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瘋癲北欧日記

第二の人生 つれづれなるままに

ローマ 8

2015年08月21日 | 旅行

8月20日 晴れ

ローマ2日目 フィレンツェ続き
メデューサ


ウフィツィ美術館の最後に、いい女を見た。


カラヴァッジョの「メデューサ」「バッカス」のあとである。
カラヴァッジョは、この後もバルベリーニ美術館とか、教会でいくつか作品を見た。
バルベリーニで見た「ナルキッソス」が一番印象に残った。
彼の作品については後で。
いまは体調の問題もある。



この画の女がいいのである。

じつに妖艶。
「なまめかしい」というほうが、自分の印象としては正確な表現かもしれない。
くぼんだ半開きの目が魅惑的であった。
自分は何よりも目の色を見る。
それから顔、からだ、仕草と視線を広げていく。
人物像は、なによりも顔の表情、すなわち目の描かれ方が重要だ。

最初、クレオパトラというタイトルは見なかった。
まずは、一人の女性として見た。
物語も背景も知らず、とりあえずは女人像。

この女性は何かを訴えている。
からだを奪って、という風にも思えてしまう。
うりざね顔で鼻筋が通って、顔をやや片方にかしげている。
それも誘っているように見える。
こちらがよこしまな目で見ているせいだろうか。

病的といっていいくらい薄黒い眼窩。
厚化粧ではないのに、そのように見える。
目に病的な、魔女的な誘惑をもって、語りかける。
瞳が大きいせいか、実際どこか病んでいるのではと思わせる。



このあたりで、クレオパトラというのを知ったと思う。
ええ、これが。
ほんとかよ、と思った。
ちょっといやらしすぎないか。

半開きの唇が、また、みだらである。
上唇と下唇が同じように、ぽってり厚みがある。
肉感的。

どこかで見たような顔。
新宿だったかしら。
クォーターの博多の娘がいた。
いまはどこにいるだろう。


もろ肌脱ぎで、しかし右手で胸元を隠している。
隠しているから想像を掻き立てられて、いっそう淫靡な感じを持ってしまう。
思いきったなで肩で、首筋が細長く、ここのところは上品に見える。

しかし、この容貌だと笑ったときには、イメージが狂うかもしれない。
博多もそうだった記憶がある。
つんと澄ましていたり、こんな目つきをしているときとは、別人になる。


なんだかんだと連想させる絵であった。


説明書を写真に撮った。
目が近くてよく読めない。くそったれと思う。


作者はGiovanni Bilivert と、あった。
タイトルは「Cleopatra」。1630年の作品。
まったく知らない人だった。

ウキペディアでは日本語はなかった。
チゴリの弟子で、ローマに同行した。
マニエリスト後期からバロックにかけての画家。
のちにブラインドになった、とある。

作品の解説を読んで納得した。

クレオパトラが、自殺するためにエジプトコブラを誘って、身をかませようとしている。
そういう誘惑の図なのだった。
背後のかごにはイチジクがあり、中にヘビが隠れている。
見る者には高価な衣服と宝石、そして官能を与える。



実物を見たときにはイチジクはわからなかった。
バスケットもよく見えなかった。
宗教画では、ブドウ以外の果物は概して原罪を表すと言われる。
リンゴは、そもそも大罪の象徴だし、オレンジやイチジクも原罪を表す。
ザクロは、ブドウとともに例外的に良いとされる。


このクレオパトラはブドウのかごを持っていた。
中にはヘビが隠れていた。
これはもう重罪。
おまけに自殺を試みるとは、破門行為にほかならない。


かてて加えて、官能に働きかけ、誘惑とは・・・。
冒涜の女性としてのクレオパトラなのだった。

自分は、まさしく画家の狙いにはまった。
しかし、それが心地よいから仕方がない。
こういう「妖しい美」に身をゆだねるのが、絵画鑑賞の要諦の一つなのだと思う。


ルネッサンスより、やはりバロックなのかな、と思う。
建築にしても、彫刻絵画にしても、豪華絢爛、演出過剰の花舞台。
それがわかりやすい。
だから人はローマにくる。
感覚にストレートに訴えてくるから、一時的な忘我に誘われる。
目の薬、それも麻薬を打たれた気分で、精神昇天という感じかな。

