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マルクス剰余価値論批判序説 その31

2021年03月22日 | 哲学思想

マルクス剰余価値論批判序説 その31

 

2、剰余価値

 

マルクスの剰余価値論を、見てみよう。剰余価値とは、最初の価値を越えて自らが生み出した超過分(増加分)であり、価値自己増殖である。それは、自分以外のところにある価値を、何らかの方法(略奪や詐欺など)で持ってきて自分に付け加える、ということではない。まさに、価値産出であり、錬金術である。(5)

マルクスはまず、流通過程における剰余価値の発生について考察する。そして、流通過程における商品交換は、剰余価値を発生させないとする。(6)

さらに、商品交換が不等価交換である場合にも、不等価において誰もが平等であるから、結局は価値を殖やさないことになる。(7)したがって、商品交換は価値を創造しない。(8)

このように、資本は流通からは発生しないが、しかしまた、流通からしか発生させることができない。(9)

そして、先に見たように、マルクスは、問題の設定に厳格な条件を付ける。

 

貨幣の資本への転化は、商品交換に内在する諸法則にもとづいて展開されるべきであり、したがって等価どうしの交換が当然出発点とみなされる。いまのところまだ資本家の幼虫でしかないわれわれの貨幣所持者は、商品をその価値どおりに買い、価値どおりに売り、しかも過程の終わりには、自分が投げ入れたよりも多くの価値を引き出さなければならない。彼の蝶への成長は、流通部面で行なわれなければならないし、また流通部面で行われてはならない。これが問題の条件である。ここがロドスだ、さあ跳んでみろ!(10)

 

この条件をクリアするために、マルクスが選んだ道は、流通部面の外部を流通部面に取り込むことだった。

商業資本(G―W―‘G)や高利資本(G―‘G) は、流通部面の中だけで運動する。しかし、産業資本はG―W…‘W―‘Gであり、商品生産という流通部面の外部をその中に取り込んでいる。(11)

剰余価値の発生の論証を行なおうとするマルクスは、流通部面の外部にある、資本家にとって私的な、商品生産の行なわれる場所に入り込む。

資本家は、商品市場で労働過程に必要なすべてのものを買

い、労働者に労働させ、その結果である生産物を取得する。(12)

資本家の生産物は商品である。資本家は、自分が使用する

ために労働者に生産させたのではなく、その生産物を商品として売るために、生産させたのである。

そして、資本家はそれを商品交換の法則にもとづいて、その価値どおりに売る。その結果、始めに投下した貨幣よりも多くの貨幣を手に入れた。

 

芸当はついに成功した。貨幣は資本に転化された。

問題の条件はすべて解決されており、しかも商品交換の法則は少しも侵害されてはいない。等価が等価と交換された。資本家は、買い手として、どの商品にも、……価値どおりに支払った。次に彼は商品の買い手がだれでもすることをした。彼はこれらの商品の使用価値を消費した。……この全経過、彼の貨幣の資本への転化は、流通部面のなかで行なわれ、そしてまた、そこでは行なわれない。流通の媒介によって、というのは、商品市場で労働力を買うことを条件とするからである。流通では行なわれない、というのは、流通は生産部面で行なわれる価値増殖過程をただ準備するだけたからである。(13)

 

したがって、問題は、流通部面と生産部面との関連にある。流通部面は、その外部にある生産部面と、どのような関係にあるのかが問われなければならない。

 



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