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瘋癲北欧日記

第二の人生 つれづれなるままに

ローマ27 ミネルバ教会のミケランジェロ

2015年09月16日 | 人々の暮らし

9月15日 雨のち晴れ


壁紙受け取って、Kさんの指導を受けて貼る。
柄合わせに一度失敗、やり直すが、総体的にうまく行って満足。
Kさんの指導がなかったらできなかった、とあらためて感謝。
その後、別部屋の天井とホールの一部塗り。


ローマ8月4日 7日目
サンタ・マリア・ソプラ・ミネルバ教会。


パンテオンから1,2分。
ミネルバ教会にはミケランジェロの彫刻がある、というので訪れた。
「あがないのキリスト」である。


教会前の広場にオベリスクを背負った象の石像があった。
象はベルニーニの設計、やはり写実的である。
いまにも動きだしそうな気配を感じさせる。


教会内部は、これまでのものとちょっと雰囲気が違っていた。
天井の形状が尖塔のようで、何とかいう様式なのだが忘れた。
しかし、こういうのはゴシックの教会でよくみられるスタイル。
ステンドグラスが多いのも、ローマの教会の中では異色であると思う。


奥の祭壇、左手にミケランジェロの彫刻があった。
「あがないのキリスト」大理石像、1521年作。
十字架を両手に抱えて、ゴルゴタの丘へ向かうキリストを彫った。


からだつきは、やはりがっしりして、立派な筋肉がついている。
少しかしげた首の太さは、プロレスラー並みである。
最期の審判のキリストほどマッチョではないが、ミケランジェロの思い描くキリスト
なのだろうと思う。


顔つきにも驚かされる。
死に行く人の顔ではない。
平然として、口をしっかり閉じて、どこにも恐怖の色は見えない。
そう思ってみると、むしろ決然として死に行く、という風貌である。


ゴルゴタの丘へ向かうキリスト像は、ほとんどが顔に苦悩の色を浮かべている。
重い十字架を背負わされ、裸足から血を流し、息も絶え絶えというのがふつうである。
十字架にかけられるキリストのからだは、やせ細って哀れを誘うように描かれる。


それが、ミケランジェロのキリストは逆である。
立派な体格をして、潔いというのか、凛々しささえ漂わせて、堂々と十字架を抱いている。
死に挑戦する、という意気込みすらうかがえる。


なぜミケランジェロは、こんな風にキリストを描くのか。


キリスト像の、いかにもミケランジェロらしさはギリシャの影響だという。
それは、たんなる写実的な肉体美の模写ではない。
外面だけでなく、思想というか人間のとらえ方の問題だという。


エミール・マールというフランスの学者が「ヨーロッパのキリスト教美術」(柳宗玄 荒木
成子 訳)という本を著わしている。
エミール・マールにはキリスト教図像学者という肩書がある。
彼が、ミケランジェロの「あがないのキリスト」について、面白いことを書いている。
これが理解を助ける参考になった。
抜粋しておこう。


古代ギリシャ人にとって、苦痛とは卑しむべきものであった。
肉体と魂の均衡を壊すからである。
それは一種の混乱であり、そういうものを芸術が永遠化すべきではない。
ただ、美と力と晴朗さのみが人間の観照に供されるべきものである。


強くあれ、生を支配せよーーという生き方のモデルを彫刻に求めた。
そしてミケランジェロは、古代ギリシャの英雄主義に心服していた。
それが、ミネルバ教会の「あがないのキリスト」像に表れている。


このキリストは、古代の競技者のように美しく、勝利者のように十字架を担っている。
その平静な表情にはいかなる苦痛の跡もうかがわれない。
ミケランジェロはまるでギリシャ人のように苦痛を侮蔑しており、また侮蔑することを教えて
いる。


これはすっきりした。
なるほどね、我が意を得たりという評論、解説であった。
ミケランジェロとギリシャの延長に、オリンピックもあるのかなと思う。

ほかにも、最期の審判を描かせた教皇の意図、時代背景解説など面白かった。
下巻しか手元にないのだが、もっと前によく読んでおくべき本だったと思う。


それにしても、腰巻のばかばかしさはどうだ。
最期の審判でも、全裸を隠す腰布だかを描き足して、あほらしいったらない。
日本の、陰部を墨で塗りつぶしと同じで、くだらないったらない。
クソヤローだと思う。
 