このクレオパトラは大きなお土産だった。


ローマ 7 ウフィツィ続

2015年08月18日 | 旅行

8月17日 晴れ

ボッティチェリの「柘榴の聖母」はあったのだろうか。
見ていない。
気付かなかったのか、ほかの作品で頭がいっぱいだったのか。

と、振り返ったのは、ラファエロの「ヒワの聖母」を見たときだった。



ラファエロは聖母ものが一番いいように思う。
大作もあると知ったのはずっと後のことだ。

このウフィツィにある「ヒワの聖母」は、イメージ通りで、心が洗われる感じがする。
ちょっと複雑な色合いが入るのだけれど。

というのも、ヒワは聖書ではキリストの受難を表すらしい。
聖母に抱かれヒワを手にする幼子キリストは、いずれ磔刑にあうのを知っているというのだ。
そう思って聖母マリアを見ると、その目がいかにも奥深く見える。




深いと言うのは、たんに慈愛に満ちた目ではなく、複雑な思いを感じるという意味だ。
彼女も、キリストの最後を予知しているのだろう、と思えば・・・。
正確なことは知らないが、そう思ってみると、彼女はただ愛情を注いでいるだけではないだろ
うという気がする。

彼女の、キリストを見る伏し目には、悲しみが潜んでいるように見えてくる。
優しく美しく、慈愛に満ち、神性を帯びた目、ではないのだ。
神の子の定めを覚悟して、それを超えた愛情を注いでいるようにも思われる。
ラファエロの聖母の中で、これが異色に見えるのはそのためだ。

ヒワはスウェーデン語ではグルンシスカという。
ときたま庭で見かけるので、この絵には親近感もあった。
しかし、現物を見ると、そりゃお門違い。



で、ヒワでなく、ザクロを手にしたキリストはどうなったんだ、と思った。
ウフィツィには、ボッティチェリの「柘榴の聖母」もあるはずなのだが、と。

ザクロは、よい果物なのだという。

春の女神プロセルピナのもので、春すなわち復活、キリストの復活を暗示しているというのだ。
また、その実はぎっしりと固く詰まって、宗教心の強さを表すという。
ヒワより肯定的な道具立てなのである。


しかし、こちらはボッティチェリらしく、聖母はアサッテを向いている。
幼子キリストもコンチワという風に、招き猫のように手首を曲げている。
画家の意図はどこにあるのか、よくわからない。
何だかユーモラスな気がしないでもない。

この絵も見たかったのに、気付かなかったか、どこかへ貸し出されていたか。
どっちにしても残念だった。


ついでティツィアーノの2作品。
「フローラ」と「ウルビーノのヴィーナス」

自分は彼の絵は好きではない。
「ウルビーノのヴィーナス」は有名だが、やたら胴が長くっていけない。




このアンバランスは、アングルだったか、あの背中の長い裸婦とは違って見える。
あっちのは、どこか必然という気がするが、こっちのはそう思えない。

このヴィーナスは美貌とは思えず、目つきも変にこびていて魅力的ではない。
どこがよいのかわからない。


「フローラ」も、ちょっと丸ボテ顔で、目に精気がなくて美しく感じられない。
美形なのだろうが、できの悪いお人形に見えて仕方なかった。



それより、この後に見た「クレオパトラ」が妖艶でよかった。
この作品はまったく知らなかった。
これは次回に。



 


ローマ 5 ウフィツィ続き

2015年08月16日 | 旅行

8月15日 晴れ


何だろう、というくらい晴天が続いている。
きょうは「佐知子すし」の開店10周年記念パーティーに出席した。
久しぶりに日本の食事を堪能した。
デザートでは水ようかんが、もう何年振りかの味覚を刺激した。
佐知子さんと山崎さんに、おめでとうというより感謝であった。


