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瘋癲北欧日記

第二の人生 つれづれなるままに

ローマ23 マルタ騎士団の館

2015年09月08日 | 旅行

9月7日 晴れ
キッチンの床板貼り勉強
窓枠ペンキ塗り
ホールのパテ若干


8月3日 ローマ6日目続き


フォロ・ロマーノからコロッセオ駅に戻って、サン・フランチェスコ・ア・リーバ教会を目指した。
コロッセオから一つ目のチルコ・マッシモ駅へ。
ここからアヴェンティーノの丘を抜けて、テベレ川を渡ってポルテーゼの門へ向かう。
ポルテーゼの門近くに、ア・リーバ教会がある。


目当ては「ルドヴィカ・アルベルトーニ」である。
ベルニーニ晩年の彫刻。
15世紀実在の女性、福者・ルドヴィカ最期の瞬間をとらえた。
ルドヴィカは、そのとき神に召される至福に恍惚となった。
その恍惚の表情が素晴らしい。


これは何としても見なければいけない作品だった。


しかし犬も歩けば、であった。

駅からアヴェンティ-ノの丘を上っていくと、右手2キロくらいにフォロ・ロマーノ遺跡が見えた。
さらにヴェネチア宮殿も視界に入ってきた。
こんな遠景が見られるとは望外の散歩道だった。


さらに、ショートカットした狭い道沿いに拾い物があった。


ひとつはサンタレッシオ教会。
丘の上の教会で、庭園の端に展望台風テラスがあって、サンピエトロが見えた。
テラスは崖にせり出して、涼風がテレベ川から立ちあがってくるようだった。


そして隣のサンタ・サビーナ教会。
趣のあるたたずまい。
鐘楼はずいぶん古そうで、ジョットの鐘楼の小型版にみえる。
塀がやたら高いのが気になった。

調べたら、ここはドミニカ修道会の本部らしい。
何とかいう人が、ドミニコ会の創立者、聖ドミニコにこの教会を与えた。
それが13世紀のことで、建てられたのは5世紀だった。
ドミニカ修道院を併設しているというが、閉鎖中で中には入れなかった。

しかし庭に、印象に残る彫像があった。
名前はわからないが、その大仰な祈りの姿から、聖ドミニコではないかと思う。
苦しげな表情は、戒律の厳しさを教えているようだった。
そう思えば、塀が高いのも戒律の厳しさの表れか。


ドミニコ会と言えば、フィレンツェのサン・マルコ修道院もそうだった。
修道院長はサボナローラ。
フィレンツェで神権政治を執り、美術の表現を抑え込み、芸術家を苦しめた。
その本部が、ここだったとは。


サンタ・サビーナ教会の隣に、そうかここが、と驚いたのはマルタ騎士団の館。
門扉のカギ穴から、サンピエトロ寺院が見える、という館だった。
日本にいた時にテレビで見た。
へーえ、そんなところがあるのか、ありがたがって見るところかね、と思った記憶がある。


で、しかし、じっさいその場に来てみると、カギ穴をのぞいてみる。
それどころか写真も撮る。
まったくのミーハーである。


ローマ22 コロッセオ

2015年09月07日 | 旅行

9月6日 雨


ローマ5日目 コロッセオからフォロ・ロマーナ


まずサンクレメンテ寺院に行った。
駅からコロッセオを超して、2,3分のところ。
古代ミトラ教の神殿が地下にあって、カタコンベを思わせるという。

ミトラ教は秘密めいた宗教で、ローマではキリスト教以前、軍人が信仰していたという。
フリーマントルのような入会の儀式もあったという。
謎の多い宗教というので、のぞいてみたかった。


というのでコロッセオに行くときには、ついでに、と予定していたのだ。


しかし、地下へ行くには1000円くらいの入場料がいる。
紹介写真を見ると、モザイクのほうが有名らしく、ミトラ神殿らしき写真はなかった。
で、中庭だけを見て帰ることにした。

中庭の回廊の下に妙な石碑があった。
文字だとは思うのだが、まったく見たことのないアルファベットで書かれている。
通りすがりの人に尋ねたら、古代中欧の何とかいう文字だと言った。
いまだによくわからない。
しかし、この石碑の文字と地下のミトラ神殿には何か関係がありそうだった。


