旭川赤十字病院を出発しました。窓の外は真っ白な一面銀世界に変っており違和感がありました。
付き添って貰った病棟一の美人看護師さんに「じゃあ。あったかくして風邪をひかない様にしてくださいね。また何時でも遊びに来てくださいね。」といわれ「有難う。」の言葉を言えぬまま走り去っていきました。しかし、術前は余り雪は降っておらず、(すげえ田舎だなぁ。)と思っていた街並がすっかり雪景色に変っていたのには正直驚きました。(こんな寒い所でリハビリに励むのは辛いなぁ。)と思いながら30分程走りリハビリテーション病院に到着しました。運転手さんに推してもらい受付脇に車椅子を止めて貰い、恵美子が受付を済ますと同時に2階の病室に行きベッド上で待っていると、内科の辻先生が来てくれました。「いやー。よくこんな旭川の外れまできてくれました。よろしく。僕は上山先生とは飲み友達なんですよ。沢山縛られる規則があって慣れるまで大変だと思いますけど頑張って下さい。」といわれ握手された。この時まで医師と握手した事がなかっただけに非常に驚いた。「しかし、気さくな先生だな?」と恵美子に言ったが、恵美子も驚いていた。最初の病室は6人部屋で在室は4人。他の人は正月という事で実家に帰宅中であった。ガラーンとした病室であったが壁は真っ白で綺麗なつくりだった。暖房は一年中付けっ放しだそうで快適一日中半袖。TシャツでOKで。病室内はリハビリをするのに快適な条件。申し分なかった。
看護師さんも美人揃いで人当たりの良い人ばかりで良かった。入院してから正月三が日はとにかく、テレビに集中の毎日で、初めにきつかったのがやはり食事。
運動をしていないから、腹が減らない訳で・・・そこで「食べなさい。食べなさい。」と言われても、食える訳でもなく、今思い出してもあの頃が一番憂鬱だった。食事面では、大晦日の年越しそばも食べられず、その代わり正月の御節料理は立派であった。味と見栄えの両面で。喫煙もこの頃になるとすっかり忘れていて。(こんなもんか・・・。)と言う感じのものだった。
1月初め、私のリハビリの先生が決まった。足の運動療法(PT)稲田先生、腕の運動療法(OT)本澤先生、声の運動療法(ST)幅寺先生の3人に決まった。初め、稲田先生が朝一人でベッドまで来て手足の確認を行い「明日の朝から頑張りましょう。」との言葉を掛けてくれた。微笑みの、りりしいスカッとした人と言うイメージであった。
朝からの運動が始まってからは食も戻って来てとにかく3度の飯の時間が楽しみになった。授業は、1科目1時間、STのみ40分であった。稲田、本澤両先生ともマッサージ、トレーニング内容共に密度が濃く毎日が充実
した日々であった。STの幅寺先生には、とにかく愚痴を聞いて貰った。という面でお世話になった。1月も末になり暇さえあれば廊下の窓から旭川医大のキャンパスを眺める事が日々の日課の様になっていった。「遠くの景色を眺める事も一つのストレス解消です。」旭川赤十字病院で私の手術チームの一員の先生に言われた言葉だ。(良い事言うなあ・・・。)と今でも思い返す。
自分の誕生日も過ぎ、残り滞在日数も後一ヶ月となり、これといった新たな目標もなく悶々と一日一日を過ごしていった。3月に入ると僅かながら走る事も出来る様になった。これが嬉しくて嬉しくて一人散歩も1階まで自由になり行動範囲が広がった。一番初めに同部屋だった工務店の社長と廊下ですれ違った時「おぉ!歩けるようになったのか?よかった なぁ!」と声を懸けられ嬉しかった事を覚えている。
もう退院まで一ヶ月を過ぎた頃の事である主任である新入りの看護婦さんが私のところにやって来て「後でどれ位歩けるようになったか見せてくれる?一緒に一階の売店に行きましょう。」と声を掛けてくれた。その頃冷蔵庫にストックしてある納豆が残り少なくなったので「一人で外出して買いに行ってもいいですか?」と聞くと「一人で外に行くことは危ないから駄目です。」と言われ続け、(それじゃあ、俺みたいな東京から一人で来て入院している人間はどうすればいいの?)と思っていました。妻が、1ヶ月に1度、来ては、その時にまとめて買い物をしましたが、やはり、それだけでは足らず、同室の菅原さんの奥さんが親切にして下さり色々と、買い物して下さりほんと助かりました。ありがとうございました。
そして、3月に入り、いよいよ退院の日が 決まりました。3月28日です。
やっと、東京に帰れるんだ、と思うと、嬉しくてたまりませんでした。旭川での、4ヶ月半、様々な出来事。辛い事もあったけど、僕にとって、この、入院生活を通じて出会った人達は、僕にとっての宝物になりました。今まで頑張ってきて本当に良かった、と心の底から思いました。そして、ついに、退院の日を迎えるのでした。


いよいよ次回は退院です  旭川に別れを告げます 


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