北大阪発!服部の駅巡り日記

移転しました。こっちはもう更新しません

大阪地下鉄あやしいわーるど ~地下に眠る生き証人②~

2009-10-17 11:44:43 | 駅ネタ
前回から間隔が開いてしまいましたが、またまた「大阪地下鉄あやしいわーるど」特別編をお送りします。
今回も大阪地下鉄駅構内に残るヒゲ文字フォントを紹介していきますが、
今回は案内表示以外で使われているヒゲ文字フォントや
少数派となったヒゲ文字案内の中でも異彩を放ったヒゲ文字案内を紹介していきます。



no.1 駅名表

(こんな写真を掲載していいんだろうか・・・)
ヒゲ文字といえばこれ、前回もちょこっと紹介した駅名表です。
現在、この四つ橋線岸里駅と大国町駅で一部が残されていますが、
どちらも、立入禁止区域の一番奥だったり、柵が邪魔だったりとまともに撮れたもんじゃありません。




no.2 案内表示

(四つ橋線 四ツ橋駅)
駅入口に設置されている地下鉄の案内です。
この案内に関しては、駅案内が現在のものに取り替えられている駅でも残っていたりします。




no.3 駅名表示

以前紹介した野田阪神2番線に残されている柱につけられている駅名表示です。
花園町の使用されていない部分にも設置されているのですが、
現役で使われているものはこの駅のみとなっています。



no.4 駅の外にも・・・

大阪港駅の近く、「日本一低い山」天保山の近くある「地下鉄」の案内です。
周りの木に埋もれている感じもしますし、錆び錆びな様子を見ても、
おそらく「放置」されているものと思われます。しかし、いつからのものなのでしょうか・・・
(もしや中央線が開業した昭和36年のもの?)


番外編 ヒゲ文字風フォント

昭和50年代、状来のヒゲ文字から現在の表記に変わっていく狭間で、
実は「ヒゲ文字ではないが、現在のデザインではない」何とも微妙なものになっていた駅がありました。



谷町線 守口~野江内代間の駅です。




この区間が開通したのは1977年(昭和52年)のことで、
ちょうど本町サインが設置される直前ということがわかります。
(この区間の開業を期に、今ではお馴染みの車両を描いたピクトグラムが制定されました)
この頃から交通局は、ヒゲ文字に変わる新しいサインを検討していたのかは知りませんが、
この区間の駅には、デザインは一見ヒゲ文字案内っぽいものの、
ヒゲ文字案内とは少し違う何ともあべこべな案内が使用されています。
ちなみに、この区間の駅でも、当時関目駅は97年の駅名を関目高殿に改称時、
太子橋今市駅は06年の今里筋線開業時にそれぞれ現在のものに変えられています。





谷町線守口駅
この時制定された地下鉄のピクトグラムを全面に押し出した(?)感じの案内です。
その他は、状来のヒゲ文字案内と非常に良く似ていますが(つかそのまんま)
フォントはヒゲ文字とは違う、オリジナルのフォントとなっています。




野江内代駅
2番出口に、この「ヒゲ文字もどき案内」が残っています。
ちなみに、千林大宮にもありますが、写真とって無いので掲載しません・・・





開通当時の広報「大阪のあし」
おばh(ry
後ろに載ってある駅名表をよーく観てみましょう
端駅特有の横長駅名表ですが、デザインが「ヒゲ文字駅名表」と同じものとなっています。
(とは言え、やはりフォントはヒゲ文字もどきフォントが使われています)

横長駅名表にも旧式あったんですね。





おまけ


今里筋線開業前の太子橋今市駅案内です。
06年12月に乗換駅となり、現在の駅案内に取り替えられることとなりましたが、
開業直前、こんな案内に差し替えられていました・・・


じゃん








06年11月撮影



どうみてもコピーです、本当にありがとうございました・・・





以上、大阪地下鉄あやしいわーるど特別編でした
紹介した他にも、ヒゲ文字案内は多く残されています。
皆様も、地下鉄を使うときは少し探してみてはいかがでしょうか・・・

大阪地下鉄あやしいわーるど ~地下に眠る生き証人~

2009-10-08 18:17:27 | 駅ネタ
お久しぶりです。 今回は大阪地下鉄あやしいわーるど特別編として、
大阪地下鉄駅構内に今なお残る「ヒゲ文字フォント」について紹介していきます。


そもそも「ヒゲ文字フォント」とは・・・
大阪市電開業時から昭和50年代までに大阪市交通局の駅名表や案内看板などで幅広く使用されていた
大阪市交独特のトメ,ハネにクセのある字体が特徴的なフォントです。
一時期は、バス停などにも使われるなどいろいろな所で見ることが出来ましたが、
昭和50年代に本町駅で現在の駅名表に取り替えられたのがきっかけになり
(当時はあくまで試験的な設置となっていて、一部では「本町サイン」と呼ばれていたそうです)
ぴーえす
「本町サイン」が設置されたのは、昭和53年とのことです。

その後だんだんと現在の案内表記に変えられていき、ヒゲ文字案内は衰退の一途をたどっていきました。



当時のヒゲ文字駅名表
(四つ橋線信濃橋駅、中央線本町駅開通により改称されました)
90年代後半まで一部の駅では現役で使われていましたが、
現在は大国町と岸里の立入禁止区域の残るのみとなってしまいました。





ですが、現在も一部の駅の案内表示などでは、ヒゲ文字のものがまだ残っています。





今回は、そんな「歴史の生き証人」を写真と共に紹介していきます。





no.1
谷町線 東梅田駅




人通りの多い4番出口に残されています。
この駅の他にも、同じ梅田にある四つ橋線西梅田駅にヒゲ文字看板が残されています。
(3,4年前には、なんば駅の乗り換え通路にも残ってましたし、逆にターミナル駅のほうが残ってたりするのかも)


no.2
千日前線 西長堀駅




大阪市立図書館のそばにある5番出口に残っています。
本来乗り換え路線のはずである長堀鶴見緑地線の表記もありませんし、
かなり古くから残されているものと思われます。




入口の上に取り付けてある「地下鉄」表記
これも、もれずにヒゲ文字となっています。



no.3
御堂筋線 中津駅




4番出口にある、おそらく御堂筋線では唯一(?)残っているヒゲ文字案内です。
つか、古いやつにナンバリングつけるんじゃなくて、新しいのに変えたらいいのに・・・




no.4
堺筋線、谷町線 南森町駅



97年に駅改装が行われるまで、ヒゲ文字駅名表が現役で使われていた最後の駅です。
現在、駅構内はその当時の名残のようなものは全く無く綺麗なのですが、
ヒゲ文字が残されている5番出口に関しては、改装の波にものまれず
改装前の雰囲気を残しています(って改装前のこと知りませんが)





・・・とまぁ、同じ様な写真をただ載せただけの記事になっていますが、この企画は次回も続きます。
次回は、駅表記以外に使われているヒゲ文字や、とある駅に存在するヒゲ文字「もどき」を紹介していきたいと思います。

お楽しみに