ローマ2日目 ウフィツィ美術館


じつは先日、パソコンが途中で勝手にオフになってしまった。
ほとんど書きかけた、これから書こうかという話が、すべておじゃんになった。
もうやめちまおうと思ったが、短くはしょって思いだしながら書いてみよう。
自分の備忘のためだし。


リッピはボッティチェリの師匠だと言う。
当時は絵画の世界でもマイスター制度みたいなものがあったらしい。
師匠の工房で修業を積むのが普通だったようだ。

当然、弟子は師匠の流れをくむ。
ボッティチェリが、リッピの描き方を踏襲というのか、似たタッチの表現になるのは当然だ。
リッピの有名な「聖母と天使」の天使の表情は、ボッティチェリのヴィーナスにつながっている
ように見える。


リッピ


しかし、それならと思った。
リッピの聖母マリアはフラ・アンジェリコのマリアに似ている。
アンジェリコのマリアを伏し目がちにして、やや上品に描くとリッピのマリアになる。
リッピの師匠というかお手本は、フラ・アンジェリコにあったのだろうと思う。


アンジェリコ

師匠なのかマイスター制度なのかわからないが、ようは当時のはやりだったのだろう。
アンジェリコとリッピとボッティチェリ。
3人のマリアやヴィーナスの顔を並べてみれば一目瞭然ではないか。
そりゃ専門的に、多角度から観察検討すれば、違いがあるのは当然だ。
表情だって正確にいえば微妙に違う。


日本でも同じではないかと思う。
平安美人のしもぶくれ。
浮世絵の美人画。
その時代の雰囲気なのか、価値観の支配なのか、同じような顔をしている。


フラ・アンジェリコからリッピからボッティチェリへ。
菱川師宣から鈴木晴信から喜多川歌麿へ。


時と場所は違っていても、流行りか社会の価値観か、似たような表現が時代を作る。
1600年のイタリア・ローマと1700年の日本・江戸に、その例が明らかではないか。
だからどうなんだ、といえば、それから先の意味を探ろうとは思わない。
素人にはそんなのはどっちでもよい。
ただ、そんな類似とか差異とか、鑑賞の味付けみたいなのを、自分でもつのが面白いだけだ。
他人さまには、かかわりのないこと、だね。


前は、もっと別のこと、違う書き方をしたのだが忘れた。



さて、そこへ行くとレオナルド・ダ・ビンチは、流行りを変えた。
前3人とは違う表現をしていると思う。

彼の「受胎告知」を見て、いくつか気になった。
同じモチーフのフラ・アンジェリコと見比べると、ずいぶん違いがある。

ひとつは、ダ・ビンチのは学芸会の一場面に見えたこと。
天使だってマリアだって、容貌はどう見ても子ども。せいぜい中学生くらいか。
ダ・ビンチは何だって、こんなふたりにしたのか。
はばかり承知でいえば、マリアは薄い胸とふくよかな下半身がアンバランスだし。


天使の右手とマリアの左手は演劇的な告知・伝達を思わせる。
アンジェリコのは大人の女性の以心伝心という風だった。


 天使の光輪は現実的に横に薄く、マリアのも正確な位置にある。
アンジェリコのは勝手な向きに置かれている。


天使の翼もダ・ビンチのは幼く、生えそろったばかりの重さがあるように見える。
アンジェリコの優雅な気品あるカラフルなそれとは大いに違う。


アンジェリコ


ダ・ビンチのは天使は百合を持ち、マリアは聖書を手にしている。
アンジェリコのには、マリアの聖書はともかく、天使に百合がないのは特異である。
当時の様式では、百合を持たない告知の天使はありえたのだろうか。


 こんな風に見てくると、ダ・ビンチのころからルネサンスの変容があるのでは、と思う。
宗教画から少しかい離して、人を描くようになって、人の描き方が変わってきて、ついには
人そのものを描くようになった。
天使やマリアが人間らしくなって、さらには普通の女性になるというように。

