次を求めない人々…。

2007-01-07 00:40:55 | 最近、たまたま楽しいだけです。
短い階段、梯子を使うと決めて書き始めた。

僕が東京に居た頃、僕の周りにはヤクザな感じのおじさんたちが群れていて、それはそれで、とても面白かったのですが、よく説教をされました。当時、僕の周りに居たおじさんたちは、バブルの幻影をまだ追い求めていて、今思い出すとまだまだ好ましい人たちでした。今、思い出してですが…なかなか立派で、それでいてチャーミングでしたし、酒を幾らでも飲ましてくれました。(その当時の話は面白いのでいつの日にかここで取り上げようと思っています。)反論ばかりしていて、感謝する暇がなかったことを悔やんでいます。だから、その人たちに対する反論ではなかったんだ…。

僕が嫌悪するのは、『学校の延長を追い求める人たち』です。他のルールに対応出来ない、自分たちのルールでしか戦えない人間を、僕は嫌悪します。

人生が決まる瞬間があるとします。それは、20そこそこなのでしょうか?どうでもいいけど…。んで、人生が決まる…。その前から多分レールが引かれていて、テキストに書いてあるゴールを目指す人生。誰も傷つけず、自分も傷つかない最短距離を歩む。ふ~ん…、偉そうに言っていても楽しい酒を飲めない人が多い、面白い話を出来ない、というのは、ギャグなのでしょうか? そんな傾向がその辺にゴロゴロしてます。

最近ですが、よく「多角的に物事を見れる」と言われます。外国を放浪した経験からそう見られているのなら、残念ながら論外です。とんでもない、思い違いです。僕がやってきたことは、『自分の経験したこと以外信じない!』この一点だけです。次があるのなら、それを経験としてラベルしなきゃいけなかった…っと、遠回りの言い訳です。

詰まらない人たちは経験もしていないことを、半ば妄信し、そのナンセンスに後から、今になって、気付いて、近場にいる僕などの取るに足らない人間を褒めたりします。「それではなかったねぇ…?」僕目線からも、そんな感じかしますもん。卑屈さがあって、何とも言えない。まぁ、余裕がそうさせているのかもしれません。それか逆に、現状の社会を築いたことの負い目を感じているのかもしれません。いや、やはり余裕が先立つのかなぁ…。どちらにしろ軽薄ですし、寂しいですね。ナンセンス。

確実に僕はこれから苦労します。レールに乗らなかった、乗れなかった、当時の自分を憎むかもしれません。新しいことに翻弄されて何も得ないまま終わる可能性も大です。でも、僕の周りには妄信しない、自分を妄信する人たちが沢山います。後になって次世代の若者に媚びへつらう人は居ません。笑い話だけは、普通の人より多めに持っていますし、笑い話は増える軌道に乗った感じがします。そんな土壌があるので『自分の経験したこと以外、信じない!』と言う信念を変える気もないです。幾らでも、何処にでも振れることが出来る人生は魅力的です。

地位も名誉もお金も無いけど、どんな状況が待っていようと、僕は身一つで戦えます。これは、早めの、勝利宣言です。

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4 コメント

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愛と現実(以下、一切関係なし) (kudo-i)
2007-01-08 00:48:27
 ちょこざいな、小わっぱが。勝利宣言などまだ早いわ。ヒヨッコちゃんめ

 士気の郷なんてな、客の車が1台もない、3連休中日の日曜中夜に、玄武の滝ライトアップしてんだぞ。雪不足がアナウンスされて、町内はどこも大変だけども。粋じゃねぇか。採算度外視のこんこんちきだ。

 人は人、自分は自分。口に出さず。頭にも思い浮かべず。そういう人になったら宣言無用で、事実上の勝利宣言になるのではないかえ?

 地位も名誉も金もない、なんて前提を言葉に出したら、それらを持ってるやつらに「なぁ~んだ、ひがみか」って思われるじゃん。癪だ、んなもん。声高に叫ぶな。んなもんは身内で発散しておくのサムニダ。

 人生は、人間の一生は、勝ち、負けではない。それでも比較の中でオラたちは生きてる。「勝ってる」「負けてる」でカテゴライズされれば・すれば、人間ってのは楽だからね。知ってれば心強い。

 知らないことは、多くの人にとって脅威。知ってること、分かってることで充足させる生き方もある。これから受け入れる情報を制限するとかね。みんな自分の中で一定の居心地よさを保って生きてる。

 それが、所謂『学校の延長を追い求める人たち』だを指すのなら、それを嫌悪しても仕方ないよ。そういう人の力、総合力があってこそ、社会は、日本は、世界は支えられてきた。間違った方向だとしても生まれ出づるマジョリティーが生涯を全うできる。

 ナポレオンやエジソン、アインシュタインみたいなのしかいない人類じゃあ、とっくに滅びてる。バランスと構成比率で世界は保たれてる。ピラミッドは階級や地域以外に厳然としてあるのだから。

 オラも、お前さんも、みんなご他聞に漏れず不十分・不足さを抱えてる。それを表に出す・出さないの違いこそあれ、だ。お前さんにないものをオラが持ってることもあるだろうし、実際にオラにないものをお前さんはいっぱい持ってる。

 だから自他共に不十分・不足を抱えているにせよ、自分にないものが相手にあれば相手を尊重できるし、共通してれば共感できる。仮に相手に不十分・不足がったとしても補って余りあるものを持ってるなら尊重できる。

 とかなんとかいっても、オラにも嫌悪する人がいるからね。人の振り見て我が振り直せ…痛感!

 今を楽しく、これからも楽しく、なりたい自分、こうあってほしい身近な人たちの幸せのため。自分に何ができるかで脳を働かせようや。長いようでも人生は短い。嫌悪してる時間は、もったいないってば。

 そんなことを言えるのも、明日が休みなれば、こそ。明日夜に同じことを考えるだろうか、疑問。
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興奮するな。 (はなみず)
2007-01-08 01:37:19
諭すから、ダメなんだ。理解できないからこそ、信用しなきゃダメ。んで、僕はマジョリティーを信用できない。直感的に、ダサいから。

分からないから面白い。その事を言いたかった。
卑屈になるのは個性です。実際、卑屈になっても面白い。その事を言いたかった。分かる?
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勝利宣言の行方。 (はなみず)
2007-01-08 01:58:13
出来る出来ないの話で、向き不向きがあるでしょう。知ってる!それ、知ってる!!僕は、もっと楽しくていいと思っているから、楽しくない奴は嫌い。そんな比率があって、僕は割りと楽しい所にいるから、余談も余談。

そして、冒険は冒険。独立した、固有の冒険。
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どこに幸あれ (kudo-i)
2007-01-08 10:46:53
 分からないのは、面白いこと、興味をそそることだ。卑屈になるのは面白いかなぁ。

 楽しくない人もいるよね。そういう人はもったいないと思う。オラは自分ももったいなくならないようにはなりたい。

 楽しくないことも、楽しくするためにしなくちゃならぬこともある、そうも思う。真性M男としては痛みの先にある快感が愛おしくって。

 

 

 
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