このところ、皆さんの投稿にコメントできない日々が続いている中での投稿お許し下さい。
以前、ブログに「さんてつ」と「いちえふ」というタイトルの記事を投稿をした。
おさらいになるが、「さんてつ」は三陸鉄道、いちえふは東京電力福島第一原子力発電所のこと。
おさらいになるが、「さんてつ」は三陸鉄道、いちえふは東京電力福島第一原子力発電所のこと。
漫画「さんてつ」は、三陸鉄道が地震・津波で被災した当時の状況や被災後の復旧工事に至るまでのエピソー
ドが描かれていて、現在は北・南リアス線の全線で運行を再開している。
小生と妻は2003年の夏、青森県下北半島の大湊線・大湊駅を出発し~八戸線~三陸鉄道・北リアス
線~山田線~三陸鉄道・南リアス線~大船渡線~気仙沼線~小牛田線~仙石線・仙台駅までの三陸沿
岸鉄道全線を2泊3日で走破した思い出があり、漫画を読んで以来運行を再開した三陸鉄道に再び乗りに行
きたいと思い続けていた。
(三陸鉄道以外はJR路線、2017.12.1現在、山田線は復旧工事のため運休中、大船渡線と気仙沼線の
一部はバスLRTに転換し運行再開)
●2003年に乗車した時の写真

11月のある日、出張で岩手県釜石市に宿泊する機会を得た。
朝5時半を過ぎに宿泊先を出発徒歩で釜石駅に迎う。
釜石の街を自分の足で歩くのは2012年以来だから約7年ぶり、その時の様子も以前ブログには投稿しているが
釜石の街を自分の足で歩くのは2012年以来だから約7年ぶり、その時の様子も以前ブログには投稿しているが
津波で被災した場所にはマンション様式の災害復興住宅や大型ショッピングセンターが建設されたが、まだ空き
地や工事中の箇所もチラホラ見える。
15分歩いて釜石駅に、改札窓口はまだ空いてないので自動券売機で終点・盛(さかり)駅までの乗車券を
購入し、ホームへ。
電車に乗る時、最近はICカードを使うため、券売機で切符を買うしぐさも久々だ。

●単線一面のホームにガリガリとエンジンを温めながら乗客を待っていたのは一般車ではなく、観光用の「レトロ風車両 36-R3号」。



マルーンのボディ、洋風の装飾を模した座席と柔らかなオレンジの照明、早朝から大興奮で写真をパチパチ取り
捲る撮り鉄おっさん状態に。
●車体には、原油提供という形で復旧を支援したクウェート国へ対するお礼のメッセージ
(提供された原油を売却し復旧資金に充当)

●暖かい車内に入りボックスシートに腰を下ろし発車を待つ。


出発時刻の6:15乗客は小生と年配の女性、運転士の3人を乗せた盛行き始発列車202Dが発車し
た瞬間、心の中で、「運行再開おめでとう」とつぶやいた。
釜石駅構内のポイントをゆっくりと車体を揺らしながら通過すると直ぐに鉄橋を渡る、鉄橋通過後エンジン音の高
まりに連れ列車が加速する。
インバーター制御のモーターを動力とする新幹線や電車と違いディーゼルカーの加速度は緩やかで、強い加速G
を感じないのでとても柔らかな乗り心地だ。
●平田(へいた)駅に停車して次の唐丹(とうに)駅で釜石行きの列車と交換。
白い車体に赤と青のラインがアクセントの一般車。

次の吉浜(よしはま)駅への途中にある全長3906mの鍬台トンネルに突入。
2011年3月11日、盛駅釜石駅きの列車がこのトンネルを走行中に大きな地震があり列車はトンネルのほぼ中
間地点で急停車。数時間後2人の乗客と運転士(休石運転士)はトンネルから徒歩で脱出し幸い無事であ
った。取り残された車両は数ヵ月後トンネルから出されて運行を再開、その車両は「奇跡の車両」と呼ばれている。
漫画に書かれていたこのエピソードを思い出しながらトンネルを通過、左手の海岸からは朝日が昇っていた。
●唐丹ー吉浜間で見た朝日

