缶ビールと色鉛筆6(草稿)

2011-03-01 22:16:58 | AROUND THE N818

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毎年のことだけど、なんとなく大事なことだったりする。N2スタジオから発信されている私信『透明な石』に寄稿して、もう6回を数えることになった。いつもここで草稿を練っている。練っている!?ちゃんと書きたいことを書いて形にするというのは大事なことだと思う。大切だと直感的に思う事柄は、直ぐに過ぎ去って直ぐに忘れてしまうものばかりだから、こういう機会に立ち止まって、しっかりとした形にすることは悪くないことだと思う。コルクボードに気に入ったポストカードをピンで留めるみたいに。

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余り関係のない、アートとは対極にある『開墾』についての話を書いてみようかと思う。『悔恨』ではなくて、『開墾』。前者の方が、ここには相応しい気もするけど、元々僕はそんなスタンスでこれを頼まれたわけじゃないから、いいんだ。

どちらかと言えば、何もない所から生み出す、ということで、かなり近い、同極でもいいんじゃないか?という声も聞こえてきそうだけど、この二つの間には絶対的な隔絶があるということは、最後までお付き合いいただければ明らかになると思う。明らかになるように書いていきたい。

 

そんな感じで、はじまり、はじまり。

 

柳やら何やら、勝手に生えているような境目の分かりにくい荒野に案内されて米を作ろうという構想を打ち明けられたのは、今から3年前。

 

よく話が見えずに、余り疑問を持たずに、振り下ろした鉄の塊は、まさしく侵略者のそれと同じだった。それが実に野蛮な行為だというのを自覚したのはその少し後だったけど、そんなのには構っていられないで、ありとあらゆる方法で、彼らの住む群落に鉄の塊を振り下ろした。それが、深くくい込むこともあれば、やすやすと簡単に跳ね返されることもあった。まぁ、比率としては2:8が妥当なところ。傷跡を残したと思い込み、次の日に訪れてみると何事もなかったように元に戻っていた・・・、か、場所を間違えていたか。

 

息づくものたちの生命力に感嘆しながら、それ以上にじわじわとムカつきながらしているうちに、僕らの都合が少しずつではあるが、形を成し、雑談がヴィジョンとなり、悪ノリを含めて盛り上がることを繰り返すうちに、遂には黄色い破壊神を召喚するに至った。辛うじて輪郭を露わにしつつあったその世界は、勝手な僕らの都合で線を引かれ、新しい法則を強いられることになる、はず、だった。

 

この頃には、息づくものたちに心底ムカついていたので、轟音とともにやってきた破壊神を、僕は目を細めて迎え入れた。破壊神によって、抉り取られ、ほぼ無作為に空中に舞う、強制的に移住することを余儀なくされる、彼ら。実に痛快な光景であったし、何より音が派手なのが、僕の性に合った。

 

何時間もかからず、悉く僕らを跳ね返し続けた生命力どもは、ただの土くれになった。僕らの都合であったり、イカレタ遊びであったり、の、傑作である池の輪郭や畔を含む直線を眺めた時には、もう陽が落ちるところだった。僕は、僕らの都合が形を成したことに達成感を覚え、沈みゆく太陽を背に、数時間前まで息づくものたちによって満たされていたはずの、今はただの地表を露わにしたなんとなく乾いたような荒野を眺めていた。それぞれの都合をバラバラに持った大人が3人で眺めていたんだった。

 

「初めてのお客さんが来たんだねぇ・・・」誰かが呟いた。何のことか分からず、何度も聞き返してから、何度も確認し、やっとの思いで目の焦点を合わせることに成功した僕が見たものは、キラキラと光る膨大な数の10㎝程度の、透明な糸だった。

 

美しいとは自分の中で形容できずに、その不思議を驚きながら眺めていた僕は、『これらは小さな蜘蛛が糸を垂らし、ヨットのセーリングのように風になびいて、この地に降り立った』ことを、ほどなくして教わった。

生命は既に、息づこうとしていた。それも、新しい秩序が布告される、その間隙を縫って・・・、知らぬ間に・・・、誰と相談するでもなく、静かにしかし大挙して押し寄せていた。

想像もつかなかった秘儀を目の当たりにした、ようには、この時は、思っていませんでした。

 

 

しばらく、と言っても、一週間を待たずに時間をおいて行ってみると、ズタズタにされた筈の彼らの世界は確実に次へ向かって進み始めていた。いや、とっくに進んでいた。しれっと、小さく、だけれども力強くて確かな緑が一斉に芽吹いていた。まるで、こんな出来事に対し周到に準備し、今か今かと待っていたかのように思えた。今にも嘲笑が聞こえてきそうですら、あった。

 

恥ずかしさを堪え、遅ればせながら、ここでやっと僕は知らなかった秘儀のようなものを肌で感じた。なんとなくの自己中心的な僕がやすやすとやり過ごされたことを知った。彼らから見れば、何も為されていなかった、なんも起こってすら、いなかった。

 

跳ね返す力なんぞは生命力でもなんでもなくて・・・、『やり過ごす力こそが生命力なのだ』と、知った。不連続でいて隅々まで満ちている関係性が作り出す完全なる秩序は、明らかに圧倒しまくって僕の周りをに覆っていて、それは何重にもそれこそ無限に畳み込まれていて、僕らの思惑や作為や達成感なんぞはまったく、相手にされない。まったく。

 

なんとなく、正真正銘の秘儀を、舐めてみた、ような気がしたんだった。

・・・ってのが、もう、3年前。

 


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