ローマ23 マルタ騎士団の館

2015年09月08日 | 人々の暮らし

9月7日 晴れ
キッチンの床板貼り勉強
窓枠ペンキ塗り
ホールのパテ若干


8月3日 ローマ6日目続き


フォロ・ロマーノからコロッセオ駅に戻って、サン・フランチェスコ・ア・リーバ教会を目指した。
コロッセオから一つ目のチルコ・マッシモ駅へ。
ここからアヴェンティーノの丘を抜けて、テベレ川を渡ってポルテーゼの門へ向かう。
ポルテーゼの門近くに、ア・リーバ教会がある。


目当ては「ルドヴィカ・アルベルトーニ」である。
ベルニーニ晩年の彫刻。
15世紀実在の女性、福者・ルドヴィカ最期の瞬間をとらえた。
ルドヴィカは、そのとき神に召される至福に恍惚となった。
その恍惚の表情が素晴らしい。


これは何としても見なければいけない作品だった。


しかし犬も歩けば、であった。

駅からアヴェンティ-ノの丘を上っていくと、右手2キロくらいにフォロ・ロマーノ遺跡が見えた。
さらにヴェネチア宮殿も視界に入ってきた。
こんな遠景が見られるとは望外の散歩道だった。


さらに、ショートカットした狭い道沿いに拾い物があった。


ひとつはサンタレッシオ教会。
丘の上の教会で、庭園の端に展望台風テラスがあって、サンピエトロが見えた。
テラスは崖にせり出して、涼風がテレベ川から立ちあがってくるようだった。


そして隣のサンタ・サビーナ教会。
趣のあるたたずまい。
鐘楼はずいぶん古そうで、ジョットの鐘楼の小型版にみえる。
塀がやたら高いのが気になった。

調べたら、ここはドミニカ修道会の本部らしい。
何とかいう人が、ドミニコ会の創立者、聖ドミニコにこの教会を与えた。
それが13世紀のことで、建てられたのは5世紀だった。
ドミニカ修道院を併設しているというが、閉鎖中で中には入れなかった。

しかし庭に、印象に残る彫像があった。
名前はわからないが、その大仰な祈りの姿から、聖ドミニコではないかと思う。
苦しげな表情は、戒律の厳しさを教えているようだった。
そう思えば、塀が高いのも戒律の厳しさの表れか。


ドミニコ会と言えば、フィレンツェのサン・マルコ修道院もそうだった。
修道院長はサボナローラ。
フィレンツェで神権政治を執り、美術の表現を抑え込み、芸術家を苦しめた。
その本部が、ここだったとは。


サンタ・サビーナ教会の隣に、そうかここが、と驚いたのはマルタ騎士団の館。
門扉のカギ穴から、サンピエトロ寺院が見える、という館だった。
日本にいた時にテレビで見た。
へーえ、そんなところがあるのか、ありがたがって見るところかね、と思った記憶がある。


で、しかし、じっさいその場に来てみると、カギ穴をのぞいてみる。
それどころか写真も撮る。
まったくのミーハーである。


蜘蛛の糸

2015年07月19日 | 人々の暮らし

7月18日 晴れ


きのう、きょう、と二日続けて蜘蛛の技を見た。
獲物を捕獲する技である。それは見事なものだった。

フレンチ窓にカゲロウのような羽虫がまとわりついていた。
気をつけないと食われるぞ、と思って見ていた。

じつは窓の上部に蜘蛛が糸を張っている。
窓は中央に1メートル幅が二対。その左右に30センチ幅があって、計4つの窓それぞれ
に蜘蛛の糸が張り巡らされている。


家族の一人が、蜘蛛の愛されないのを不幸に思って、当家は蜘蛛の巣を掃除しないこと
に決めた。
しかし、だからといって虫が食われてよいわけではない。
フェアに生存競争やってくれ、と思っている。

きのう、初めて蜘蛛が獲物を巻いているのを見た。
数秒で獲物をくるくるっと動かし、糸を巻き付け、がんじがらめにする。それを巣の上のほ
うへ引き上げていく。
ヘーヘと見るうちに、蜘蛛は獲物を置き去りにして庇の奥へ入ってしまった。
あんなところにねぐらがあるのか、と思っていたら直後、獲物がスッと引き上げられた。
見る間に庇の奥、蜘蛛のねぐらと見えた食糧庫へ運び込まれた。