普通の女性をどう描くかは、画家の優れて個人的な美的価値観による。
宗教にとらわれず、人物そのものに焦点を当て、いかようにも画家の思いで描く。
フラ・アンジェリコのマリアが、ダ・ビンチのモナリザになっていくのではないか。


ダ・ビンチ


ダ・ビンチの初期の作品。「キリストの洗礼」の足元の天使。
この天使像で彼は天分を認められたと言う。
なるほどね、と思った。これはじつに美しい。これはよく見ることができてよかった。
なんだろうね、この気品あるあどけなさ、無垢の表情。
でも、宗教画に登場する天使というようではない。
もうちょっと人間らしい、という気がする。
そういう風に見たくなるだけなのだろうか。
しかし、これが後年のモナリザにつながっていくのかなと、思う。


キリストの洗礼


ダ・ビンチのモナリザの背後の遠景が、ルネッサンスだか何だかの特徴だという。
こういう評価は、むかしから何だか下らないんじゃないかと、思っていた。
風景の描き方表現法なんて、重箱の隅じゃないのかと。


天使の表情、受胎告知のマリアの目もと。
そしてモナリザの微笑みへ。
自分の中では、ひとつの線が伸びていくように感じた。 


風邪はずいぶんよくなった。
谷沢さんからお借りしたマシンを、はやく使いたい。


ローマ 4 ウフィツィ美術館

2015年08月12日 | 旅行

8月11日 くもり


ローマ2日目 フィレンツェ



サンマルコ寺院からドームを通ってウフィツィ美術館へ向かった。


ヴェッキオ宮殿前のシニョリーア広場には、いくつかの石像が立っている。
有名なのはダビデの原寸レプリカ。
広場に面してランツィアのロッジオとかいう、巨大な屋根付き回廊にも石像がある。
メデューサの首を持つペルセウスを持っているペルセウス像など。

なかで「サビーナの略奪」が目を引いた。
ローマ神話で、国内に女性が少なく、サビーナから女性たちを略奪したという話がある。
その様子をモチーフにした、5,6メートルほどの大理石像。
しかし回廊の下に日陰を求めて座る観光客が多くて、近くでは見られなかった。
写真で見ると、掠奪者が女性のしりに太い指を食いこませている。
これはよく見たかった。




じつは手落ちで、結局、ローマではボルケーゼ美術館にあるベルリーニの「プロセルビー
ナの略奪」を見損なった。
これも掠奪者が女性のしりに指を立てている。その食いこみの部分のリアルな表現を見た
かった。
それが叶わなかったのだから、フィレンツェの掠奪者のほうは、ちゃんと見ておけばよかっ
たと、後で思ったのである。



ウフィツィ美術館は現地ガイドさんに案内してもらった。
入場券の入手が面倒とか、待ち時間が長いとかいうので、手軽に済ませたかった。
ほんらいなら、日本語のガイドホーンを借りるべきなのだが。


まずはジョットの「荘厳の聖母」という板画。


  

ジョットはルネッサンスの先がけとなった画家というのだが、この絵はまったくわからない。
どう見たって、自分には宗教の祭壇画としか思えない。
技巧も旧態依然だし、聖母やキリスト、天使の表情にも「人間性」というのが感じられない。
これなら、その昔見た「ユダの接吻」のほうが、はるかに良いと思う。

ガキの頃なので記憶は確かではないが、日本で展示会が行われた、そのカタログの表紙
にジョットの「ユダの接吻」が使われていたと思う。
これは、キリストとユダの表情に、とくにキリストの眼光に強い印象を受けた。たんなる、と
いうのかどうか、宗教画というのではないと、ガキながら感じた記憶がある。

しかし有名な作品だから写真を数枚撮った。
こんなの撮ったってしょうがないと思いながら、証拠写真がほしいのだろうね。
これに限らず、そんな写真をごまんと撮った。
昔、江川卓君の親父さんが「日本経済の壮大な無駄だ」と、カメラマンに言った。巨人入団
前のことだが、それがアタマをかすめた。



