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演奏後記 NHK学園 市川スクール 第20弾 秋山良造

2015-06-26 10:13:39 | 平家琵琶

演奏後記 NHK学園 市川スクール                        平成27年6月25日(木)
平家琵琶を味わう 第20弾  ~義経鎌倉へ入れられず・平家断絶~   会場:鎌倉腰越 満福寺
曲句:巻十二 腰越状  巻十二 六代被斬

縁の地で縁の曲句を語る、これは特別な気持ちの高揚を覚える。
「腰越状」は、義経が宗盛父子を伴って鎌倉入りをしょうとしたが、頼朝は宗盛父子だけを引き取り義経を拒否した。
頼朝には既に戦奉行としての梶原景時の報告がなされ、それは都合の良い脚色になっていたのである。
義経の「自身の心に偽りはないのに 何故?」「兄への反抗心などないのに 何故?」と問い返すその書状には
「神に誓って真の気持ちを宣言する」 をしたためたものである。書状部分は義経の苦悶と苦悩の格闘の心(何故
を問いつつ釈明の心を誓い)で哀願する義経の気持ちを内包した表現を心掛けた。
特に、散し読み物として独特の語り口調・節で義経の心を表現することに努めた。
前部は義経と宗盛の心の交流、勝者義経の余裕、敗者宗盛の不安と懇願・生への未練の心を語った。
梶原景時の頼朝に進言する讒言は偽善と他者への妬み、陥れようとする策略が含まれていること。頼朝の短い台
詞のなかには義経への警戒と強い猜疑心が含まれている事を承知しながら語った。

「六代被斬」 今は出家して一族を弔い読経三昧の静かな日を送りたかったろうに、それを許さなかった政権・一族
の対立の根の深さを思う。一族嫡流六代の宿命を思わせられる。
小曲句であるが平曲語りの節・曲調が琵琶の手も哀切な中音・折声にのって語られる平曲らしい秀句である。

本日の演奏語り、喉が詰まり、焦りがあって思うような発声が出来なく、申し訳なくおもいます。
それでも終了後の言葉は嬉しかった「状を見ながら聴いた、義経の心を余すところなく語ってくれた」 とのお言葉。
何年振りかで聴いて下さった方からは「声が以前と違っていた」 と指摘された。


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