鮮やかといってよい手口だった。




それを見た直後のきょう、カゲロウが窓にまとわりついている。
食われるぞ、と思ったのはそのためだった。


しかし不思議なもので、カゲロウは上に行き下に降りして自在、無事であった。
蜘蛛の巣と窓ガラスの間に隙間ができているらしかった。そのスペースの中で、しきりに
羽を動かし、室内の灯りを目指しているように見えた。
あるいは、蜘蛛の巣が昨夜来の驟雨でほころびているのか。


食われるぞなんて、取り越し苦労かと思った直後、カゲロウが羽をとられた。
片方の、1センチほどの羽が蜘蛛の巣にからめ捕られてしまった。カゲロウは、もう片方
の羽をばたつかせ、逃れようと必死でもがいているようにみえた。
それが逆に蜘蛛の糸を手繰り寄せる結果になった。
片方の羽もからめ捕られ、動きが鈍くなった。

と、その瞬間、どこからともなく蜘蛛がすっと斜行してきた。
蜘蛛はそれまで、まったく姿を見せていなかった。
それが、あっという間に降りてきた。むろん音もなく、その一連の素早い動きが、どこから
ともなく、という印象を抱かせた。


庇の陰から見張っていたのか、糸の動きか振動で感知するのか。
獲物を目指す動きの俊敏さには舌を巻いた。
巣作りに励んでいるときでも、動きはスローなのに、これには意表をつかれた。
さらに蜘蛛は手際よかった。
獲物を足で転がし、ふたえ三重に糸を巻き付け、瞬時にやっつけてしまう。和服美人が悪
漢に、たいこ帯を解かれて身をよじるようなイメージだ。


この後の手順は昨日、見た。
獲物を糸で引き上げて歩き、最後の5センチばかりの所に差し掛かると、蜘蛛が先に奥へ
引っ込み、直後に糸がスーッと引っ張り上げられ、獲物が庇の奥へ運び込まれる。



これはちょっとしたスペクタクルであった。
ナマの生態を見た、という衝撃があった。
蜘蛛の素早い動きに、本能の強さ、生存競争の恐ろしさをおぼえた。


蜘蛛の巣に蝶がとらわれる。
何も知らず、光を求めた蝶は哀れな被害者。舌なめずりして、屋根裏に潜む蜘蛛は残忍
な加害者。まさしくイメージ通りのシーンが展開した。


ところで人間の世界でも、そんな風にとらえられることが多い。
実際、自分もカゲロウを小町に比して見てしまった。お話しの世界でも歌の歌詞でも、蜘蛛
は男で、女は蝶と相場が決まっている。



しかし、よく考えてみるとどうなのかしら。
はたして男は蜘蛛と決めつけてよいのだろうか。
女郎蜘蛛ってのもあるわけだし・・・。

現実を直視、なんて固いことでなくても、案外と立場逆転のケースも珍しいことではないの
ではないか。
捕まえたつもりが・・・と思えば、思い当ることのある男性は少なくないと思うのだが、どうか。


蜘蛛の糸は、考えてみれば意味シンである。
久しぶりにガムラスタンを歩いて、蜘蛛の捕獲を見て、どこかで結びつくことがあるのじゃな
いかと、過去の45年を振り返った。
   


イケアに感心した

2015年07月09日 | 人々の暮らし

7月8日 雨のち曇り


イケアには感心した。
キッチンの全面改装サポートのことである。

むろん、イケアの商品購入が前提だが、それにしても優れたサービスである。
システムに加えて担当者の接客態度が、スウェーデン人離れしている。

ひょっとすると日本人以上ではないかと思う。


イケア発祥の地にある本店は、丸い4階建てのビルである。
ストックホルム市から車で20分くらいか。70年、初めて訪れたときには、20メートル
幅くらいのじゅうたんを数メートルの厚さに巻いて、切断するマシンを見て驚いた記憶
がある。
当時は全面じゅうたん敷きが人気だったのである。



今回、中古住居を購入、キッチン全面改装の必要があり、イケアを訪れた。

キッチン売り場は一階。ビルのかたちに沿って丸い廊下がめぐらされ、外の窓側に面
してモデルルームが並び、内側に備品が展示されている。


廊下と展示場の間に、100平方メートルくらいの相談室がある。
ここで客は係員にキッチンを設計してもらうのだ。
係員は、サッカーの審判のようなユニホームを着ていた。

