8月20日 晴れ
ローマ2日目 フィレンツェ続き
メデューサ
ウフィツィ美術館の最後に、いい女を見た。
カラヴァッジョの「メデューサ」「バッカス」のあとである。
カラヴァッジョは、この後もバルベリーニ美術館とか、教会でいくつか作品を見た。
バルベリーニで見た「ナルキッソス」が一番印象に残った。
彼の作品については後で。
いまは体調の問題もある。
この画の女がいいのである。
じつに妖艶。
「なまめかしい」というほうが、自分の印象としては正確な表現かもしれない。
くぼんだ半開きの目が魅惑的であった。
自分は何よりも目の色を見る。
それから顔、からだ、仕草と視線を広げていく。
人物像は、なによりも顔の表情、すなわち目の描かれ方が重要だ。
最初、クレオパトラというタイトルは見なかった。
まずは、一人の女性として見た。
物語も背景も知らず、とりあえずは女人像。
この女性は何かを訴えている。
からだを奪って、という風にも思えてしまう。
うりざね顔で鼻筋が通って、顔をやや片方にかしげている。
それも誘っているように見える。
こちらがよこしまな目で見ているせいだろうか。
病的といっていいくらい薄黒い眼窩。
厚化粧ではないのに、そのように見える。
目に病的な、魔女的な誘惑をもって、語りかける。
瞳が大きいせいか、実際どこか病んでいるのではと思わせる。
このあたりで、クレオパトラというのを知ったと思う。
ええ、これが。
ほんとかよ、と思った。
ちょっといやらしすぎないか。
半開きの唇が、また、みだらである。
上唇と下唇が同じように、ぽってり厚みがある。
肉感的。
どこかで見たような顔。
新宿だったかしら。
クォーターの博多の娘がいた。
いまはどこにいるだろう。
もろ肌脱ぎで、しかし右手で胸元を隠している。
隠しているから想像を掻き立てられて、いっそう淫靡な感じを持ってしまう。
思いきったなで肩で、首筋が細長く、ここのところは上品に見える。
しかし、この容貌だと笑ったときには、イメージが狂うかもしれない。
博多もそうだった記憶がある。
つんと澄ましていたり、こんな目つきをしているときとは、別人になる。
なんだかんだと連想させる絵であった。
説明書を写真に撮った。
目が近くてよく読めない。くそったれと思う。
作者はGiovanni Bilivert と、あった。
タイトルは「Cleopatra」。1630年の作品。
まったく知らない人だった。
ウキペディアでは日本語はなかった。
チゴリの弟子で、ローマに同行した。
マニエリスト後期からバロックにかけての画家。
のちにブラインドになった、とある。
作品の解説を読んで納得した。
クレオパトラが、自殺するためにエジプトコブラを誘って、身をかませようとしている。
そういう誘惑の図なのだった。
背後のかごにはイチジクがあり、中にヘビが隠れている。
見る者には高価な衣服と宝石、そして官能を与える。
実物を見たときにはイチジクはわからなかった。
バスケットもよく見えなかった。
宗教画では、ブドウ以外の果物は概して原罪を表すと言われる。
リンゴは、そもそも大罪の象徴だし、オレンジやイチジクも原罪を表す。
ザクロは、ブドウとともに例外的に良いとされる。
このクレオパトラはブドウのかごを持っていた。
中にはヘビが隠れていた。
これはもう重罪。
おまけに自殺を試みるとは、破門行為にほかならない。
かてて加えて、官能に働きかけ、誘惑とは・・・。
冒涜の女性としてのクレオパトラなのだった。
自分は、まさしく画家の狙いにはまった。
しかし、それが心地よいから仕方がない。
こういう「妖しい美」に身をゆだねるのが、絵画鑑賞の要諦の一つなのだと思う。
ルネッサンスより、やはりバロックなのかな、と思う。
建築にしても、彫刻絵画にしても、豪華絢爛、演出過剰の花舞台。
それがわかりやすい。
だから人はローマにくる。
感覚にストレートに訴えてくるから、一時的な忘我に誘われる。
目の薬、それも麻薬を打たれた気分で、精神昇天という感じかな。
このクレオパトラは大きなお土産だった。