goo blog サービス終了のお知らせ 

瘋癲北欧日記

第二の人生 つれづれなるままに

ローマ13

2015年08月27日 | 旅行

8月26日 晴れ


IKEAからの用品すべてチェック。受領確認。
部屋ひとつ壁面削減。居間窓枠ペンキ剥がし。
壁紙選択。




7月31日 ローマ バチカン


ツアーはシスティーナ礼拝堂で終わり。
ジェラートのおまけがつくが、われわれはもう一度美術館の振り出しに戻る。
ツアーで回らなかったピナコティカ美術館を見ること、礼拝堂をもう一度見ることのため。
ガイドさんは、親切に戻り口を教えてくれた。


ピナコティカでは、ピエタをみた。
え、こんなところにも、と思ったらレプリカだった。
本物はサンピエトロ大聖堂にある。


ピナコティカではカラヴァッジョの「キリスト降架」がよかった。




カラヴァッジョのはどれを見ても「切れ」があるように思う。
光と影の、かなり際立った使い方がそう思わせるのだろう。
写真でいえばハイキーなタッチで、素人受けする。
だいたいが暗い背景の中に、題材が浮かび上がるような描き方で、訴求力が強い。

光と影と言えば、レンブラントがそんな風に言われていると思うが、レンブラントのは、もや
もやした薄暗さを巧みに表現して、題材がおぼろに浮かぶ、という感じ。
対してカラヴァッジョは陰影くっきり、という違いがあるのではと思う。


ダ・ビンチの「聖ヒエロニムス」は、風変わりな作品という感じがする。
ラファエロの「キリストの変容」は見たが、「聖母戴冠」は見たかどうか記憶にない。
ラファエロは聖母以外どうも魅力を感じない。


そして再度、システィーナ礼拝堂へ。
疲れてきたのと、もう一度はやく見ようと気が競って、館内ショートカットした。
そのせいで近、現代作家の部屋を素通りしてしまって、後悔した。


システィーナ礼拝堂は、一度きりにすべきだったかもしれない。
最初の、強い印象が2度目には感じられなかった。
当たり前のことだが、いまになってそう思う。
堂内を埋め尽くす画の攻勢と、異様な雰囲気、その微妙な違い。
2度目には、ゆっくり見ることはできたが、限界効用逓減の法則かしら。


美術館内の軽食堂は、安いかもしれないが美味ではない。
東洋系外国人が団体で食して騒がしいのも気になった。
次があれば、ここには2度と来ない。


美術館を出て、ドームの上へ出る階段には長い行列で、すぐに断念した。


サン・ピエトロ大聖堂。
堂内は、これはコケ脅かしの巨大装置。
不謹慎と言われるかもしれないが、贅の限りを尽くした豪華絢爛には驚き、あきれた。



イスラムの偶像崇拝禁止もどうかと思うが、これもなあ。
カトリックの総本山。
神と神の子キリストと聖ペテロのために、精魂込めて比類なき大聖堂を、なのだろうが。


これを美術品、建築工学という点からみれば、素直に評価できると。
ミケランジェロの「ピエタ」、ベリリーニの大天蓋、あまたの彫像群。
どれもこれもため息が出るほどに美しく力強く、人知を超えた世界へ誘われる気分。
500年くらい前に、と思えばなおさら、人類の知恵と技術の卓抜に頭が下がる。
よくぞ作ってくださったと、感謝感激の美術工芸世界である。



しかし、宗教という点から見ると、そうは素直に思えない。
宗教のもつ強さを、本分とは別の所で利用しようとする作為を感じてしまう。
これほどの贅を尽くし人心かく乱する、その政治的作意を思わないわけにはいかない。


ローマ皇帝コンスタンチヌスがキリスト教を公認した。
皇帝は神ではないが、神に代わってまつりごとをつかさどる。
教会は皇帝の保護を受け、堂々と布教活動ができるようになった。
信者は、神の代理人のもとで、戦になれば人を殺してもよい、という解釈になった。


そこからスタートして、サン・ピエトロ大聖堂の豪華絢爛。
とうふうに割り切ってみれば、思いは乱れる三度笠。
何なのかなあと、大聖堂の巨大な天井を見上げて、また、ため息が出る。



この大聖堂は、じつはスウェーデンと大きな関係がある。
スウェーデンの女王が埋葬されているのだ。
ここに埋葬されている、ただ一人の女性である。
女王クリスチーナの話は興味深い。



 