後日、調べ直して、やはり行っておくべきだったと思った。


コロッセオ入場にも行列ができる。
しかしローマパスをもつと、特別入り口から優先的に入場できる。
われわれは行列を横目に、すんなり中に入ることができた。


しかしコロッセオは、まあ壮大なアリーナだな、というだけである。
2000年くらい前に5万人収容かと見れば、さすがとは思う。


親指を上げるOKの印はここから生まれたらしい。
戦い方によって、兵士を殺すか生かすか、観客が決めた。
生かすと判断すれば、親指を上に、殺すとなれば親指を下にした。
どこかで聞いた話だが、本当なのだろうか。


コロッセオは内部を見るより、外から見た方がよいように思った。
うまい具合に一部が崩れ落ちて、歴史を感じさせる外観になっている。
ミロのヴィーナスが、腕を失くしてかえって魅力を感じさせるのと同じかな、と思う。
いや、それより広島の原爆ドームかしら。


コロッセオからフォロ・ロマーナへ。


昔の、いやさ古代ローマの中心地、公共広場だという。
いくつかの門や建物の遺跡があるのだが、名前はほとんどわからない。
こういう遺跡には興味が薄いから歴史を勉強することもなかった。


ただ2000年という時空を超えた現存物を、ため息をつきながら眺めるだけ。
鑑賞というにはほど遠い。
屋外の歴史的遺跡というのは、30度を超す中では鑑賞という気分にならない。
コロッセオ駅から歩き詰めで2,3時間。
関心の度合いも、それほど大きくないので、疲労感が強くなった。


しかし、フォロ・ローマからサン・フランチェスコ・ア・リーバ教会へ向かうときは違った。
目当ての「ルドヴィカ・アルベルトーニ」があると思えば、足がたしかになった。


 


ローマ21 ロレートの聖母

2015年09月05日 | 旅行

9月4日 晴れ一時雨


キッチンのタイル、壁紙剥がし。
天井の下塗り。


ローマ5日目 サンタゴスティーノ教会からスペイン広場


アルテンプス宮殿を出て、歩4分くらいのサンタゴスティーノ教会へ。
ここにはカラヴァッジョの「ロレートの聖母」がある。
拝観無料。


教会にある絵画は、サンピエトロみたいなのは別格として、ただで見られる。
教会なんだから当然と言えば当然。
しかし京都の寺はどこでも拝観料をとる。
日本人には、無料というのがありがたく思える。

カラヴァッジョなんて、日本で公開されたらカネも時間も取られるだろう。
と思うと、二重に得をした気分になる。
貧乏性なのだ。


しかしタダでは済まなかった。

画は教会の中の礼拝堂に掲げられている。
周囲は壁で薄暗く、画はよく見えない。
で、手すりの端に小さなコインボックスのようなのがある。
ここに1ユーロのコインを入れると、画に照明が当たる。
数分間だったか、画がよく見えて写真が撮れるのだ。


こういうシステムは、ほかの教会でもあった。
1ユーロ入れる必要がなく、ただボタンを押してライトを当てさせるところもあった。
ちょこっと待っていれば、だれかがコインを入れるので、相伴することができる。



肝心の画では、裸足が見たかった。
ちょっとオタクっぽいと思うが、仕方ない。
聖母に祈りをささげる信者は、裸足の裏側を見せている。
これは、西欧でも神の前では靴を脱がなければいけないから、なのだという。
裸足を描くことで信心深さを、多くの信者が聖母に祈るということを表現しているのだと言う。


そして聖母マリアも裸足である。
これは聖母を、より信者の側に身を置かせる意味がある、といわれる。
モデルが、カラヴァッジョの愛人だったから、という説もある。


裸足を見るために、と思えばあほらしいが、自分には宗教を知るうえでは参考になる。
画そのもの、カラヴァッジョらしい光の当て方に感心しながら、宗教と画家の関係を考えたりする。
日本では踏み絵というのもあった。



マリアがカラヴァッジョの愛人と思えば、その目つきが気になる。
何だか媚を売っているようにも見えなくはない、なんて思う。
宗教画に愛人の媚を混入しちゃうなんて、そうだとしたら痛快だな、など勝手に妄想する。