部屋には20くらいの机があって、それぞれにコンピュータが置いてある。
机は1平方メートル弱と狭いが、高さは1メートル以上あって、客はバーストールに座る
ような形になる。
係員は立って応対する。
机は、係員が立ってコンピュータを作動しやすい高さに計算されているようだ。


客はキッチンの広さを知らせ、それを係員がコンピュータの画面に書く。
希望のモデルを知らせると、キッチンのサイズに合うように、備品というかパーツを画面
に並べていく。

パーツは、単体で40センチ幅から80センチ幅に作られていて、それらを組み合わせて
いくのである。
水道のとり口に流し台を置くのが基本。
その近くに皿洗い機を置き、ほかは客の希望に沿ってならべていく。




わたしたちのは370センチの横幅に、5台のパーツが並べられた。

90センチくらいの高さに合わせて、流し台やら調理台などのパーツが合わせて5台。
さらに、流し台や調理台から60センチくらいの空間をとって、その上に同じように5台の
食器入れパーツを乗せた。

対面にはそれぞれ60センチ幅の冷蔵庫と冷凍庫があり、この上とわきに60センチ幅
の単体を3つ置く。

最初は床から天井までの高さを計測していなかった。また、壁際から水道のとり口まで
の距離も計測が必要、さらに換気の種類も調べるようにと言われた。


これを画面に並べて、まず平面図でみせ、さらに3Dに変換してキッチンを回転させ、上
下左右から配置が見られるようにする。
これはイメージを抱きやすい。


パーツはモデルを決めているので選択には悩まない。
それでも2段分割か4段分割か、ガラス窓を入れるか、並び方をどうするかは係員と相
談しながら進める必要があった。

しかし洗い場の大きさとかたち、蛇口、パーツの取っ手、照明などは、まったく考えてい
なかった。
すると係員は、売り場に同行して、図面の実際の品物を見せ、わたしたちの希望を聞き、
細かい点を説明した。

この、親切丁寧な同伴サービスには驚いた。



机に戻って図面をプリントアウトした。
これにはすべてのパーツの価格も書かれていた。

板一枚、ネジ一本、すべて細かく書かれそれぞれの値段も示され、合計でいくらするか
が分かる。
これは、もともとデータとして入っているらしく、希望パーツをクリックすれば自動的に価
格表示できるようになっているのだろう。

さらに、古いキッチンを撤去する作業、パーツを搬入し、すべて組み立て、設置するのに
要する費用、手間賃の概算も教えてくれる。


設置組み立てにイケアは3社と契約を持つ。
しかし,「これはほかの業者に依頼してもかまいません。業者を変えても、この設計サー
ビスは続けて行いますよ」と言われた。

「組み立てはご自分でやられても結構ですが、手違いなどあるとよけいな時間もかかり
ますし、業者はお客様がやられるのは望んでいません。彼らは工場で組み立てて、お宅
では設置するだけの作業を望んでいます」


これらすべての工程・説明で親切丁寧なのだ。
どんなに細かい点を聞いても嫌な顔一つせず、笑顔で相談に応じる。
この国の接客態度には、むろん人にもよるのだけれど、だいたい好感はもてないのだが、
イケアはちょっと別格という気がした。

2度訪問して、3人の係員が担当に当たったが、いずれも同じような接客態度であった。



ここで書いた図面は、客の名義でコンピュータに保存され、各自のキーワードとEメール
アドレスを入力すれば、自宅でもイケアのページから引き出してみることができる。
「変更の希望があれば何度でもいらしてください」という。


最初、案内を読んで、この相談センターには予約制度があると知った。
コストは2時間で9000円くらいとあったが、直接訪れ空席があればすぐに無料で相談
できる。
わたしたちは予約せず、一度目はすぐに、2度目は混雑していて2時間後と言われたが、
結局は1時間待ちで修正相談ができた。


「このサービスが日本でも行われているかは知りません。当社でも始めてから3年くらい
です」
最初の担当員、栗色の髪をした若いスウェーデン人女性が笑顔で言った。
二人目は浅黒い顔のインド人男性、3人目は愛きょうのあるアジア系女性だった。いず
れもネイティブスピーカー並みのスウェーデン語を話した。
3人とも説明能力がたかく、よく教育されていると思った。