ローマ12

2015年08月25日 | 旅行

8月25日 晴れ

7月31日 システィーナ続き


またミスをした。
下書きを押すつもりだったのに、今度は投稿を押した。
まあ、すべて帳消しよりはまし。
気を取り直して、きょうはその続きを。


礼拝堂の外観


システィーナ礼拝堂について、和辻哲郎がこんなことを書いていた。
礼拝堂のために画があるのでなく、画のために礼拝堂がある、と。
なるほど、である。


礼拝堂に足を踏み入れた瞬間、自分は違和感をおぼえた。
いきなり大広間か、と。
巨大な講堂みたいではないかと思った。


ちゃんとした門はなく、入り口は片隅に小さく狭くもうけられている。
これをくぐって正門に出るのかと思ったら、もうそこが礼拝堂なのだ。
人の出入りがないのは、そこが一方通行になっているからだった。

堂内の人の渦にも違和感をおぼえた。


見物人は、立ったまま天井を見上げている。
壁際にベンチがあるだけで、大半の人はてんでばらばらな立ち姿をしている。
妙な感じであった。


祭壇は、入り口の右側にあった。
ふつうは、入って正面にしっかりしたと祭壇がしつらえてある。
それが、入って右、振り返って見たところに祭壇があった。


システィーナ礼拝堂は、法皇たちの私的な礼拝堂らしい。
また、法王の選挙、コンクラーベというそうだが、それに使われているのだと言う。
それにしても、妙な感じがした。

礼拝堂なのに、礼拝のための長い机も長椅子もない。
祭壇も、じつはお飾り程度で目立たない。
この規模の礼拝堂には、極めて質素なつくりである。
身廊もなければ側廊もない。
壁画も整然と並べられているが、額縁はこれも大きさの割に質素である。
総じて、装飾がない。
礼拝堂であれ教会であれ、ローマの、この時代であれば、豪華な内装がふつうである。
宗教的敬虔を強いるために、としか思えない満艦飾も少なくない。


それが、システィーナ礼拝堂では、いっさいを遮断しているという感じ。
いきおい、参列者は画に目が行く。
いや画しか目に入らない。

礼拝堂というより「講堂画廊」という風である。

なんで、こんなつくりにしたのか。
ミケランジェロの意向か、彼の画に対する法皇の尊敬の故か。
設計意図はあるに違いない。
しかし、結果として「画のための礼拝堂」になっていると思う。


中庭の紹介写真


ミケランジェロの画は、魔力をもって降りかかる。
巨大な絵の洞窟の中に閉じ込められているようにも思う。
洞窟と言えば…。

ローマには、ちょっとした庭園には洞窟が作られている。
ローマに限らないかもしれないが、皇帝や貴族、富裕な商人連中は洞窟を愛したらしい。
暗く奥深く、不気味で神秘的な世界への憧憬があったという。
バイエルンの狂王と言われた皇帝ルートヴィッヒ二世も、ノイシュバンシュタインの城内に
洞窟を作らせた。

イタリア語で洞窟はグロッタというそうだ。
スウェーデン語でも、グロットナという。
このグロッタから、グロテスクという言葉が生まれた。
常識では理解できない奇形、異様なもの。

ミケランジェロの大量の画の中にはまって、一瞬、現実から切り離されたような思いがする。
魔力にとりこまれて、異様な別世界に踏みこんでしまった感覚。


鑑賞時間はおよそ20分。
途中で、ベンチに座ってラクをした。
死んでもいいとは思わなかったが、不思議と不可解、めくるめくときを過ごした。
ミケランジェロこそ端倪すべからざる、という精神の持ち主であったと思う。

システィーナ礼拝堂は、グロテスクな講堂画廊であった。


ローマ11

2015年08月25日 | 旅行

8月24日 晴れ


またバカをやった。
下書き保存をおしたとき、ほかをさわったらしい。
すべてが飛んで消えてしまった。
ブログ最悪事件である。
キーをたたく力が、じつに乱暴になっている。
記憶を追いながら、再度書いてみる。
じつに消耗だ。


ローマ3日目 7月31日


システィーナ礼拝堂の入り口には驚いた。
狭くて数少ない階段を上がると、そこはもう「大広間」だった。
いきなり天井画と「最後の審判」が目に飛び込んできた。
予想以上に高い天井。
巨大な講堂のような礼拝堂。
人が、たゆたうように講堂を埋め尽くしている。
顔を天井に向けてゆっくり動かしているので、そんな風に見える。
一種、異様な雰囲気である。


天井画は旧約聖書の場面が、それぞれ独立しながら連続して描かれている。
これは一度に見渡すことができない。
場面を追って、つなぎの画を見ながら、ひとつずつ目で追う。
「最後の審判」は、全体をいっぺんで視野に取り入れることができる。
これは新約聖書、ヨハネの黙示録から、世界の終末を描く。
青い空が背景になっているためだろう、人物が空中浮遊しているように見える。

