8月9日 晴れ
買主の最終チェックをした。
売主が完全にすべて撤去して、この状態で買主に渡す、という区切りの日。
ついでに納屋を見て、さらにじゅうたんなどを干す場所を教わった。
これが屋上にあって、抜群の光景。眼下に街を一望する。中央を貫く水路が見える。
10畳ほどの広さがあり、ここは気持ちがよい。
しょっちゅう来てみようと思う。
ローマ2日目。7月30日。
フィレンツェへ。
早朝、ローマのティルブルティーニ駅から1時間40分くらい。
電車とウフィツィ美術館入場・解説つきのオプショナルツアー。
ツアーは午後から2時間ほど。前後はフリーである。
まずは駅から有名な場所へ。ドームとジョットの鐘楼を見る。
ドームは、じつは大して期待しなかった。
写真では、壁面のくっきりした白黒の縞模様が安っぽく見えたからだ。
しかし実際は違った。
縞模様は色合いの違う大理石を組み合わされている。間近で見ると質感が伝わる。
圧倒的な重量感があった。
ジョットの鐘楼と合わせてゴシックの荘厳さを見せつけられた。
ゴシックの教会は、尖塔の高さを競うイメージが強いが、これは重量感がある。
ドームは正式にはサンタ・マリア・デル・フォラーレ大聖堂というらしい。
日本語では「花の聖母マリア教会」になるのだそうだ。
長い行列を見て、場内に入るのはあきらめた。
ジョットの鐘楼は階段を上って行きたかったが、同行者の体調でやめた。
で、目当てのサンマルコ美術館へ向かった。
ドームからゆっくり歩いて20分くらいだった。
ここはフラ・アンジェリコの「受胎告知」が有名だ。
中学くらいのガキの頃、親父に画を見せてもらって、いつかは実際に見たかった。
へたするとボッティチェリより、フラ・アンジェリコのほうに関心があった。
何だかわからないが惹かれてしまっていた。
スタティックな、清浄な、緊張感をもっているような感じを受けていた。
天使とマリアは柔和な感じがするのに、全体からはそういう印象をもった。
自分には到底入っていけない世界、あるいは異教の畏れに打たれるような感覚があった。
素晴らしかった。
「受胎告知」は予期した以上に大きく、美しかった。
静かな力強さ。張りつめた構成。柔和と緊張の崇高な同居を感じた。
天使は、想像以上に美しかった。
法衣の淡いピンクとひだの流れ具合と陰影。翼の色相とすっきりした形。
へーえ、こんなにきれいだったんだと、色あせていないのかと驚いた。
絵画的にというのか、そんな風に見れば天使の光輪はあり得ない位置に描かれている。
天使なんて実在しないわけだし、いや、修道士アンジェリコには、見えないだけの存在なの
だろうが、この絵のために光輪はこの位置にある、というような意思を感じる。
そう思えば、翼の褶曲は、左ひざのかがめ具合と、天使の前傾姿勢と、3つのベクトルが調
和しているように見える。
マリアの、告知を受ける前かがみの姿勢も、こうでなければならない構図にみえる。
修道士ではなく、画家アンジェリコがいるように思う。
天使の法衣とマリアの衣服も、ともに簡素で宗教画らしくないように感じる。
それは天使とマリアの表情にも窺えるような気がする。
天使の視線は「お覚悟を」という風。
柔和そうでいながら、わずかに厳しさを漂わせる。
祝福するというのではなく、普通の人が普通にお知らせしますよ、という顔じゃないか。
そんな風に見えるだけかもしれないが。
マリアの視線は、はっきりしない。
重大な告知を受けるのに「自覚ない」という風に見える。
庶民的な、しかもおばさん顔に見える。
ルネッサンスというくくりを考えると、なるほどと思う。
構図の遠近感というより、ふたりの表情に人間らしさを見た気がする。
それがまあ時代はルネッサンスへ、ということなのかもしれない。
フラ・アンジェリコは、ほかに
「聖ピエトロの三連祭壇画」
「キリストの十字架降下」
があった。
サンマルコ寺院では、サボナローラに興味があった。
彼の執務室があって、知らずに驚いた。
これは次回にしよう。