瘋癲北欧日記

第二の人生 つれづれなるままに

イーグルス

2013年11月05日 | 人々の暮らし

11月4日


日本のプロ野球なんて、と思って別段、気にしていなかった。ストックホルムに
いて、シーズン中は見なくて何の痛痒も感じなかった。
それが帰国して、たまたま日本シリーズを見たら、最後まで見なきゃおさまらな
くなって、ついに7戦全試合、録画視聴した。そして、それなりの収穫とよべそう
な「日本の野球」を再確認した。


それはいくつかあったのだが、まずは田中投手と、解説者・工藤公康のことか
ら書いておこう。
焦点は最後の試合。田中が最終回にリリーフ登板した。この登板をめぐって、
解説の古田も工藤も信じられないと言った。古田はともかく、同業の投手出身
の工藤が何度も信じられないを連発して、そりゃちょっと違うんじゃないか、と
思った。


前日160球だか投げて、「あれだけ投げたら、体の力がなくなる。全力で投げ
ているわけですから。ぼくは投げた翌日は肩を休ませた」というようなことを工
藤が言った。


工藤は体と食事のケアについて本を出版している。それだけに、選手の体につ
いてはずいぶんと研究というか勉強して、いろんな知識がある。それと自らの体
験をミックスして、田中の登板を「非常識」ととらえているのが明らかだった。

彼は現役時代、全盛時には深酒をして肝臓をやられ、夫人と二人三脚でリハビリ
に励み復活した。それもあって、田中の登板は、田中の投手生命を思ってのコメ
ントだったと思う。



しかし、それに違和感を覚えた。
これが日本の野球ではないか。田中の登板が日本の野球の魅力ではないかと
思うのである。
善し悪しは、じつは別である。それに関して言えば、工藤の見方が正しいと思う。
しかし、それを超えてというか、それでいながら投げる、というのが日本の、いや、
あるいはすべてのスポーツの魅力の原点ではないかと思うのだ。


そんな無理を、常識では考えられないことをやる。それがスポーツの醍醐味だと
思えてならない。


たしかに肉体的には限界だったかもしれない。余力を残していたからこその登板
志願だったかもしれない。
あるいはまた、来期はメジャー入りも視野に入れているというのがあって、最後の
ご奉公という思いもあったかもしれない。
しかし、そいう事情をかかえながら、前夜の借りを返すという心意気、それを評価し
ないでどうする、と思った。


それが、結果的に裏目に出ても、自分はこれぞスポーツと評価した。好結果となっ
たが、それは自分にはどうでもよかった。田中の登板をみたことで満足だった。
そう感じていたので、工藤の「信じられない」に違和感を覚えたのだ。


しかし工藤公康だって、高校時代はそうだった。
愛工大明電では甲子園で連投した。さすがに決勝の報徳学園戦では握力を失っ
て、カーブの切れがいまいちになって負けた。
むろん高校野球とプロ野球では、いろんな点でレベルが違う。実力差と言うより、
システムや考え方に大差があるのは当然だろう。

アマは名誉やプロ入りを目指す計算が背景にあり、プロには生活の重さがある。
所与の条件が違って、同じことはできないかもしれない。
工藤の考える「非常識」は、プロ選手の非常識ではあるのだろう。

だが、スポーツの原点みたいなのはプロとアマとを問わず、同じではないか。
選手も観戦者も、スポーツに夢を託すという点で、同じ土俵にいるように思う。


その夢を田中は見せた。観戦者に感動を与えた。これがスポーツのだいご味、真
髄ではないか。




「勝って日本一にになって、皆さんに勇気を与えた」というようなセリフが多く聞か
れたが、自分はたとえ負けても、同じ勇気を与えたに違いない、と思う。そこへ至る
過程が、田中の名前がコールされた瞬間こそが、最高点であったと思う。
それなくして、たとえイーグルスが日本一になったとしても、同じような感動を覚え
たかどうか。


勝ったから勇気をもらったと言うが、自分はそうではないと思う。
そこへ至る過程にこそ、人は感動するのだと思う。

田中が、たしかヒーローインタビューで、勝った瞬間を聞かれ「ほっとした」と言った。
ボストンの上原浩治も世界一を決めて「ほっとした」と言った。
結果が出れば、そうなのだと思う。しかし逆の結果のほうが、あるいは感動はより
深まるのではないか。
負けたら悔しくて言葉も出ないだろう、しかしその無言の悔しさのほうがより強く人
の胸をうつのではないか。
勝ってほっとするより、負けて悔し涙をこらえるほうが、深い感動を覚えるのではな
いかと思うのだ。


唐突だが、原発事故で対応にあたったメンバーが、ローテーションを無視し、無理
を押して働いた、というのとはレベルが違う。これを強い責任感と評価するのは違
和感がある。
スポーツでは負けても人は死なない。しかし原発事故対応では、人命が失われる
危険性があった。
原発事故では、たまたま成果を出して、これは日本的と評価されるようだが、自分
はそうは思わない。そこまで責任感を押しつけられ、それを死ぬ気で果たすという
のは、たしかに美談かもしれないが、一つ誤れば大変なことになっていたはずだ。
こちらは無謀としか言えない。危機対応管理の不手際でしかない。

田中の「非常識」登板と、原発事故対応のそれは、全く別物であると思う。



話が横道にそれた。
要するに、そういうことを考えさせた田中の登板が、このシリーズのハイライト、日
本のスポーツの原点ではないかと思った。それを「信じられない」と連発する工藤
に違和感を覚えた、ということである。

工藤公康は、西武入団の時から知っている。
素直な明るい選手で可愛い印象を持った。ときの広岡監督が「坊や」とあだ名して、
1年目から一軍に帯同させた。可愛いくせに、カーブは一流で、広岡さんはそれを
評価して一軍に入れた。
プロ初登板は、たしかブレーブス戦、外国人選手ケージへのワンポイントではなか
ったかと記憶する。


工藤公康とは、いろいろ話をして、それは仕事というより、可愛い弟と話すというよ
うな感覚で、商売上は良いことではなかったのだが、数少ないひいき選手の一人
ではあった。
この日本シリーズの解説も、彼の過去の言動を重ねて、さまざまな推理を働かせ
ることはできた。それは、ここで書く時間はないが。


日本シリーズは、何度か見てきて、いくつか強い記憶が残っている。
長嶋監督が第一次政権の2年目、最下位からリーグ優勝し、シリーズで阪急に負け
た。阪急の優勝セレモニーを起立して見なければならなかったときの、後ろ手に組ん
だ指の動き、手首のけんの震え、そのせわしなさに深い悔しさを見た気がした。

また横道にそれた。
ようは、このシリーズもまた、強く記憶に残るだろうということである。ところでモルモ
ルさま、こんなところでよろしいでしょうか。