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瘋癲北欧日記

第二の人生 つれづれなるままに

皿とナチス

2015年02月01日 | 人々の暮らし

1月31日 曇りのち雪


昼すぎ、私用でフィスクセートラまで行ったついでに、グスタフスベルイGustafsbergまで足
を伸ばした。
グスタフスベルイには陶器博物館があり、周囲では陶器やガラス製品などアウトレット商
品を販売している。日本人の旅行者が多く訪問する場所らしい。
じっさいには安くはないという現地情報を信じて行ったことはなかった。
が、気にはなっていたので、よい機会と思った。

現地情報通り、とくに安いということはないようだった。
ほしかった皿が2割引きでセールされていたが、じつはキズもので、セコンドなんとかいう
らしいが、製品の一部に小さな欠陥があり、安く売っているということだった。

ほしかった皿は、外周4,5センチ幅に青っぽいストライプが入っている。皿の中心から外
へ、細い青い線が3,4ミリ間隔で放射状に延びている。その色と手書きの線が何ともい
えず美しい。
ところが、この線が一部ショートしていたり、途中で欠けたりしている。あるいは皿のなか
に極小のポッチがはいってしまっている。これを4皿まとめ買いすると2千円ほど安くなる。
半額というのならともかく、それくらいなら完全品を求めたほうがよいのではないか。
ひと皿で計算したら、まあ500円の差ではないか。毎日のように使う可能性もあるわけだ
し、と購入は見送った。


代わりにというか、アンティークの店で、陶器の煮もの入れを買った。
70年の初め買いそろえた気に入りのシリーズで、大中小の皿、盛り皿各種あるが、この
ような10センチほども深さのある箱型は初めて見つけた。イモを入れても、シチューの入
れ物にもよいと思った。
値段は痛かったが、このシリーズは骨董価値が出ているらしいので、仕方がない。

この年になったら、いよいよ食事が大事。なのに好きな日本食材は手に入らない。食器類
くらい、少しはぜいたくをしなければ、生きていてもあまり面白いことはない。



夜、ユダヤの友人から連れ合いにメールが入ってきた。
この日、午後1時ころ、スチュースタstuvsta広場でナチスの集会が開かれたという。
人数はわからないが、ナチたちの車が駐車場を埋め、パトカーが数台出動し、暴力的なデ
モには発展しなかったが、不穏なムードであったと言う。
かれらはナチスの政党化を要求しているらしい。警察は彼らを撮影し車両ナンバーをすべ
て控えたという。
一度起きたことは再発し、重なる可能性もあるだろう。
デモの規模はともかく、スチュースタで、そんな不穏な事件が起きたことには、少なからず衝
撃を受けた。


この国にもイスラム、ユダ、ネオナチなど宗教対立、人種間闘争の火種はある。
北の果てとはいえ欧州の主要国のひとつ。中東地区とは比較にならないが、島国では想
像できないほど、特定のローカルや街中では緊張感を強いられる。
しかしスチュースタは、あんがいと外国人居住者が少なく、酒類販売店もないので穏やか
な地域と言われていた。ナチ崇拝者がデモるようなエリアではなかったはずなのに。



どこで生きても、右翼化国粋傾向、イスラム国の過激も対岸の火事とはいえない。自然は
破壊され、あらゆることで地球は火薬庫化へ転がっているように見える。
自分のようなうつけは、いよいよ皿と食事にうつつを抜かすしかないのではないか。


最後のホーム

2015年01月31日 | 人々の暮らし

1月30日 くもり後晴れ
ホームは右の建物


老人ホームの後片付けをした。

この国の、というかフッディンゲ・コミューンの老人ホームは、およそ60平方メートルの部屋
を月13万円で借りる賃貸マンションみたいなものだった。
部屋をどう使うかは住人次第で、故人は本棚やテーブルや椅子、絵画など持ち込んでいた。
そうした私物は運び出さなければならない。程度の軽い引っ越しである。

家族4人で、飾り棚、中にある食器類、置物、壁の絵画などを箱詰めにした。不要な家具や
洋服などはホームの関係者に問い合わせ、かれらが使えると判断したものは残した。
だれが何をとっておくかを決め、不要なものはセカンドハンドの店に運ぶ。テレビと衣裳戸棚
は、孫の一人に譲渡するため、家まで運んだ。


