9月1日 雨
セーデルテリィエで初めての雨空。
ホールのスパック、日本ではパテを塗る。
ここは壁紙を剥ぎ、定着剤を塗り、そしてパテをかける。
こんな工程を踏むとは思わなかった。
一番簡単そうだったから、ここからスタートのつもりがとんでもなかった。
すべて古い壁紙の質感が嫌だったからである。
管理人に、いくつかの質問をした。
8月2日 ローマ・マッシモ宮殿からスリ事件そしてアルテンプス宮殿
マッシモ宮殿では「死にゆくニオベの像」と「ヘルマアフロディーテ」が見たかった。
ニオベはギリシャ神話に登場する娘。
ニオベは男女それぞれ7人の子ども、計14人を生んだ。
その多産で、神より自分が上と自慢して女神ロトの怒りを買う。
ロトは息子のアポロンにニオベの7人の娘を、娘アルテミスに7人の息子を射ち殺せと命じた。
ニオベは、背中をアポロンの矢で射抜かれて死にゆく。
まったく知らない話であった。
しかし和辻哲郎が大絶賛する像なので、見たかったのである。
「わたしは裸体彫刻を見てこれほど美しいと思ったことは一度もない」
これはすごそうだ。
紀元前400年ころの作だという。
それほどのものか、という気がしないではなかった。
本の写真で見ると、どうも首の座りが悪い。
首が短いせいか、ちんちくりんな感じがしていた。
目の当たりにして、それは角度のせいだというのがわかった。
本に掲載された角度から見ると、首が寸足らずで格好悪い。
照明の加減も影響しているようだった。
首の下に影ができて、首筋がすっきり見えないのである。
周囲を回って、いろんな角度から見ると、ベストなのは正面より左側から見た場合だった。
それも、やや仰ぎ見るようにしたほうが、しなやかな姿になる。
自分にはこれがベストポジションだと映った。
ひょっとすると、この像は高い台座の上に据えられていたのではないか。
肌合いに関しては、和辻解説のおかげで納得がいった。
ニオベは大理石なのに黄みがかった石膏像のように見える。
大理石像は、普通は研磨されて光沢を放っている。
きのう見たピエタもそうだし、この後に見るヘルマアフロディーテのように、冷たく光っているのだ。
それが、ニオベは細かくノミで刻まれ、しっとりした仕上げになっている。
自分は、きらきらすべすべの大理石像が、ごく普通で美しいと思って見ていた。
こんな風に刻まれて、美しい大理石の裸像もあるのだと、勉強になった。
そして、これは、後に見るアルテンプス宮のヴィーナスで決定的な印象になる。
解説がなければ、気がつかなかったはずである。
しかし、ヘルマアフロディーテは、冷たく滑らかに光って幽玄的であった。
大理石という素材の特性は、こういう裸体像で生きるのだよな、とため息が出た。
やはりこれはこれで素晴らしい。
この両性具有の怪しさは磨かれてこそ。
うっとり夢うつつの横顔から滑らかな背中、くびれたウエストから尻のふっくらした丸み。
こんなもの、どうみたって女である。
ほっそりした二の腕のわき下に、ふくよかな胸の輪郭。
ここまでは、どう見ても女性の裸体である。
それも、とびきりの美女である。
それが反対側に回って、驚愕のペニスである。
うっとりさせられた視線が、しかし、直後に凍りつく。
何だよあの醜いのは。
どうも、自分は古代ギリシャの感覚を持ち合わせないから、ペニスが美しいとは思えない。
ヘルマアフロディ-テ。
これは、ありていに言って美女と野獣、本来的な意味でグロテスク。
しかし極めつけの違和感に、逆に神経が震えて快感を覚えそうな危険。
真っ白な裸体に、極彩色の妖艶をみる感覚。
これはやばい。
たしかルーブルにも、ヘルマアフロディーテの大理石像があった。
同じように寝姿で、美しく磨かれ妖しい輝きを放っていた。
異様な価値観というのか、価値観の異様か。
古代ギリシャから、人は根っこのところで、つながるところがあるのでは、という思いがした。
この後に、有名な円盤投げの裸体像を見たが、こちらはまったく魅力を感じなかった。
危険なところへ差しかかっているのだろうか。