そういえば、旅記

2013-11-10 10:58:53 | 大丈夫か?この人…。

::::::::::

そういえば、旅記。中国では最近、ウイグル人がドタバタしている!?らしい。10年以上も前だけど、中国を旅した際、僕はタクラマカン砂漠を越えて新疆ウイグル自治区に入った。

::::::::::

銀川を越えるとウイグル人の土地になるよ、って親しくなった中国人に聞いたんだけど。

当時、新疆ウイグル自治区ではやっと所謂『中国人』の漢民族がウルムチという州都に進出してきたところだった。殆どの屋台はウイグル族がやっており、インターネット・カフェは漢民族、銀行なども漢民族、といった感じだった。建物があるレストラン、ホテルなども漢民族の従業員しか見られなかったかな。僕の目的地はウルムチのような大都市ではなく更に西にいった方だったので、休憩の意味で1日滞在し、次の日にはバスに乗って確か?トルファンを目指した。

トルファンまで行くと、ウイグル人だらけになった。ホテルの従業員と小さな商店は漢民族だったかな?けど、辛うじて豚肉は食べれた気もする。この辺になると、乾いた土地に点在するオアシスに町を作ったんだと思う。面倒くさいから、調べないけど、天山山脈からずっと井戸を掘って水を引っ張ってきて生活を作っていた気がしてきた。干しブドウと、土鍋を使ったウイグル料理の美味しさが印象に残っている。乾いた土地、単色の街並み。一日2回、アザーンが鳴り響く。目指すは、カシュガル!地図の一番西端にある町!だけど、途中、よく分かんない町で下車して丘に上り風景を簡単に描いた。

カシュガルはバザールを中心とした全くもってイスラムの町だった。それでもホテルは漢民族だったかな?旅行社を兼ねた、外国人のやっているホテルもあった。バスやタクシーより、ロバ車の方が多かった。ウイグル人は親切なので、よく乗せてくれた。バザールを中心として放射状の町が広がっている。食べ物も圧倒的に羊になった。ウイグル人は音楽が好きだった。その辺で、おっちゃんが見たこともない楽器を弾いている。紅茶を飲みながら。僕も楽器屋に行って、楽器職人の兄ちゃんと仲良しになり、2弦のドゥッタールとかいう楽器を買った。この兄ちゃんとはかなり仲良しになって、弾き方を教えてもらったりした。夕飯は彼の仕事終わりに屋台で一緒に食べてた。

ビョンビョンなるこのドゥッタールは旅の友になった。暇つぶしや、酒のつまみとして大活躍だった。イスラムの町だったけど、常にビールは買えたんだった。楽器屋の兄ちゃんは飲まなかったけど。

どのタイミングでか忘れたけど、タクラマカン砂漠を南に抜けてホータンという町にいった。砂漠高路、デザートハイウェイ、をヒッチハイクしたトラックに乗せてもらって走った。確か、砂漠高路を走るバスはなかったんだった。写真のウイグル人のおっちゃんとの交渉には骨を折ったけど、何か適当で楽しかった。この道路は、独立運動が起こった際、軍事用で使うことを前提に作られた!戦車も走れるんだぜぇ!って、誰かに聞いた気がする。

なんとなく、何処かでウイグル族の独立の話を聞いたんだった。「太平洋戦争で日本が勝った暁には、ウイグル人の独立を約束する」といった密約があったみたい、な話を、何処かで…聞いた。だから、僕ら(ウイグル人)は日本人が好きなんだ!といった感じだったけど、特別にもてなされている感じはしなかった。ふーん、僕が鈍いのだろうけど、そんなに漢民族との間に確執みたいなのは見当たらなかったけど、確かに仕事に置いて差はあった気がする。となると貧富の差もあったんだな。ただ、文化や価値観で住み分けされていたような感じだったな。

どうやら、漢民族の文化をウイグル人に浸透させようとしていたらしい、話は、ずっと後に聞いた。チベット系やモンゴル系も同じやり方なんだと。民族浄化と言って、ウイグル人と漢民族の混血を促し、漢民族の教育を受けさせることによって、民族のアイデンティティを薄めていく、というやり方らしい。ま、イイもワルイも分かんない。わざわざ、言葉にして、国策にして、って気はするけど。

ウイグル人の独立運動か。

中国はまだまだ見えにくい国だなぁ…と、最近思ったから、こんなこと書いてみました。

 

 


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
みんな混血 (ノブ)
2013-11-18 16:58:21
中国の旅情は思ったよりも色濃いんだねぇ。
そういうのって明日から瞬発的に自分に
影響を…というよりも、じわじわ色が混じってくるって感覚に近いよね。
結婚も同じもんかもなぁ~と思う。混血政策も似たようなもんだ。
返信する
そうーだね。 (はなみず)
2013-11-24 09:42:09
今になってさ、あ!?って、思い出すことがある。ウイグル独立を目指す若者の家にもお世話になったけど、全く暴力的な話はなかった。それよっか、ソ連のアフガン侵攻にウイグルのムジャヒディンが駆けつけたこと、そして大活躍したことを誇らしげに語ってた。独立も絵に描いた餅のような話だったしね。少数民族が多数の漢民族の犠牲になっているって、そんな構図ができちゃったんだろうね。党の上層部の腐敗とか、金持ちと貧乏とか、地域の格差とかもあるみたいだし。どちらかが引き金を引けば後は暴力は連鎖…。どこだりにあることだだけど、同んなじように進むね。広いから大変だよね。広いから面白いんだけど、俺は。
返信する

コメントを投稿