家賃は今月いっぱいまでなので、区切りはよく、今月中にすべて運び出せば来月の家賃は
払う必要がない。一気にやっつけてしまおうということになったのだ。
ついでに言えば、故人は家賃13万円のうち、一部は住宅控除を受けていた。彼女が支払っ
ていたのは、10万円以下であったと思う。収入、彼女の場合は年金であるが、個人年金な
どを加算して受け取る額の多少によって家賃も変わると聞いたが、それは住宅控除のこと
であったらしい。

年金だけが収入の生活者も、人間として普通に生活するだけの金額は持たなければいけな
い。家賃が高額になって生活が不自由になるのはよくない。
年金額の少ないものは、その分、住宅控除を受けることができるーーというのがこの国の考
え方なのだ。日本とは大違いである。



掃除機を借りに食堂に行くと、4人の看護人がソファに座っていた。親しくしていた看護人の
一人が立ちあがって、私たちに近づき、連れ合いにお悔やみを述べた。
「わたしは休みだったの。彼女がなくなったとは知らなくてね、次の日に来たらもう運び去られ
た後だった。とてもよい人だったのにね、お別れができなくて残念だったわ。あなたたちも、よ
くお見舞いにきたわね。だれもが、それほど良く来るわけではないから、彼女もうれしかった
でしょう。ほんとうに残念だわ」
「わたしたちこそ、感謝しています。あなたたちは本当によく面倒を見てくれました。故人も何
の不満もなく、最後まで幸せでした。ここのスタッフは本当によくしてくれると、いつも言ってい
ましたから。その通りで、私たちも、あなた方の看護を見ているので安心でした。ほんとうにあ
りがとう」
看護人は目を潤ませて、連れ合いと、それから私にハグをした。


賃貸マンション並みとはいえ老人ホームなので3度の食事つき、看護婦と看護人の24時間
待機、週一度の医師の巡回というサービスがついた。
看護人たちは、じっさい優しく、じつに献身的で、自分も動けなくなったらこういうところで、こん
なスタッフにケアされて最期を迎えたい、と思ったほどである。



すべて片づけが終わって、部屋は空っぽになった。ベッドには故人の姿もなく、変わらないの
は窓外の眺望だけだった。
しかし、スタッフのケアを思えば、故人もこの部屋でよく過ごせたと考えることができた。
連れ合いにとっても、ここを訪れるのはこれが最後、という寂寥感もずいぶんと薄らいだので
はなかったかと思う。


スウェーデン人はビジネスライクといわれることも多いが、この施設のスタッフに関して言えば、
日本人と変わりがなかった。
人間、気持ちが通えば国の違いは関係ないーーこういう、ありきたりの、いかにもわかったよ
うなモノ言いは、本来は好きではないが、きょうは素直に受け入れることができた。


神父と葬儀

2015年01月30日 | 人々の暮らし

1月29日 曇り雪晴れ


午後、教会で神父と葬儀の打ち合わせがあった。
日本では、葬儀屋がすべて、坊さんの手配まで含めて代行するが、この国では教会と神
父、葬儀屋の役割分担がはっきりしているようだ。

神父は30少し過ぎくらいの男性。ポニーテールのように、薄茶の長髪を後頭部でまとめ
ていた。パーカーに簡易ズボンをはいていた。格好には違和感を持ったが、きわめて真
摯な応対をした。メガネの奥の目は柔和だったが、握手は力強かった。
打ち合わせには連れ合いと、義兄夫婦の4人が出席。教会内の奥まった部屋で行われ
た。私たち4人はソファに座り、彼は椅子に腰かけてノートとペンを手に持った。


彼はまず故人の人となりについて知りたいと言った。
どういう性格の人だったか、自分は当教会に着任して日が浅いので、彼女をよく知らない。
葬儀で話をするのに材料がほしい、と私たち4人に話を促した。
故人の出身地から教会との関係、職業、特技、趣味など、エピソードを交えて話をした。

「まあ、いますぐにではむずかしいかもしれませんね。後でも結構ですよ、何か思いついた
らメールしてください。次に実際的な話をしましょう。讃美歌は希望の曲がありますか?故
人は生前どんな曲が好きでしたか、ご存知ですか」
これもまた、「讃美歌でなくても結構です。故人の好きな曲を演奏することも可能ですよ。
あとで思い出したら知らせてください。もっともオルガン奏者が弾ける曲でなくてはいけま
せんが」と、優しく微笑んだ。