次の停車駅、吉浜駅のある海岸で取れるアワビは質が良く「きっぴんあわび」として珍重されているそうだ、何だか
あわびが食べたくなる。
三陸駅付近で再び左手にはおだやかな海岸が見える。オレンジ色のうっすらとした朝日を浴び穏やかな海、その
朝日にぼんやり、重機と真新しい防潮堤防の姿が映る。復興工事はまだまだ続いているのだと思うが、後になり
この写真が物語る何かが胸に刺さったことに気が付いた。
●三陸駅付近、朝日に映る穏やかな海、そして重機と堤防

三陸駅→甫嶺(ほれい)駅と停車し、一人・二人と乗客を集める、乗客のほとんどが地元の高校生だ。
次は恋し浜駅、地域の名産「恋し浜ホタテ」の貝殻に恋の願いを書いた絵馬が待合室にギッシリとたくさん飾ら
次は恋し浜駅、地域の名産「恋し浜ホタテ」の貝殻に恋の願いを書いた絵馬が待合室にギッシリとたくさん飾ら
れている、まさしく恋愛のパワースポットの別名にふさわしい駅。購読している「綾里漁協食べる通信」の食材で
「恋し浜ホタテ」が届き一度だけ食べた事があるが、絶品であった。
綾里(りょうり)駅はその、「綾里漁協食べる通信」の本拠地、当ブログにもバナーが貼ってある。
わかめ、めかぶ、ほや、あわび、送られて来る海産物が育つ海を直接見る事ができとても感激した、今度は時間を
取ってゆっくりと海を散策したいと思う。
●綾里駅の案内看板
●綾里駅の案内看板

陸前赤崎駅に近づくと景色は少し町の様相に、ここからは終点盛の町が見える。
終点・盛駅が近づくと進行方向左側からガードレールに仕切られた舗装道路に寄り添うように並走し、列車は定
刻7:02盛駅に到着。列車が到着したホームの反対側に並走した道路が接続、この道路は被災したJR大
船渡線から転換したバスLRTの専用路、残念ながらここで鉄路は途絶えてしまったが、まだ道は続いている。

運転士が、降車する生徒一人々に「行ってらっしゃい」と声をかける姿が清々しい、高校生の多くは隣のホーム
で待機する気仙沼行きのバスに乗り込んだ。

同じ車両で折り返す釜石行き列車の発車まで待ち時間は16分と短い、盛駅の外に出て周辺を早足で周り駅へ戻る。

まだ出札窓口が空いてないので乗車券は買えないままホームへ戻りLRTのバスや貨物専用の岩手開発鉄道の
ディーゼル機関車などを撮影し、折り返し列車の入口へ、ここで整理券を取り降車する駅で運賃を清算する仕
組みと判った。


7:18今度は釜石駅に行先を変えた203D列車が発車、同じルートを反対に釜石駅に向かう。
朝日はやや高く昇り町は明るくなって人々の動きも活発に、往路は薄暗く見えにくかった景色も復路でははっきり見る事ができる。
朝日はやや高く昇り町は明るくなって人々の動きも活発に、往路は薄暗く見えにくかった景色も復路でははっきり見る事ができる。
窓の下を眺めていると、線路を支えるコンクリート道床の一部に真新しく白い部分、被災して修復した箇所だと容易に判る。
また、沿線の集落や漁港では空き地や工事中の部分も多く見られた。
空き地や工事の風景を見るとすぐに「6年半以上経過してまだ復興が進んでいない」と批判的な意見を述べ
そうになるが、それはあくまでも第3者的意見。
確かに復興のスピードが遅い場面もある反面、その地域の人々のニーズに沿って「必要な物を必要なスピード」で進めれば良い
のでは、スピードは早くても土木工事・箱モノ建築ありきで進めるのは良い事ではない、と考えてもよいのではないだろうか。
(もちろんスピードを求めているのに遅々とするのは論外であるが)
●三陸駅には干し柿のカーテンが、往路では気付かなかった風景。
(もちろんスピードを求めているのに遅々とするのは論外であるが)
●三陸駅には干し柿のカーテンが、往路では気付かなかった風景。