おごそかな教会、礼拝堂でこんなことを考えてよいのか、とも思う。
キリスト教徒ではないから、たんなる美術愛好者だからと、必要もないのに言い訳を考える。
画に対して、とりとめのない思いを巡らせるのが、結構楽しいのだ。


この教会には、祭壇の一つに軍神らしい女性の、リアルな半裸の彫刻があった。
その足元には、翼を広げた骸骨の彫刻がある。
もう一方に座る女性像も、かた肌はだけて乳房を見せている。


     



こういう構図の意味がわからない。
骸骨はともかく、女性と軍神だかが、なぜ乳房を見せなければいけないのか。
それも、ともに容貌麗しく、理想的と思える形の乳房をのぞかせている。


思いが次から次へと飛んで、収拾がつかなくなる。
しかし、そういう時間の過ごし方が、楽しく貴重な感じがする。
これは日本の寺社仏閣では、まず経験することができない。


教会からスペイン広場まで歩く。
オードリー・ヘップバーンが映画でアイスクリームを食べた階段が有名だと言う。
ヘップバーンには、まったく魅力を感じないので、ということも関係しているか。
たいして面白くもない、と思った。




階段上の教会だかが改装中で点睛を描く、ということもあったかもしれない。
広場の噴水も小さく、縁には観光客が鈴なりで、疲れたせいもあってかうんざりした。

だが、この日は夕食が、いつにもまして当たりだった。
ボンゴレとアバッキオ。




スウェーデンでは、まともなアサリがない。
ここのボンゴレは絶妙な塩味と、アサリの風味が、たぶん新鮮なせいだろうが、とても
うまくて、このあとも2回注文した。
アバッキオには余計なソースがついていない。
羊の、これは匂いでなく香りを含んだ、と表現したくなる味。

スパゲティと肉料理。
ともに、本場のうまいものを食った、という満足感も味わった。


食後に、トレビの泉からクリィナーレ広場へ上がった。
広場の丘からサンピエトロ寺院のドームが見えた。
初日の夜、ピンチョの丘から見た寺院を、反対側から見ることになる。



そう言えば、ナポリで地名を間違えた。
サンタルチアをサンレモと書いた。
マスダくんに怒られてしまう。


ローマ20 ルドヴィシの王座

2015年09月04日 | 旅行

9月3日 晴れ
いよいよスニッケルのKさんが来て、改装のスタート。
キッチンをすべて取り壊し、運び去った。
いろいろアドバイスをいただけるうえ、道具も貸してくださるという。
やはり日本人に依頼してよかったと、あらためて思う。


ローマ5日目 アルテンプス宮殿


スリにあったり、女優に声をかけたり、いろいろあったのち、アルテンプス宮殿に入った
ここの博物館は以前マッシモ宮殿と同じ場所にあったらしいが、今は分かれている。
しかし入場券は共通であった。


ここには彫刻でぜひ見たい作品があった。
有名作家のではなく、無名の作家によるギリシアの浮き彫りである。
「ルドヴィシの王座」またの名を「ヴィーナスの誕生」というらしい。

これも和辻哲郎の影響である。
「イタリア古寺巡礼」
この本の中で「ヴィーナス誕生」を「何と言ってもローマ第一等である」と書いている。

ローマの彫刻といえば、普通はミケランジェロ、あるいはベルニーニである。
レリーフとはいえ、彼らを差しおいて、無名の作品が「ローマ第一等」というのだ。
これは気になってしょうがないではないか。


また解説の中で、ヴィーナスが「薄い衣をまとっている」点を強調していた。
裸でないヴィーナスって、どうなのか。
本の写真でみると、裸なのか衣をまとっているのかわからない。


また、紀元前5世紀当時は「まだ神々を裸にはしない時代」だと書いている。
つまりこのヴィーナスは、裸のハシリみたいなものだという。
自分は歴史知らずで初耳。
ギリシャ彫刻と言えば裸体のイメージしかなかったので、これも気になっていた。


 そんなこんなで期待は膨らむ一方。
そして、じっさい目の当たりにして、達成感に満足し感激があった。
ミーハーかもしれないが、これはなるほど、と思った。



清潔、清廉、清浄というのが第一印象。
ヴィーナス像は数あれど、これほど肉体をつましやかに表現したのは、あまり例がないと思う。
代表的なミロのヴィーナスにしたって、裸体の美しさボリューム感には、生々しさがある。


