12月26日 晴れ
ロンドンの2日目。まずビクトリア駅に向かった。ウエストミンスター大聖堂(カテドラ
ル)へ行きたかったからである。この聖堂は観光客がほとんどいない。あまり知られ
ていないタワーがある。
4,5年前、それが気に入って訪れた。今回もまたタワーに上った。
聖堂内の売店でチケット2ポンドを買うと、売り子が店の奥の通路に案内する。
店内からは、まったくそれと窺えないドアがある。これがタワー最上階へ向かうエレ
ベーターの扉である。内部は広さ半畳ほどしかない。
売り子が乗り込んでボタンを操作して「また、降りるときにはベルを押してください
ね。迎えにまいります。ベルはエレベーター出入り口の横にありますから」と、優し
い微笑みを浮かべた。
開いた戸口から強風が吹きあげてきた。
タワーの踊り場は100メートル弱の高さにある。50X100センチほどの褶曲した
バルコニーが塔の4か所にあり、ロンドンの東西南が見渡せる。北側は閉まって
いた。ほかに誰もいない。
強い風を受けながらバッキンガム宮殿、セントジェームズパーク、右手に目をやっ
てウエストミンスター寺院と国会議事堂のビクトリアタワー、その間にセントポール
大聖堂の丸屋根が見える。
4,5年前に来た時はエレベータ周りの壁に落書きが目立った。薄汚れていたが、
塗りなおされて清潔な白壁に復元されていた。
眼下にウエストミンスター通り、付属の小学校、円とるの並ぶ伝統的な英国風長
屋の屋根、6階建ての壮麗なチューダー式建築が見える。
バッキンガムの方向に、ガラス窓でおおわれたような巨大な新しいビルが建ってい
る。違和感がある。
10分ほどでベルを2度押した。押してからメモを読むと、ベルは一度だけ押してく
ださい、とあった。店内に響くのでよろしく、と言うような注文が書いてあった。
「読む前にベルを押してしまった」と謝った。「いえ、いいんですよ」と最前の売り子
が、またやさしく微笑んだ。聖堂でアルバイトをしていると言う。こういう子だから、
聖堂も使っているのだろうなと納得する。
「そうだ、チャペルの一つに棺がありますね。ガラスでできて中に人が横たわって
いる。あれは人形ですか?」
「いいえ。本物の死体ですよ。サー・セント・ジョンサウスワースのものです」
エレベータを降りて写真を撮りなおした。
このチャペルは死んで罪を購い切れていない人たちのためのものだということが
立て札に書いてあった。それで壁画のキリストと周囲の聖徒たちが、何だかをして
いると書かれていた。
セント・ジョンは罪を犯して牢につながれていたらしい。しかし、それにしては立派
な服装で棺に納められている。いずれ調べてみよう。
聖堂内には身廊の壁に聖書からとった絵が十数枚掲げられ、いくつかチャペルも
あったが、このチャペルは強く記憶に残りそうだ。
黒人のガードにウエストミンスター寺院なら歩いて15分から20分、バスでも行ける
と聞いて、バスに乗った。二階建てである。
一つ目のバス停で降りると、にぎやかな横町が見えた。寄り道することにした。7.8
メートル幅の通りに屋台が並んでいる。写真を撮っていたら、テレビカメラを回して
いるのが見えた。それを写そうと思ったら、逆にインタビューされてしまった。
「今度、使われることになる新札のポンドです。どう思いますか」
持つと薄いプラスチックのような手触り。見れば紙幣の一部に透明な丸窓がついて
いる。
「お金というよりおもちゃ見たいですね」
はたしてオンエアされるのか、どこのテレビ局なのか知らずに答えた。
ウエストミンスター寺院は70年いらい、二度目の訪問になった。前回の4,5年前
は入り口に観光客がひしめいて、並ぶ時間が惜しくて入らなかったが、今回は数
人が並ぶのみ。
シニア料金は2ポンド安い、7ポンドだったか10ポンドだったか。大体1500円前
後で、しかし、たしか70年当時は無料だったはずなのになあ。
前回の訪問時には高い天井のみの記憶しか残らず、ほとんど初めての見学にな
った。案内のイヤホンで日本語の説明を聞いて、こういうのは初めての経験だった
が、なかなかよいと満足した。
気に留ったのは無名戦士の墓と第二次大戦で戦死した空軍兵士の墓である。
ウエストミンスター寺院は歴代王の菩提寺である。そこへ無名の兵士、空軍兵士が
枕を並べている。
この許容度と言うのか、国に対する考え方とらえ方の違いというのか、宗教心の有
無なのか、宗教観の差なのか、歴史認識の隔たりと言うのか、王族の受容と言うの
か民衆の支持というのか、どう考えればよいのか。
日本の天皇陵など、平民との同葬などはもとより、足を踏み入れることさえ恐れ多
いとされている。それが、この国の菩提寺は王の棺桶を間近に見、へたすりゃ足元
に見て歩く。空軍兵士が正確に何人と数えられて同じ場所にまつられている。
それを言えば、スウェーデンの菩提寺も同じ。ストックホルムのリッダー寺院は見
学者を迎え入れている。ただ、ここには兵士などは埋葬されていないと思うが。
ウエストミンスター寺院はまた、ニュートンやダーヴィンら科学者からチョーサーや
ローレンス、バイロンなど多くの詩人や作家の墓を集めた広間もある。俳優ローレ
ンス・オリビエのもあった。シェークスピアは一度、ここに埋葬されまた故郷へ戻さ
れたという話で、像だけが残っていた。
もうひとつ教わったのは1300年ころの壁画である。
詩人の間の隣室、はげかけた壁にフレスコ画のような絵が見えた。4X6メートル大
の二つの絵があった。色はほとんど落ちて、褐色に朽ちた感じではあったが、絵自
体の輪郭は残っていた。
左にキリストらしきと数人の信者らしきの絵。右にキリストが磔刑からはずされた絵。
キリストの足にくぎの跡が生々しく残るのが印象的だった。気になって案内係の中
年女性に聞いた。うれしそうに、こう答えてくれた。
「これは1923に発見されたのです。壁に何か塗られていて、それを削ったらこの絵
が出てきたのです。ええ修正はせず、そのままの姿です。おそらく1300年ころ、ベネ
ディクト派の修道士が描いたものと思われます。フレスコ画ではなくオイルペイントだ
と思いますよ。
当時の人たちの多くは文字を読むことができませんでした。とくにラテン語で書かれ
た聖書の話はむずかしく、一般に人たちにはわからなかった。それで、このような絵
で布教活動をしたのです。右の絵は聖トーマスの一節です。キリストの復活を信じな
かったトーマスが、キリストの胸の傷にふれ、血のりを手にしたとき、神の復活を信じ
た、という話ですが、そうですか知りませんか。聖書のジョン(何とか)の20章をお読
みなさい。神のご加護がありますように」
うーん。
続く。