「身内の代表の方が何か話されますか?」
日本では、必ず喪主のあいさつが行われるが、ここではその義務はない。

「葬儀が終了した後、出棺はどのようにされますか。教会の外で皆さん見送られますか。そ
れとも、業者の方にまかせますか。皆さんは別室でひかえていますか?」
日本では、出棺を見送るだけでなく、斎場まで同行する。焼き場に入れる直前、顔の部分
のふたを開けて故人の死に顔を見る。これはつらいことだが、故人との最後の別れをした
いという強い気持ちも働いて、かならず行われる儀式である。

しかし、この国では喪主側の判断でやめることができる。その旨を伝えると、
「そうですね、寒い時期ですし、お年寄りの参列者には厳しいでしょうね。では出棺は皆さ
んが退出した後、業者の方に行ってもらうことにしましょう」

「ミンネストンドはどうしますか?何名くらいの方が集まるのでしょうか」
この国では、式の後に通夜のような会を開く。それをミンネスストンドminnesstund(思い出の
とき )という。わたしたちは教会にある広間で行うと伝えてあった。
「ケイタリングをお願いしています。教会のかたたちにお手数をかけることはしません。その
方たちもよかったら、出席してください」
「ありがとうございます。それは助かります」
教会で行う場合、ボランティアの人たちが手伝うことになる。故人の知り合いも手伝いに出
てくるだろう。しかし、知人にせよほとんどが老人で、食事の用意、後始末には骨を折る。神
父が礼を言ったのは、そのためである。



献花については、式では棺の周囲に置き、式後には教会の裏手に飾る。これが、ここでは
普通である。「森の墓地」の大きな教会では、献花はすべて地下に捨てられる。式場内に
専用の捨て口がある。数が多いので、外に飾ると後始末が大変だからである。


故人の故郷・北の地方紙に掲載する死亡広告には、献花などの気持ちがあれば、この教
会への寄付をお願いします、というノートを付記した。
また、ここの地元紙にはそのことは触れていないが、献花に代わる寄付をしたい方は式当
日、申し出てもらう。そのために名前を記入するノートを用意していただきたい。
「それはとてもありがたいことです。感謝します」と神父は素直に喜んだ。


この国には、財政ピンチを迎えている教会が増えてきたという。
教会をつぶして住宅にする、という話がこのコミューンにもある。教会へ訪れる人たちが少
なくなって、つまり若い人たちは教会に重きを置かなくなり、熱心だった老人が減って運営
資金がショートし始めているらしいのだ。
したがって、この手の寄付は、実際に参列する人たちにとっては、常識の範囲、周知のこと
であるらしい。この国では、香典の類はいっさいなく、寄付がそれに当たるようだが、義務で
はないしむろん強制ではない。
ついでにいえば、通夜のようなミンネスストンドも、すべて喪主側の負担で行う。


このほか細部を詰めて、打ち合わせは終わった。
「式のプログラムは、これからつくります。出来次第、メールであなた方にお届けします。ス
ペルなど間違いがあったら指摘してください」



およそ1時間。打ち合わせを終えて地元の花屋へ行き、棺に載せる花を注文した。
バラを希望すると、花屋の主人がこんな情報をくれた。

「葬儀のころはバラの値段が倍になるよ。普通は1本25クローネくらいだが、50クローネ
(約750円)にはなってしまうんだ。ほらバレンタインデーが近いだろ。赤いバラをプレゼント
するってのが多くてね、品薄になるんですよ。だから業者は、いまから用意し始めている。
そのころまでもつように冷所で保存して、ガスをかけて長持ちさせる。費用もかかってしまう
のですよ。赤いバラでなければ、それほど高くはならないんですけどね」


わたしたちはピンク系の色と赤いバラを混ぜ、かすみ草を合わせてもらうことにした。
ここで使用した写真のチューリップは、義兄夫婦がプレゼントしてくれたものである。


日本と違うルポ番組

2015年01月24日 | 人々の暮らし

1月23日 くもり


ユダヤ人がマルメで迫害されている。その実態をレポートするテレビ番組を見た。


マルメはスウェーデン南部の町。デンマークと指呼の間にあり、治安のよくない土地柄とし
て知られる。アラブ諸国からの難民も多く、それがユダヤ人との関係を険悪にしている、と
いう事情もあるらしい。


