6月3日 曇り時々雨
こんな辺鄙なところにある城に、意外な歴史があって驚いた。
Sturehov Slott (スチューレホフ スロット)= スチューレホフ城のことである。
ストックホルムの南、サーレム州の端にその城はあった。借家からクルマで30分強の
ロケーション。日本の感覚では近場になるかもしれない。しかし借家から、制限速度60
キロと100キロの、ほとんど高速道路と言ってよい道をすっとばすので、距離にすれば
30キロは下らないのではないかと思う。
E4(欧州横断道路)のサーレムというインターチェンジで降りてから、およそ15分。もう
あたりはだだっ広い畑と森、馬がときおり2,3頭の牧場、自然のど真ん中になる。
借家から出て、信号は制限60キロ州道に3か所あっただけ。横断道路や田舎道には
まったくなし。田舎道も片側一車線なのに70キロ。ガードレールはない。行きかう車は
数えるくらいだったが、だいたい制限時速を超えて走っている。
スピード感が日本とは違う。
うだうだしたが、そのくらい距離があっても短時間で着くということ、辺鄙なロケーション
にあるというのを書いておきたかった。
また、南部の名所など紹介するマップにも、このスチューレ城はなかった。
じつは、ゴルフ場の下調べにグーグルマップを使って、その近場に城があるのを見つけ
た。それがスチューレホフで、それならついでに寄ってみようかという程度の片田舎の城
だったのである。
じっさい、訪れてみるといかにも館は小規模だった。
スウェーデンのスロットは城と訳されるが、日本のイメージではせいぜい荘園クラス。城
めぐりはいくつかしたが、中でも、このスチューレホフ・スロットは小ぶりだった。
本館が3階建て、翼館は平屋で左右に二棟。この翼館が16世紀に最初に建てられた。
本館は3人目の持ち主が18世紀に建てたという。グスタフ3世の財務大臣だった。
本館の前庭を挟んで翼館が左右に立ち、前庭を突っ切って200メートルくらい、リンデン
の並木道をまっすぐ歩くと湖に出る。
ここのリンデンは”結びリンデン”という種らしく、幹や太い枝先に異様なほど大きなコブが
ある。ドロットニングホルムのような、優雅なリンデンとは趣が違って、やはり片田舎の城
はこんなものかと思わせた。
本館の裏には広大な庭園があった。
ここにも結びリンデンの並木が、庭園の50メートル幅はあろうかという広い芝生を挟ん
で左右に、およそ200メートルほど続いている。
開放的な庭園ではあるけれど、よく言えばシンプル、ありていに言って広いだけ。意匠
がこらされていないから、広さだけが目立って、それがかえって本館の貧弱を教えるく
らいのものだった。
しかし、この日は雨模様のせいもあってか、訪問者はわたしたちふたりだけ。庭園を独
占して散策を楽しむことができた。持参の折りたたみ椅子を広げて、正門ポーチでコー
ヒータイムを過ごすこともできた。
家に戻ってネットで調べたら、意外なことが分かった。
城の最初の持ち主、スチューレ家は「スチューレの殺人」事件として、歴史に残っていた。
1567年、時のエリック14世によって関係者も含め、一族6人が死刑に処されていたの
である。
エリック14世は、スチューレ一族がクーデターを企てていると疑い、親子含めて5人を投
獄し、1567年、ウプサラで処刑した。王は精神を病んでいて、夜な夜な徘徊するなど奇
行が目立ち、主治医の診察を拒否して、しかもナイフで刺し殺すという暴挙も犯した。
そのような王の手によって、あらぬ嫌疑をかけられて一族が死刑を受け、それが「スチュ
ーレの殺人」事件として、後世に伝えられることになったらしい。
死刑の行われたウプサラの城には、場内に牢獄がもうけられていた。
3年前の夏に訪れ、牢獄の前にロウ細工のさらし首があるのを見た。3つ首くらいが槍で
くくられ、苦悶の表情と血痕も生々しく、精巧な作りで驚いた記憶がある。
処刑場も場内にあって、上階から見下ろせるような作りになっている。幼い子どもたちも、
処刑を面白がって見物したという。子どもたちが処刑を描いた絵も残されていた。
名前は失念したが、何とかいう王女が不審死をとげ、その霊がいまでも薄暗い城内の通
路をさ迷う。それで、風も入らぬのにローソクの火が消える、という話を聞いた。
そういえば、スチューレホフの前庭と裏庭に、妙な彫り物があった。
3メートル程の高さのある植木鉢のような器のわきに、デビルもどきの顔面が彫られてい
た。両方とも、同じ対象物だと思うのだが、表のそれは苦悶の表情を、裏のそれはうすら
笑いを浮かべているように見え、不気味な彫刻だなと思った。それが、まあ偶然というか
無縁なのだろうが、殺人事件と重ねて想像たくましく、余韻を楽しんだ。
表
裏
「スチューレの殺人」を知って、3年前のウプサラ城を思い出した。
ウプサラとスチューレをつなぐ歴史があった。こんな片田舎の、ちっぽけな城がねえ・・・
ゴルフ場下調べがなければ、こんな城も歴史も知らずじまいだったと、その因縁を楽しむ
ことができた。