8月26日 晴れ
IKEAからの用品すべてチェック。受領確認。
部屋ひとつ壁面削減。居間窓枠ペンキ剥がし。
壁紙選択。
7月31日 ローマ バチカン
ツアーはシスティーナ礼拝堂で終わり。
ジェラートのおまけがつくが、われわれはもう一度美術館の振り出しに戻る。
ツアーで回らなかったピナコティカ美術館を見ること、礼拝堂をもう一度見ることのため。
ガイドさんは、親切に戻り口を教えてくれた。
ピナコティカでは、ピエタをみた。
え、こんなところにも、と思ったらレプリカだった。
本物はサンピエトロ大聖堂にある。
ピナコティカではカラヴァッジョの「キリスト降架」がよかった。
カラヴァッジョのはどれを見ても「切れ」があるように思う。
光と影の、かなり際立った使い方がそう思わせるのだろう。
写真でいえばハイキーなタッチで、素人受けする。
だいたいが暗い背景の中に、題材が浮かび上がるような描き方で、訴求力が強い。
光と影と言えば、レンブラントがそんな風に言われていると思うが、レンブラントのは、もや
もやした薄暗さを巧みに表現して、題材がおぼろに浮かぶ、という感じ。
対してカラヴァッジョは陰影くっきり、という違いがあるのではと思う。
ダ・ビンチの「聖ヒエロニムス」は、風変わりな作品という感じがする。
ラファエロの「キリストの変容」は見たが、「聖母戴冠」は見たかどうか記憶にない。
ラファエロは聖母以外どうも魅力を感じない。
そして再度、システィーナ礼拝堂へ。
疲れてきたのと、もう一度はやく見ようと気が競って、館内ショートカットした。
そのせいで近、現代作家の部屋を素通りしてしまって、後悔した。
システィーナ礼拝堂は、一度きりにすべきだったかもしれない。
最初の、強い印象が2度目には感じられなかった。
当たり前のことだが、いまになってそう思う。
堂内を埋め尽くす画の攻勢と、異様な雰囲気、その微妙な違い。
2度目には、ゆっくり見ることはできたが、限界効用逓減の法則かしら。
美術館内の軽食堂は、安いかもしれないが美味ではない。
東洋系外国人が団体で食して騒がしいのも気になった。
次があれば、ここには2度と来ない。
美術館を出て、ドームの上へ出る階段には長い行列で、すぐに断念した。
サン・ピエトロ大聖堂。
堂内は、これはコケ脅かしの巨大装置。
不謹慎と言われるかもしれないが、贅の限りを尽くした豪華絢爛には驚き、あきれた。
イスラムの偶像崇拝禁止もどうかと思うが、これもなあ。
カトリックの総本山。
神と神の子キリストと聖ペテロのために、精魂込めて比類なき大聖堂を、なのだろうが。
これを美術品、建築工学という点からみれば、素直に評価できると。
ミケランジェロの「ピエタ」、ベリリーニの大天蓋、あまたの彫像群。
どれもこれもため息が出るほどに美しく力強く、人知を超えた世界へ誘われる気分。
500年くらい前に、と思えばなおさら、人類の知恵と技術の卓抜に頭が下がる。
よくぞ作ってくださったと、感謝感激の美術工芸世界である。
しかし、宗教という点から見ると、そうは素直に思えない。
宗教のもつ強さを、本分とは別の所で利用しようとする作為を感じてしまう。
これほどの贅を尽くし人心かく乱する、その政治的作意を思わないわけにはいかない。
ローマ皇帝コンスタンチヌスがキリスト教を公認した。
皇帝は神ではないが、神に代わってまつりごとをつかさどる。
教会は皇帝の保護を受け、堂々と布教活動ができるようになった。
信者は、神の代理人のもとで、戦になれば人を殺してもよい、という解釈になった。
そこからスタートして、サン・ピエトロ大聖堂の豪華絢爛。
とうふうに割り切ってみれば、思いは乱れる三度笠。
何なのかなあと、大聖堂の巨大な天井を見上げて、また、ため息が出る。
この大聖堂は、じつはスウェーデンと大きな関係がある。
スウェーデンの女王が埋葬されているのだ。
ここに埋葬されている、ただ一人の女性である。
女王クリスチーナの話は興味深い。