番組はまず、イスラムの宗教指導者がユダヤは邪教である、と激しく非難する画像を流す。
それからマルメ在住のユダヤ人たちの証言をとりあげる。証言者は女教師、米国から来た
ラビ、ここで生まれ育ったユダヤ人など。

被害の多くは罵詈雑言である。歩きながら、あるいはクルマですれ違いざま、ユダ死ね、と
言われつばを吐きかけられる。ヒトラーが皆殺しにしなかったのは失敗だ、ユダはせん滅す
る、などと言われる。
肉体的な脅威を覚えることもある。生タマゴをぶつけられるのは軽いほうで、後をつけられ
ナイフをちらつかされて、生きた心地がしなかった、しばらくは恐怖で外出できなかった、も
うこの街で子どもを育てる自信がない、迫害されて職場を変えた、など。
女性教師は顔を隠して証言。生徒から暴言を吐かれ続けて退職した。テレビは、この学校
長に取材して、事の顛末を明らかにする。校長の対応は毅然としていたが、処理の仕方は
万全ではないように思えた。



それから、テレビの記者がユダヤ人の帽子キッパをかぶって潜入。隠しカメラを身につけて
危険ゾーンを歩き回る。
画像は乱れていたが、緊張感のあるシーンが続いた。ここは危険だわ、という同伴女性記者
の声も聞こえたようだが、大過なく過ぎて行く。
結局、彼は大した"被害"は受けない。ユダと言われたり、じろじろ見られた程度で、逆に「何
で見ている。何か言いたいことがあるのか」と、挑発したが、危険な反応はなかった。

テレビ局と明らかにしての取材では、ユダヤ人の問題は、人種ではなくパレスチナ紛争によ
って深刻化している、という証言があった。
若いスウェーデン人の証言で、パレスチナでイスラエルが子どもを虐殺している、パレスチ
ナ人の土地を奪っている、そういう行為に問題がある、と。
また、ユダにシンパシーを持つイスラムの青年の意見もとりあげていた。人種差別には反対
だし、イスラエルで起きている責任を、この国のユダヤ人に負わせるのはおかしい、と彼は
興奮気味に言った。

関係者への取材では、警察の反応が鈍かった。
ユダヤ人ラビらが140近くの被害届を出したが、じっさいに受け付けられたのは8件で、捜査
されたのは3件。それも証拠不十分とかで立件されたのはゼロ。同じクルマから何度も暴言
を吐かれたケースでは、被疑者がクルマは友人に貸したなどととぼけ、それ以上の捜査はな
かったという。
警察のお偉いさんみたいなのも取材を受けたが、のらりくらりという答え方。この街は大きい
からとか何とか、言い訳めいた話だったように思う。


最後に市当局の関係者二人に感想を述べさせる。
この状態が良いとは思わないと、ふたりは異口同音に言ったようだが、よくわからなかった。


自分にはすべてが理解できたわけではない。この番組をコンピュータで見て、わからない単
語など一時停止して聞きながら見たが、途中からは面倒で飛ばしたところも多かった。



人種問題は日本にもあるけれど、この国とは比較にならない。
近年はイスラム諸国からの難民移民を多数抱えて、人種問題は深刻である。なにしろ国民
の5分の一が外国人、という人口構成なのだ。
先の総選挙では右翼政党が20パーセント近い支持を受けた。マルメのユダヤ人問題だけ
でなく、人種問題は全国的な広がりを見せる可能性がある。


この国は第二次大戦中、多くのユダヤ人をナチスから救った。
ラウル・ワレンベルイというハンガリー駐在外交官が、スウェーデンへの査証を出し、1万人
ちかいユダヤ人を救った。日本では杉原千畝が、やはりユダヤ人を救うのに「命のビザ」を
出したが、日本とスウェーデンでは評価に大差がある。
人道主義、平和主義、非武装中立、というスウェーデンのイメージは、ワレンベルイの行為
と評価などから生まれていた。しかし、それもいまや過去ではないか。