だが、だれもが愛想よく、辛抱強く応対したことに、いちばん感心した。


脱税防止住宅補助

2015年06月26日 | 人々の暮らし

6月25日 曇りのち晴れ

熊の実の花

「そもそもはスワット(Svart)防止のためにできたのですがね。ロート・アブドラーグ
(ROT avdrag)というシステムを使えば、安くできますよ」
不動産関係者が、こう教えてくれた。

これは日本にない、おいしいシステムだ。

スワットとはクロというスウェーデン語で、違法な脱税裏取引のこと。
税金を払わずに済むように、当事者同士が書類を交わさず金銭のやり取りをする。
税金の高い国で、ひそかに行われる裏の違法取引だ。

スワットが横行していたのは、レストランだった。
コックや皿洗いなど、無税で報酬を受ける。経営者も、高額の雇用保険など払わず
に済む。
しかし、これは高が知れている。


問題になったのは住宅建築業界だ。
施主と施工者が結託。税金のかかる分を、お互い折半して経費から引いて、施主は
安く、施工者は無税で報酬を得る。
こちらは脱税額も飛躍的に高額になる。東欧からの移民が無税で建築に従事して、
市場規模が膨らんで脱税行為が目に余るようになったという。


そのような、住宅に関する違法行為を防止するために、国は補助割引制度を導入した。
それがロート・アブドラーグというシステムである。
施工者が正直に経費を申告すれば、人件費の半分を国が補助する。最高で5万クロ
ーネ(約75万円)までらしいが、施主の収入によって、つまり支払う税金の額によって
も補助の幅は違うという。


これは当然、利用者に大きなメリットがある。
脱税目的でスワット(クロ)に手を染めるより、正直な取引(これは白・ヴィートと呼ばれ
る)をしたほうが、安く済むケースが多い。精神的にもよい。

施工者にとっても収入は保証される。
スワット(ブラック)ビジネスは、この国では厳しく取り締まるようになって、発覚すれば
ライセンスをとりあげられることもある。そのリスク、と言うのはヘンかもしれないが、こ
ちらも精神的にはよいはずだ。


そして、これにはさらなるプラスがある。



ロート・アブドラーグのおかげで、人々は住宅の改修がしやすくなった。
屋根をふき替える、内装を一新する、バルコニーを窓つきに改修する、バルコニーその
ものを作るなど、積極的に取り組むようになる。
そのために家の価値が上がる。

この国の不動産は、バブル風に売り手市場で、年を追うごとに価格が上がる。
新築物件が少ないせいもあって、中古住宅は値上がりする。
日本では新築マンションでも、1年住んだら値が落ちるが、この街では逆なのである。


中古マンションが1年で1割近くアップする。
投機目的で買い替える人間が少なくない、という。日本のバブル時期と同じ現象が起
きている。
そのために、さらに高額で売りさばくために、部屋を改修する。そこにロート・アブドラ
ーグというシステムがあって、これを利用しない手はない。


住宅バブルに一役買っている、という側面もあるのだが、このおかげでカネが回る。
買い手、売り手、施工業者、建材メーカー、ローンを組む銀行などなど、カネが動いて
経済活動が活性化する。


日本でも、たしか二重窓に替えるとか、エコな施設を導入すると、税引きの恩恵があ
るはずだが、この国のスケールには及ばないと思う。



ところで、これが自分には意味のないシステムなのだ。
購入したマンションは中古で内部の改修が必要。キッチンは全面取り換え、壁紙や床
も張り替える必要がありそうなのだが、ロート・アブドラーグは利用できない。

というのも、自分は無職で納税をしていないからである。
一定の納税額があって、初めてロート・アブドラーグを利用できる。
この国では、税当局がきっちり国民を管理している。国民皆番号制で、当該人物の納
税額、自動車の所有など、一般的な現況は把握されている。
ロート・アブドラーグを申請する際に、国民番号を記入する必要がある。そこで私には
資格なし、というのが分かる。
中には、いまだにスワットに頼って誤魔化す輩もいるのだろうが、普通はそんな芸当
はできないし、しない。


悔しいが、自分のような、いつ自国に戻るかわからない、とりあえず住んでみようという
いい加減な外国人には、無用の長物なのである。