闘病記(脳梗塞・脳動脈瘤)

今から11年前の31歳の時に、脳梗塞を発病し、それ以後、3回の脳梗塞と脳動脈瘤を併発。それでも1日も諦めなかった。

妻の日記Ⅵ 自宅での生活

2009-02-22 15:17:09 | Weblog
今日は妻の日記Ⅵです。 

 2006年 平成18年 

 
 自宅に戻り、1週間が経ち、1ヶ月が経ち、リハビリ病院での訓練以外は、何もしない1日中ボーとした生活を送っておりました。
私との話も殆どしてくれず、「何故話してくれないの?」と聞いても、「煩いから」の一言で全くと言っていい程、話をしてくれないのにはほんと参りました。もう、こんな日が続くの見兼ねて、退院の時に、上山先生は、「なにせ、油断ならない人なので、気をつけてみて下さい」とおっしゃっていたので、退院後も、症状の変化があると、先生にメールで、ご報告しておりました。今のこの状態を見兼ねた先生は、主人に「まったくしゃべらないのは困りましたね!東京には頻繁に行きますので、どこかで会って気合を入れましょうね」と言って下さり、東京での学会の合間、お忙しいのにも関らず、1時間、時間を取って頂き、主人に“気合”を入れて頂き、主人の話を聞いて下さいました。上山先生には、退院後も何かとご配慮頂き、感謝しております。その後、少しずつですが、話もしてくれる様になり、家でのリハビリにも、やる気を見せ始め、人とのコミュニケーションを取る事で構音障害にも役立つと思い、心身障害センターでのOA機器の入所を希望し1次、2次試験を受験しましたが、何と結果は不合格でした。これには、私も納得がいかず、担当の方に落ちた理由を問いてみましたが、教えて貰えませんでした。このことを、リハ科の先生にお話した所、1次試験の結果を見て、高次脳機能障害」ではないのか?と、その時、私は初めて思いました。今までにどの先生からも、高次脳機能障害とは言われた事がなかったので、ショックでした。と同時に、今思えば、思い当たる節が多々ありました。
旭川から退院して、口もきいてくれないし何もやる気を示さない生活が続いた時、私は、何も知らず、ガミガミ怒ってばかりいました。しかし、それは、今思えば、その時からすでに高次脳機能障害だったんですね!「ほんと、解ってあげられなくて、ごめんね!」これからは、ちゃんと、高次脳って事が解ったから、安心してね!主人と毎日一緒に居ても、次から次へと色んな事が起こります。主人の事を何でも理解ていると、思っていましたが、中々難しいものですね!でも、一つ一つが勉強です。主人にこれから、何時、どんな事が起ころうと、今まで私達を支えて下さった方の為にも、二人で力を合わせ、頑張りたいと思います。


高次脳機能障害 慈恵医大リハビリ科     橋本圭司先生

2009-02-15 17:11:31 | Weblog
 皆さん~大変ご無沙汰しておりました。 すみません。
 では、前回の続き「高次脳機能障害」についての内容になっております     

 2006年  平成18年  11月    41歳

 僕は、都リハのリハビリ科の先生に高次脳機能障害を専門にやっている、先生がいるので、紹介しましょう。と言われ、「慈恵医大・リハビリ科・橋本先生」を紹介して頂きました。
まず、〔高次脳機能障害〕とは、交通事故や転落事故・スポーツ事故等によって脳に損傷を受け、或いは、脳血管障害後の後遺症として、記憶障害、注意障害、記憶障害、社会的行動障害などの認知障害を生じ、これに起因して、日常生活・社会生活への適応が困難となる障害とされています。
僕は、脳梗塞を何回もやっているので、脳血管障害後の後遺症として、高次脳機能障害になってしまいました。そして、橋本先生の外来に行く事になったのでした。
橋本先生は、若いのに、とてもしっかりとした考えを持っていて、とても信頼のおける先生です。そして、高次脳機能障害についての説明、症状等、教えて下さいました。先生は、「右側頭葉から頭頂葉に掛けて、脳梗塞がありますが、左側の脳は正常に活動しているので、左を使う様にしたら、良いと思います」。と言われました。 そして、色々質問され、先生は熱心に話を聞いて下さいました。先生とは、自然と僕の言っている事が通じるので、会話が進みます。
他の人とでは、中々言葉が通じない事が殆どなので、途中で、話す事に疲れてしまいます。先生との会話が僕の言語での大きなリハビリにもなりますし、自信にも繋がります。橋本先生との、外来は、月1回ですが、先生とお話するのが楽しみでした。 そして、今、こうやって、闘病生活の本を書く事を先生にお話したら、「僕の患者さんでも書かれた人は何人も、いますよ。とても良い事なので頑張って下さい」と笑顔でおっしゃってくれました。僕はまた、勇気が湧いてきました。
 そして、橋本先生に先日の外来で、「飯岡さん、もう少し、ステップアップしましょう。今は、家の人に甘えて何でもやってもらってるでしょ?これからは、自立しなくっちゃ!ね!」と先生に言われ、最もだと思った。
いい加減、自分で出来る事はやっているものの、やはり、家に居ると、つい、恵美子に甘えてしまう。僕が自立するのにいいチャンスだと思いました。そして、僕は、これから必ずもう一度、社会復帰を目指し、今、自分にできる事をまず、やってみる。何があっても、今までの病気との苦悩を思えば、やれるんだ。さあーこれからが、僕に出来る恩返しです。僕を支えてくれた皆さんのために僕は目標に向かって頑張ります。
これが、僕と橋本先生との出会いでした。

 新たに「高次脳機能障害」と言う障害が解った僕は、この障害を素直に受け止め、僕に出来る事、自立への道を誓うのでした