番組作りには感心した。
記者が現場へ潜入。収穫はそれほどではなかったが、取材方法自体は評価できる。
ユダヤ人を取材して、まず問題の所在と実態を紹介し、それを実証・検証するために、記者
が現場に乗り込む。隠しカメラで潜入取材。ユダヤ人に紛して、身の危険は承知で取材に
当たる。
被害者の証言をもとに、当該関係者に直接取材し、事件がどう扱われたかを明らかにする。
警察の責任者にも疑問質問をぶつけて、問題解決へ向けての彼らの姿勢や考え方を聞く。
証言の間に、ユダヤ人たちの被害届の処理のされ方を編入し、警察の対応の実態を明らか
にする。
最後に、市当局者に番組を見せて意見と感想を聞く。
これで45分間。コマーシャルなしの公共国営放送である。


取材する側と同時に、取材を受ける側にも感心した。
民間人は顔などぼかしていたが、学校校長、警察幹部など、きちんと受け答えをした。
内容はともかく、マスコミの取材から逃げない。お互いが意見を交わす、という姿勢に胸が
すかっとした。責任の所在を明確にして、それぞれの立場で主張すべきは主張する、という
構図はうらやましかった。
そういえば、評論家は一人も登場しなかった。人種問題評論家とか何とか大学教授なんて
のが出て、エラソーにひとくさりというのがなかった。
ルポルタージュ、ドキュメンタリー番組は、これが基本ではないか。
某国公共放送のYさんは、そりゃ違うよ、と口をとがらすかもしれないが。


次回はイスラムをとりあげる。見ようかなと思う。
この国には、この手の番組がじつに多い。自国製だけでなく、世界中からというくらいにド
キュメンタリー番組を取り集めて放映している。
これもまた、日本とは大違いである。


刺し子の女傑

2015年01月16日 | 人々の暮らし

1月15日 曇りのち雨


刺し子というのを初めて見た。
どこかで見ていたかもしれないが、現物を刺し子と意識して見たのは初めてだった。
こういうのも、外国にいて日本を再認識というか、知ることの大きな楽しみのひとつである。日
本にいたなら、たぶん違う感想を持ったと思う。


GamlaStanガムラスタン旧市街に、Yamanashiというアトリエがある。ここで、いま「刺し子」の展
示会が開かれている。知人の関係するアトリエで、彼女から招待されていた。


左建物にアトリエ
 
案内状は以下の通り。


 斎藤禮 美しい刺し子展
2015年1月13日-- 2月28日
開館日時: 火曜日~土曜日12:00 -- 18:00
会場: Galleri Yamanashi, Köpmantorget 1, Gamla Stan, Stockholm
日本には「刺し子」という伝統刺繍があります。
斎藤禮(1928年生)は東北津軽の出身で、明治生まれの祖母から、子供の時に刺し子の話を
聞き、手ほどきを受けていました。母親が生きた大正から昭和初期は、その技法は忘れ去ら
れていたそうです。戦後、西欧の刺繍に触れてから、土着の刺繍の魅力を再発見し、虜になっ
ていったといいます。19世紀後半の津軽の女達は、家事と農業の傍ら、少しでも時間があれ
ば、仕事着や御洒落の晴着の刺し子刺繍に専念したものでした。
刺し子のうちでも、特に装飾性の高いものは「津軽こぎん刺し」と呼ばれ、様式化されました。
斎藤禮の刺し子は、昔の着物を利用した作品をはじめ、麻や綿を使って伝統文様をオリジナ
ルに配置した現代的な表現が70年代から人気を呼びました。斎藤禮は数多くのテレビ出演や
出版を通して、刺し子の開拓者そして日本の刺繍界におけるカリスマ的存在として現代に至
っています。
今回の展示会は、風呂敷、テーブルクロス、バック、ベスト、ベットカバーなど、斎藤禮の30点
あまりの作品と彼女の古布コレクションから、刺し子の多様な表現と活用法を紹介します。
どうぞ皆様でお誘いあわせの上ご来場ください。
刺し子講習会
1月21日 (水) 10:30 - 13:00 (A) 15:00 - 17:30 (C)
1月 24日 (土) 10:30 - 13:00 (C) 15:00 - 17:30 (A)
2月 12日 (木) 10:30 -13:00 (B) 15:00 - 17:30 (A)
2月 14日 (土) 10:30 -13:00 (A) 15:00 - 17:30 (B)
Lesson (A) 十字花刺し (伝統的な花模様) 白地の布に赤色の糸
Lesson (B) 青海波 (伝統的な波模様) 紺地の布に白糸
Lesson (C) 津軽こぎん刺し (7種の基本模様) 青色の麻布に白糸
講師・・・ 山梨幹子、伊藤ちはる(斎藤禮氏認定)
費用・・・ 800kr 材料費込(布・糸・道具・図柄・針一式)当日、現金又はカードで支払
申し込み・・galleri.yamanashi@gmail.com
関連企画 キモノのお話と着付
1月28日(水)16:00 ? 17:30、1月31日(土) 14:00 ? 15 : 30、2月4日(水) 16:00 ? 17:30
講師・・・サルメ 山本 里子
費用・・・70Kr
申し込み・galleri.yamanashi@gmail.com
2015年1月10日 Galleri Yamanashi www.galleri-yamanashi.se