それらをひっくるめて、すべての画が怒涛のように押し寄せてくる、という感じがした。
想像以上に、圧倒的なボリューム感があった。
この迫力に、恐ろしいほどの感動を受けた。
絵画を見て、こういう風に感じたのは初めてのことだ。


聖書は、つまみ読み。
キリスト教徒ではない。
したがって、この画は自分には宗教画としての意味は、さほど大きくない。
しかし、宗教は持たないが、宗教心は理解できると思う。
神の存在は信じないが、そのような存在を信じたい気持ちはどこかにある。


ミケランジェロの作品には、そこをつかれたような気がする。
宗教とか芸術とかいうレベルではなくて、人間の存在感の問題。
死んだらどうなる、どうして生まれた、という宗教画ではない。
力強い筆致、巧みな構成、色遣いの素晴らしさ、というだけでもない。
アダムやキリストを、たくましい肉体で描いた新機軸、という評価も違う気がする。


 




 


 


 


 




 



 



 


ローマ 10

2015年08月23日 | 旅行

8月22日 晴れ


息子とホールの壁紙剥ぎを終わらせた。
養生は居間の半分まで。


 


ローマ3日目 7月31日




ヴァチカン美術館ツアーの日。
地下鉄でバルベリーニからレプブリカまで。
集合場所で、ボルケーゼ入場のことを聞くが、スタッフは知らないようだった。
これが後々、ミスにつながる。


バスでバチカン美術館まで。
早朝8時ちょい過ぎころだと思うが、すでに長蛇の列ができていた。
入場料3倍近いツアー料金だったが、まあこの行列を見れば正解と思うしかない。


バチカンでは、何をおいてもシスティーナ礼拝堂である。
自分のごく親しい人が、ミケランジェロの天井画と最後の審判を見て、
「もう死んでもいいと思った」
と、言った。


ただごとではない。

昔、芥川龍之介が自殺したと知って驚愕した。
中学生だったが、芸術至上主義の芥川という作家が、書けなくなって自殺した、という風に聞いた。
すごい人がいるんだな、と驚いた。

古本、改造社だったと記憶するが、発刊時2円の円本をお茶ノ水の古本屋で買った。
人生はボードレールの一行にもしかないーー。
なんてことだろう。
ふつうに、芥川に打たれた一人になった。


それいらいの「芸術」と「死」の相関関係である。

これは、死ぬ前に見なければ、死ぬことができないではないか。
死んでもいいと聞いていらい、ずっとアタマから離れなかった。
ミケランジェロの天井画と「最後の審判」には、そういういきさつがあった。


ローマ行き、最大の目的は、この画にあると言ってよかったのだ。


 システィーナ礼拝堂へ行く前に、いくつかの名物を見た。
ベルベデーレのアポロ像、ラオコーン、ベルベデーレのトルソ。


ラオコーンは、思ったほど実物を見ての感動はなかった。
トロイの木馬の奸計、策略というのも、あほな話に思えていたし。




これより、ベルベデーレのトルソのほうが迫力があった。
何というボリューム、筋肉の引き締まった、巨大なたくましさ。
顔と両手、両足膝から下の欠落に加えて、胸部の一部も削ぎ落ちている。
完全な、というのも変だが、完全なトルソと感じ入った。



紀元前1世紀ころの作品らしい。
圧倒的な存在感と迫力。
ミケランジェロが強く感動し、影響を受けたと言われるが、そうだろうと思う。

このトルソの筋肉の踊り方、まさしく筋肉一つ一つが躍っているように見える。
ミケランジェロの原点といってもよいのだろう。
彼を持ち出すまでもなく、この彫像は素晴らしいと思った。

それから地図の廊下、タペストリーの廊下。
続いて、ラファエロの間に入ったらしい。
有名な「アテネの学堂」と、ローマの大火をモチーフにした何とかいう作品。



どれも、それほど感動しなかった。
ラファエロの、あるいは彼の一派のこんな大作は好きではない。
よく描いたなあ、という程度の感想しかもたなかった。


ラファエロはマドンナに尽きる、という固定観念が強すぎるのかもしれない。


それから現代の作品も一部、見た。
システィーナへ向かう最後の廊下付近、いくつかの小部屋に飾られていた。
ガイドから藤田某の作品だけ、説明を受けた。
時間の関係なのだろう、フランスで有名になったフジタだから。
しかし、自分は彼の絵は好きではない。

それより、同じ部屋の中に、もっとゆっくり見たい画家の絵があった。
好きではないが、ルオーのキリスト像があった。


  
ルオー                      ムーア



彫刻家ムーアのデッサン画もあった。
ムーアも好きではないが、デッサン画を見られたのは面白かった。
キリスト磔刑の彫刻のためのアイディアに描いた、と解説されていた。


