10月8日 晴れ時々曇り
皆既月食を見ることができた。
「できた」というには、ふたつの意味がある。ひとつは実際に、自然現象がみられた
こと。帰宅途中、数人が同じ方向を見て写真を撮っていたので、そうか月食かと気
付かされた。
もうひとつは「生きながらえて」という意味だ。
6日、アエロフロート機は暴風雨の中、着陸を強行した。
勇猛果敢というのか、無謀にというのか、機長の自信か経済的理由による強制か。
着陸は11時30分ころだった。その数分前、まだ千葉成田上空は雲が厚く低く、強
風にちぎれて飛んで後方へ流れた。
機内座席に据え付けの画面は、機体前方中継に切り替わったが、地上の景色はほと
んど見えない。
白い雲の塊が綿のように重なって、そこだけ影のように灰色がかって見える。ときお
りのぞく地上の風景は、急流にのぞく川底のように、一瞬にして消える。
そんな中、アエロフロートは機体を左右に揺らせながら時に激しく上下した。
石ころ道を走る地方バスのような揺れが、座席から突き上げてきた。エアポケットに入
ったような、すっと急下降する感覚に襲われた。
機内から小さな悲鳴があちこちから聞こえた。嘔吐する声も聞こえたようだった。
出発前から6日の転向は聞いていた。
よほどひどい台風らしく、着陸地が変更になるかもしれない、あるいはモスクワで一泊
なんてことになったら楽しいだろうな、上空待ちはしんどいだろうし、などといい加減に
考えていた。
気象の問題は千葉、成田上空だけだから、まあ強行するにしたって最後の20分くらい
をやり過ごせばよいのではないか、とも予想した。
本当に烈しければ、管制塔が指示を出すはずだ。こちらは初めてでも、航空会社や管
制塔は何度も経験済みのことで、対処の仕方はきまっているはずだ、とタカをくくる気持
ちもあった。
まさかロシアだって、成田の管制塔の指示を守らぬなんてことはないだろう、と。
当初の到着予定時刻は10時30分ころだった。
日本のニュースでは、ちょうど台風が関東を直撃する時間と重なっていた。
それを避けるためだったのだろうか、モスクワ出発が30分強遅れた。飛行時間9時間
30分が、日本列島に入るあたりでは10時間近くを記録した。意図的に、到着時間を遅
らせているのだろうな、と思った。
気になるのは機内放送だった。
到着間近になれば、到着地の天候などアナウンスされる。
現地から情報によれば、当地は快晴、気温xx度というように。それが、今回はなかった。
機内アナウンスはあったが、「現地の気温は24度」というだけだった。
そのころ、機は日本列島の中央あたりに差し掛かっていた。まだ、気象状態は悪くない。
雲の流れが多少は早いかな、という程度で台風の存在はまったくうかがえなかった。
しかし、機内アナウンスが台風にまったく触れないのは、腑に落ちなかった。よほどひど
い状態なのだろう、だからアナウンスできないのだろうと、思うしかなかった。スチュワー
デスの声が、妙に冷静だったのも、かえって嫌な感じを持たせた。
悪いことは知らしめない、かつてのソビエト体制下の人民操作を思い起こさせた。まあ、
いまだって都合の悪いことは教えない、敵のあくどさをねつ造しているとしかおもえない
ような報道姿勢がある、とくにウクライナ問題など、というようなことが、機内放送から連
想されて気分は良くなかった。
不安はほとんどなかったが、多少の緊張感はあった。
しかし正直に言うと、それは妙に快感を引き起こした。
初めての体験で、どんなふうになるのか、何が起きるのか、期待する気持ちがあった。
未知の取材相手を前にした期待と不安と緊張感、というのに似ていた。
じつは前回か前々回、やはりアエロフロートで同じような体験をした。
そのときは春で強風が吹いていた。事前にはまったく知らないことで、機内の窓から地上
を見ても、視界でとらえることはできない気象状況だった。風の強さは両翼の揺れに感じ
られたが、強度は測りようがなかった。