このレリーフには、性的なアピールをまったく感じない。
乳房の形を見ても、これは少女、おそらく処女であろうと想像する。
聖少女的なヴィーナスなのだ。


よくみれば、たしかに裸ではない。
薄絹をまとっている。
それを、のみ一本で、こんな風に彫り上げる。
先のニオベ像と同様、磨きあげずノミの跡をわずかに残して、自然体に見える。

大理石の光沢を抑えて、つくりものではない美しさを表現しているように思う。
衣服のひだもシンプルで、つくったような滑らかさがない。
これが自然にできるひだのかたち、法衣のしわというふうに見える。


残念だったのは照明。
複数方向から光を当てているのだが、像に影が落ちる。
右からの光が強く、ヴィーナスの左の乳房の影が背後に写っている。
そのせいで、小ぶりの乳房が変に引き立ってしまうように見えた。




そして縄張り。
この美術館は、いくつかの像の前、周囲に縄張りがしてある。
このヴィーナスも縄張りがあって、至近距離でみることができなかった。
目のよくない者には、残念な処置だった。


しかし、しかし、これだけのレリーフが見られて、よかった。
おまけに見物人は皆無状態。
自分が見ている時間内では、ふたりが通りかかっただけ。
静かな環境で、あれこれ思いめぐらすことができて良かった。



気になったのは、像の側にある説明文。
この像は、「冥界の女王」というタイトルかもしれない、とあった。
ハデスの妻ペルセポーネが、毎年春に下界から出ることを許されるというギリシャ神話がある。
それがモチーフではないか、という説もあるらしい。
ペルセポーネは、ローマ神話ではプロセルピーナになる。
まあしかし、これはどちらでもよい。


この清浄なヴィーナスに比べて、座りのエロチックなヴィーナス像も見た。



「入浴するアフロディーテ」というのか。
立て膝で、肩を流しているようなヴィーナス。
ひざの具合がなまめかしかった。


「ルドヴィシの石棺」には驚いた。


 
よくもこれほど、というくらい複雑な浮き彫りが施されている。
どうやって、これら人物の裏側を掘り起こすことができたのか。
これは表現力とは別の、技術の粋というのが感じられる展示品であった。


 異様な気がしたのは、首だけの展示品。




タイトルはERINNIとあった。
調べると、日本語ではエリーニュス。
ギリシャ神話にある復讐の女神とあった。


首だけ。
それも目を閉じて、ぽんと置かれているさまは、オブジェ風。
古代ギリシャ彫刻らしいが、いまに通じる「表現の問題」というのを感じさせられた。

ファタールな様子で、首が転がっていた。
久生十蘭なら、そんな書き出しで、小説が生まれそうな気がした。
不思議と印象に残る作品であった。


ローマ19 予約ミスとスリと女優

2015年09月03日 | 旅行

9月2日 雨のち晴れ
ペンキとパレットの大きいやつ購入。
壁紙は見本を自宅に持ち帰ってよいという。
1週間の貸し出し。
4本借りた。同じ柄で2本ずつ、色を決めかねたため。
窓枠の養生を済ます。


ローマ8月2日 5日目の事件


事件しょっぱなは、ボルケーゼ美術館の予約ミス。
電話で埒が明かず、ホテルのバカはインターネットで予約すると、間違いを教える。
で、5日目のきょうになって現地へ。
まあホテルから近かったし、もしかしたらユリア荘を見ようかとも考えた。


受付は列ができていて20分ほど待った。
火曜日の1時か5時なら空いていて予約できると言われた。
帰国前日、ぎりぎりセーフである。
ローマパスを持っている、と言ったら「その場合は電話予約しなければいけない」と言われた。
じゃあ、電話しようと、その場で予約せずに帰った。
これがまずかった。

パスは最初の美術館2つが無料になる。
だが、パスを持っているからといって、何もボルケーゼで使う必要はなかった。
ひとつをボルケーゼで使うと決めていたせいで、つい電話しようと決めたのだ。
火曜日なら空いている、と言われたし。