 


友人と訪れると、Sさんがていねいに説明してくれた。
刺し子は、麻の着物に綿糸で縫物をほどこしたのが起源。東北地方では綿花の栽培ができ
ず、移入するのも高価で、女性たちは麻の着物を野良着にしていた。しかし、麻は丈夫では
あっても保温性が悪かった。
しかし綿糸が入るようになると、麻に綿糸を縫いこんで繊維を密にする工夫がされた。これが
刺し子と呼ばれるようになって、たんに保温性を高めるというだけでなく、さまざまな柄を考案
して装飾性をもたせ、民芸術的なレベルまで進んだ、というようなことだった。
そして今回、展示された津軽こぎんは、刺し子のなかでも装飾性が高いとされている。




デザインは、既製の模様を取り入れたものもあれば、西欧風に対称的なシンメトリーの柄もあ
る。シンプルだが上品で、リズム感のあるデザインが多く見受けられた。

東北の津軽で、形式にとらわれるだけでなく自在な刺しゅうが行われた。
それも職人ではなく、普通に働く農民の女性たちが生活に密着した必要性から始めた技法。
それが時間を経て、日常から離れて美的なものを求めるようになり、装飾おしゃれというレベ
ルを楽しむうちに、デザインが羽を広げ技術も向上した、ということではないかと思った。
そういう女性たちの中から、斎藤禮氏のような優れたデザイナーが生まれたのだろう。


津軽こぎん刺しは、金木町あたりにもみられるという。太宰治の生地である。
太宰がこぎん刺しに触れた小説を書いているか、ネットで調べた限りでは該当するものはなか
った。自分の記憶にもない。


 


ところで、このアトリエを経営しているYさんが、女傑であった。
若いころにはフェミニズムの運動に参加し、いまは東電の株をグループで持って、株主総会で
原子力発電にかんする疑問、質問をぶつけて、抗議の姿勢を示している。
いまの政治体制には徹底して批判的な立場をとり、安部首相なんてできの悪い学生で有名だ
ったんですよ、なんで首相になんかになれたのか。国民がもっとしっかりした意識を持たねば日
本はだめになりますよ。

さらに、あこぎな経営者を斬り捨てて、その歯切れのよい批判に、わが意を得た気分になった。
刺し子の話より、社会問題講演会ふうになって談論風発。
かつて、もう40年近く前になるか、俵萌子氏を自宅に取材したことがあった。Yさんの口調に、
どこか俵氏と共通した強さを感じた。
俵氏を取材したのは、当時話題になったウーマンリブ・パワーについてであった。Yさんのキャリ
アと重なる部分があって、これもそう感じさせる要素だったと思う。


このアトリエは昨年10月にオープンした。プレミアは三宅一世のデザインした照明器具、折りた
たみ式のドレスの展示会だった。
ストックホルムの旧市街に、日本文化を紹介する常設のアトリエがある。商売も絡むとはいえ、
売らんかなというより、オーナーの個性が反映されているようでユニークな存在である。
儲かるわけないわと、Yさんは豪快に言い放ったが、こうした活動にはできる範囲で支援していき
たいと思った。
森永キャラメルとお茶をごちそうになったからではない。