ジョットの次はフィリッポ・リッピである。
ちょっと喉がいがらっぽいので、次にしよう。


ローマ 3 サボナローラ

2015年08月11日 | 旅行

8月10日 晴れ


ローマ2日目 続


サンマルコ寺院では、サボナローラの執務室が興味深かった。

サボナローラはドミニカ会の修道士で、やたら厳格な神権主義者。
サンマルコ寺院の修道院長からのし上がってフィレンツェを恐怖支配するまでになった。

裸や芸術に理解がなく、ぜいたく品を退けて、焚書坑儒もどきを断行した。
その権勢絶頂期にはメジチ家も従わざるを得なくなった。
ボッティチェリもヌードのテーマを断念し、宗教画しか描かなくなったという。

写真で見ると極端なかぎ鼻で、いかにも人相が悪い。
しかし、こういう坊主の存在というか台頭は面白いと思う。
いずれ関連本など読んでみたいと思う。
という程度の関心と情報で、サンマルコ寺院は見てみたかった。


結果、なるほどねという印象を持った。
ひとつには、彼の執務室である。
6畳と3畳ほどの二間。不細工なほどの厚手の机があり、ここで仕事をした。




フィレンツェの当時15世紀と言えば、メジチに代表されるように裕福な街であったろう。
それが教会だか修道院とはいえ、これは質素というより貧しいくらいの部屋。


狭い窓には鉄格子。

鉄格子が、当時もあったかどうか知らないが、ここから中庭が見える。
修道院の中庭と言えば、世界から切り離された修道士たちの憩いの場所。
ここのはバスケットコートほどの広さしかなく、ものを栽培したりはできなかっただろう。
中庭も清貧という規模である。

狭い湿った部屋の隅に座り、鉄格子の窓から小さな中庭をのぞく。
この寺院の外、10分も歩けば富裕な商人たちの豪奢な屋敷がある。
そういう環境に身を置いて、神のしもべとして自らを厳しく律する。

対照的な世界を、どういう思いで見ていただろうか。



もう一つは寺院の二階のつくりである。
6畳ほどの狭い僧房がL字型廊下の両側に並ぶ。
合わせて20部屋前後あったかと思う。
どの部屋にもフレスコ画が描かれている。


  

むろん題材はキリストである。受胎告知、誕生、磔刑エトセトラ。
フラ・アンジェリコもここの修道士であったし、多くの修道士がフレスコ画に携わっただろう。
その神のみもとで写本なども行ったに違いない。
フレスコ画ではなく、最後の審判を見せる絵画も掲げられた。
地獄の惨状、悪魔の仕打ちをさまざまな形で具体的に見せる。


  


修道士たちは日々にその審判を目にして生きる。
サボナローラは、そのような修道士たちを導いた。
神の代理として、権勢をふるったはずである。

こういう環境が、かれをして神権政治へ走らせたのではないかと思う。
蛮行に等しい焚書行為、神の前でメジチとはいえ許さぬと言う高慢ちき。
フィレンツェの法皇気どりになってしまったのだろうと思う。


やがて、それが破たん。
火の中を歩けとか何とか、反勢力から注文をつけられたりして、権力を失ったという。
広場で火刑に処され、遺骨はアルノ川に流された。
最後の審判を受ける資格まではく奪された、ということになるのだそうだ。

石壁に囲まれた狭い部屋。鉄格子の窓から見える中庭の風景。
廊下にはフラ・アンジェリコの受胎告知。僧房の各部屋にキリストのフレスコ画。
こういうところから頂点に上り詰め、最悪最低の死を迎えた男。
興味深い人物というしかない。


寺院を出ると、どこかの修道女の一団に遭遇した。
法衣の白が眼に痛く映える。




30度を超す真夏のイタリア、フィレンツェ。
500年くらい前、サボナローラも同じ青い空を見ていたのだろう、と思う。