しかし、その日、ホテルのフロントのバカに電話させると、バカが空きはもうない、と言った。
万事休す。
ボルケーゼの受付で、予約してしまえばよかったのだ。

じつはフロントのバカには、到着日に相談していた。
バカは知りもしないのに、インターネットでなければとか何とかアホを言った。
このバカを信用した自分が悪い。


時間に追われて泥縄、という事情もあった。
到着翌日から3日続けてオプショナルツアーを決めていた。
到着日に電話がつながらなかったこと、曜日の関係などもあって失敗した。


次の事件はスリに遭遇である。
マッシモ宮殿でニオベを見てから、アルテンプス宮殿までバスを使った。
このバスでスリにあった。


バスは混雑していた。
出入り口付近で立っていると、小太りの親父が人を押しのけて奥から出てきた。
なのに、次のバス停で降りない。
新たに客が入ってきても奥にやり過ごし、彼はわたしのそばから離れない。
すでにおかしい。
するともう一人、ソクラテスをアホにしたようなひげ男が右隣にきて立った。
小太りとソクラテスから挟み撃ちにあうような形になった。


ふたりは、私の方を見ようとはしない。
わたしは携帯バッグのチャックを開けていた。
ガイドブックを取り出しやすくするためだった。
財布とパスポートはジーンズの前ポケットに入っている。
ふたりがたとえスリだとしても、こちらは何の不安もなかった。
むしろ、これが有名なビッグポケットか、と面白がるところがあった。


小太りは、私の頭の横に黄色いバッグがくるように、バスの手すりをつかんだりした。
バッグはソクラテスと私の間にあって、私にはソクラテスの顔が見えない。
バッグが上がったり下がったりするので、ソクラテスの手元も見えない。
これは、もう間違いない。


スリ似顔


4,5駅目くらいだったろうか。
わたしはフロントガラスから、見覚えのある場所はないか目で探していた。
手首に何かがふれたように感じた。
ソクラテスの手だった。
ソクラテスが、私のバッグの中へ手か指先を差し入れようとしていた。


What are you doing?
Hands off me!


なにしてるんだ、手を引け、と言ったつもり。
大きめの声で、周囲にも聞こえるように言った。
ソクラテスはあわてた。
あわてて右手を上にあげ、こちらを見ようとはせず、なにもしていないと言う風を装った。


こちらも深追いはしない。
ほんとにやばい二人組だったら、どうなるかわからないもの。
が、二人組は次の駅でそそくさと降りた。


ふたりが降りた後、近くにいた老婦人がジェスチャーで、バッグを閉めろと注意した。
構わないのだが、夫人のためにチャックを閉めて安心させた。
得難い体験だけで実害なし。
まあ、この程度で済んでよかった。


ところが翌日、またこの二人組を見かけた。
地下鉄コロッセオ駅の出口。
観光客で混雑している駅前に、ふたりそろって立ち、カモを物色というようすだった。
おもわず、声を掛けそうになってしまった。
こんどはうまくやれよ、と。


スリの次は女優に遭遇した。

アルテンプス宮殿最寄駅で降り、まずは昼食をとることにした。
ナボナ広場の一つ裏通り、道端にテーブルを並べているレストランに入った。
メニューにはなかったが、ぺペロンチーノを注文した。

オーナーだか給仕長は、気のよさそうな男だった。
裏通りなので観光客より常連が多いようだった。
食事をしていると、様子のよさそうな中年の婦人がひとりきて、テーブルに座った。

気品のある物腰。やさしそうな笑顔。
ボルサリーノ系の、ソフトな白い帽子を目深にして、眩しげに目じりを下げるのが、ちょっと
コケティッシュな感じだった。

オーナーが、さっそく笑顔で迎え、奥からコックを呼んで歓談。
同席して写真まで撮った。
さすが、ベニスの夏の日、イタリア男、ローマの夏の日も負けてはいない。


で、戻ってきたオーナーに聞いた。
あの方は有名人か、と。
「ええ、女優さんですよ。ドイツのね。人気のテレビシリーズに出演していて、もう何年も
続けていますよ。もちろん、うちによくくるお客さんです」


というようなことを聞き、午後酒の酔いもあって食事後、彼女のテーブルに行った。
女優なのですか。
ええ、と笑顔だったので、写真を撮ってもかまわないかと聞いた。
驚くことに、少しはにかんで「いいわ」と答えた。



よくもまあ、そんなことをしたものだと、振り返って自分にも驚いている。
イタリアの夏の日は、国籍を超えて男を大胆にするのだろうか。