ダリはキリストの磔刑ほか一作品があった。
これはもっと見る時間がほしかった。




しかし、どうなんだろう。
こういう作品群は、バチカンで喜んで見るものじゃないかもしれない。
何で、こんな作品までバチカンは集めたのか。
いろんな法皇が好き勝手やったからなのだろうが。
いくらキリストがモチーフになっているとはいえ、やり過ぎではないかしら。


中途半端な気持ちでシスティーナ礼拝堂へ入った。


ローマ 9

2015年08月22日 | 旅行

8月21日 晴れ


久しぶりにゴルフ。
ポーランド移民の医者と回って良い言葉をもらった。
「ダンスをするな」
打ち終わって、からだがはねてそっくりかえっちゃダメ、ということ。
スウィングはきれいなんだから、それに気をつけなさい、と。
自分は岡本綾子のイメージで、軽くスイングしようと心がけているのだけれどなあ。
Inte dansa !


フィレンツェ 7月30日

ウフィツィ美術館を終えて、ヴェッキオ橋を渡った。
デイズニーシーの橋のオリジナル。
本家のこちらは貴金属などの土産売り場。古来からの商売である。
当方はまったく興味なし。カネもなし。
橋の上にかかる廊下が歩ければよかったのだが、これは無理な注文。



橋を超えて数分、なだらかな坂道を行くと広場に出る。
広場の向うにピッティ宮殿が建っている。
これは典型的なルネッサンス建築だと言われている。

どっしりとした建物は、重厚で頑丈な感じで宮殿というより砦か要塞に見える。
ローマとはやはり違うかな、と思う。
どこかストックホルムの街並みを連想させる。




ストックホルムの王宮などはバロックを手本にしたらしい。
しかし自分にはルネッサンス風に見える。
ローマのバロックを見てしまうと、ストックの王宮はそんなに華美ではない。

市庁舎にしても、搭がほっそり優雅ではあるけれど、全体としては質実なイメージ。
赤レンガのせいもあるかもしれないが、バロックという風ではないと思う。
市庁舎の設計者はイタリアに学んだ。
いろんな都市を回って、独自のものを出そうとしたのでは、と思う。


まあ、もともと何々式なんてどうでもよいのだけれど。


ピッティ宮殿を抜けて、ボーボリ公園の丘を目指して歩いた。
ここからフィレンツェの街を眺める予定を立てた。
有名なのはミケランジェロ広場だが、ウフィツィからは、こっちの方が近いから。




30度を超える中で、ずいぶん階段を上らされた。
その甲斐はあった。
途中、陶器美術館前の広場からは、トスカーナ地方らしい風景が見られた。
舗装ず議の木とオリーブ、ぶどう畑。なだらかなッ勾配を持つ農園。

さらに丘の上まで進むと、予想以上の光景が広がっていた。
別の美術館前の広場から、ドームとジョットの鐘楼を中心に、街全体を見下ろすことができた。
涼風が頬に心地よかった。
端に腰かけて、しばらく休憩した。




もう少し元気であれば、公園内の洞窟とか石像を見て歩きたかったが、こちらは断念した。


夕食はトスカーナのステーキを注文した。
トスカーナ地方の名物料理。北イタリアは海より”牧場”の幸だというのである。
駅近くの大通りのひとつ裏手の道に、よさそうな店があった。


ステーキを注文すると、得たりや応と言う笑顔を見せた。
この旅行者め、と。
だが、それは悪い感じの笑顔ではなかった。
そうこなくっちゃ、という風だった。

ビールを求めると、面白い銘柄を推薦された。
厚手のガラスボトルで、シャンパンのようにコルクの栓がしてある。
便のかたちも社パンに似て太い徳利形をしていた。

実際、テーブルでワインオプナーを使って、栓を抜く。
これがめちゃうまかった。
苦くないのが何より。
何で日本のビールはひどく苦いのばかりなのか。
クワーズは日本製になってまずくなったし。


給仕の友人が六本木でイタリアレストランをやっていると言った。
名前は覚えていない。
遠い友人なのだろうが、このビールはその店でも出している。
日本ではそこにしかないはずだと言った。


トスカーナのステーキは Tボーン。
正確には忘れたが1キロ以上あって、これを給仕がテーブルでさばく。
肉厚5センチ近くはあったろうか。
それがジューシーで柔らかく、値段負けしない美味であった。


ビールはアルコール度7か8パーセント。
良く冷やしてあるので、のど越しよく飲みやすく、案外なペースでグラスを重ねた。
満腹になって、酔っぱらって、同行者の世話になってローマへ。