それが到着寸前、タッチダウン寸前にわかった。機体が一瞬沈み、ふいに浮きあがった。
感覚としては3,4メートルか。地上まで10メートルをきった空中で機が急落下して、ふた
たび機種を持ちあげて滑走路を離れ、上空へ向かった。
操縦などできなくても、これが着陸失敗、というか不能だったのがわかった。突風にあお
られたのは明白だった。
が、二度目の突入で、機は翼を微妙に動かしバランスを取って着陸に成功。パイロットの
腕に感心した。
さすがアエロフロート、国際線にはベテランを使う、軍人上がりのパイロットに違いなく、こ
のてんでは、どの国よりも安心できる。彼らの訓練は西側諸国に比べて厳しいはずだ、と
いう思いがあり、それがこのタッチダウンで実証されたように感じた。
という記憶があって、今回の着陸技術には大きな不安はなかった。
ただ、パイロットに関して言えば、心配したのは自信が過信になっちゃ困る、という一点に
あった。ほかの多くの航空会社とパイロットが、このような気象では無理をしない、というの
を、この程度で着陸できないなんて腕に自信がないか、度胸がないからだ、などとロシア
人が考えないか、ということだ。
ロシアの優等を見せつける、なんて決断したら怖い、と思った。それは勇気でなく蛮勇では
ないか。勇み足が怖いと思った。
しかし、すべてがクリアされた。
機は、この状況では理想的というくらいのタッチダウンをした。揺れはあったが、両翼で風
をうまく受けとめ見事にバランスを取った。
機内は一瞬、静まりかえった。安堵か歓喜か、かみしめて直後、拍手が沸き起こった。以
前は、それが当たり前の儀式だったようだが、いまどきははやらない。しかし、このときは
自然発生的に、拍手の波が機内を駆け抜けた、という気がした。
わたしも拍手した。初めてのことだった。
アエロフロートはサービスがよかった。
SASやフィンランド航空に比べて、自分には食事はずっとましな味がした。
食事中のワインは無料だった。他ではアルコール飲料に関しては持ち込みすら禁止であ
る。知らずに飲んでいて注意されたことがあった。
これは個人の感想だが、スチュワーデスはかつてのように、若くて美しい女性たちばかり
だった。食事をお楽しみください、なんて言われたのは何年振りだろうと、懐かしくなった。
今回の機はエアーバス330だった。座席前のスペースはやや広めで、座席前の画面は
一回り大きくワイドだった。
機内誌は、案外と新しいのが多かった。他社では手あかのついたような、表紙などそりか
えっているような機内誌を置いているところもある。
日本語の週刊誌や新聞が用意されていないのが、まあ不満と言えば不満か。
モスクワのシェレメチボ空港、案内係は親切な応対をした。
じつは座席を連れ合いと並んで取っていたはずなのに、アルファベットが並んでいなか
った。それをチェックしてもらったのだが、これも若くて魅力的な女性が親切にパソコン
を開き大丈夫ですと笑顔を見せた。
食事どきにアルコールの無料サービスはあるのかと聞くと、部署のほかの女性にも聞
きまわって「ワインは出ます」と答えた。これを即答できなかったのは不安だったが、実
際に無料サービスされたので問題はなかった。
タックスフリーで、機内で小瓶のワインを飲んでも大丈夫か、と聞いたらキャッシャーの
若い女性は「気をつけて」と笑顔を見せ、横に立っていた警備員らしきは、ワインの入っ
たビニール袋を小指で破る格好を見せ、ウインクした。
プーチンににた男性にチョコレートのことを聞いたら、丁寧に売り場まで案内し、やはり
懸命に英語を使い、ミルクとブラックの違いを教え、どれが人気かまで教えてくれた。
レストランではウエートレスが愛想よく、懸命に英語を話すそぶりがかわいらしく、チップ
などまったく要求しなかった。
手荷物検査で約ふたり無愛想な、太り気味の中年夫人がいた。これはかつてのソビエト
時代を思わせて、その無愛想すら面白く感じた。
わたしはアエロフロートのファンになった。