列車は順調に進み、定刻8:05釜石駅に到着、整理券と運賃¥1080を現金で手渡しし、「楽しい時間でした」と
一声かけ、降車、駅の改札を出て、宿泊先のホテルに戻った。
釜石駅を出発して往復約2時間と短い時間であったが、様々な思いが凝縮したとても有意義な時間でした。
三陸鉄道は北・南の両路線で運行を再開しているが、その間に挟まれた山田線は現在JR東日本により復旧工事が行わ
れていて工事完了後は路線を三陸鉄道に移管する予定があり、近い将来北リアス線~南リアス線が新生三陸鉄道として久
慈~宮古~釜石~盛が一本の鉄路で再び結ばれることになる。
今度は、「北リアス線~(山田線)~南リアス線を走破しにきます。」と仕事先へ向かう途中、社用車フィールダーの車窓から
見える釜石駅に向かって心の中で告げたのであった。
にあふれたはやこまさんは、つくづく「ロマン
ティスト」だな〜と再確認してしまいました。
14年前のお写真を拝見すると、お頭の感じ
はずいぶん違いますね。(失礼!)
心から三陸の復興を強く願われていることがわかります。その思いの一端でも為政者が持っていれば被災者に優しい復興を考えてくれるのでは?と思います。
奇跡の列車のエピソードは『あまちゃん』でも使われてました。そのシーンが蘇ってきました。
horibonpapaです。
震災で大きな被害を受けた三陸鉄道。
ずっと見守られていましたよね。
運転再開後初めての乗車だったんですね。
それも出張中の仕事前に釜石~盛間を往復ですか?
お疲れ様でした。
久しぶりの大作ですね!
懐かしい、
はやこまさんの
特徴的なお姿!
早起きされましたね!
私も三陸釜石方面に
行ってみようと思いつつ、
まだ気仙沼・大島までしか
北上していません。
settaiさんや
はやこまさんの記事を参考にして
鉄道の旅を旅してみたいと思います~
14年前は30代半ばでしたが、おでこの辺りに現在に至る兆候が既に垣間見えると思います(笑
ロマンチスト自分では全然自覚ないのですが、自分では気付かない一面を教えて頂いた気がします。
ドラマの「あまちゃん」、北リアス線が「北三陸鉄道」として登場していましたよね。
オープニングで三鉄の車両(あれが一般車)が走る姿を空中から撮影した映像が好きで、毎日録画して見てまして。
今度はドラマの舞台にもなった北リアス線を再訪したいと思っています。
釜石発の始発に乗って折り返しても十分ホテルの朝食と仕事には間に合うと判ったので実行となりました。
なので、普段より早く寝るため前夜の部屋飲みは程々にしました(笑
好きな事をするためには、人って頑張れるなぁと実感しました。
私は反対に気仙沼・大島に行ってみたいと思っています。
東北には風光明媚、車窓の景色を楽しめるローカル線がたくさんありますので、駅弁食べながら、お酒も飲みながらコトコト揺られて旅をするのも楽しいと思います。
settaiさんが乗られた八戸線のレストラン列車、あれは一度私も乗ってみたいと思っています。
グッときました。
まだまだ、東北は復興途中なのですね。
でも、たまにあるニュースではたくましい方々のことも。
頑張れ東北!! ですね。
おそらく以前娘さんですかと聞いた当時のカットビさんの写真が嬉しいですねえ。
投稿タイミングがずれてアップしませんでしたが昨年仙台から北へちょいと旅行した際に
復興がまだまだなのとこんなに高台まで津波が来たのかと驚きました。
次回のシリーズにも期待しています。
頑張れ東北!フレ~フレ~は~や~こ~ま~!