玉川温泉での出発前の準備体操。「大きくなってくださーい!」とやっています。
玉川温泉は岩盤浴のお客さんがいました。正直なところ、暖かくていいだろうなーと思っている方もいたと思います。
玉川温泉を出発です
急坂を登りつつ、初冬の森の自然解説風、本当は休憩中の一枚。
足元の落ち葉を踏んで歩くと、どんな音がするでしょう? 皆さんにお聞きすると、いろいろな音の描写がありました。
一番多かったのが「ガサッ、ガサッ」でした。何とも贅沢な落ち葉の道を歩いて進みます。
気温が低くなり、雪がちらついていましたが、シダの葉に粉砂糖を振りかけたような作品ができました。
どなたかがグラニュー糖かな?と言うと、そうだね。と別の方が言いました。
コケについた雪が凍ったところと、一部が溶けて水滴状になっている一枚。
水場まで来ました。立木に残るさまざまな方達の記念の彫刻(?)についての解説をしています。
これは1954(昭和29年)田口、白川、マツハシと読めます。60年以上前にここに来た方達の痕跡です。
再び「ガサッ、ガサッ」と歩きはじめました。
冬枯れの森はしだいに冬景色に変わってきました。
それでも、この森に棲む生き物たちの痕跡が・・・ テンかな?
足跡はここで止っており、手前の大きな足跡が右後ろ足で、この足を軸に反転したのでは?という仮説がのべられました。
この作品はベースが何なのでしょう? 足元のいろいろは、結構楽しめます。
焼山が近くなると視界が開けますが、風も結構あります。
名残峠はガスで見えませんが、振り返ると遠くの山に日が射していました。
ササに雪がついて垂れ、急坂のヤブ漕ぎになりました。
これでもスタッフが先行して露払いならぬ、「雪払い」をしてくれています。
焼山山頂分岐付近は強い風です。
足元はガンコウランとイソツツジの群落ですが、強い吹きさらしの中で耐えています。
風が強いのでこの場所は早く通りぬけたいところです。
あっ、赤いザックカバーが飛びました!
「名残峠」もガスの中、「湯沼」も「空沼」も見えません。カメラを向けると、皆さんの表情にはこの条件を楽しんでいる余裕が感じられます。
足もとに気をつけながら焼山避難小屋に向かってます。「鬼ヶ城」も見えません。
イソツツジは葉をすぼめ、冬越しの準備を終えています。改めて、大きくなった冬芽を付けていることに気がつきます。
イオウゴケの赤い胞子がきれいですけど、やっぱり寒そう。
「鬼ヶ情」付近はガスが薄く、気が付くとこのあたりは風も弱くて暖かく感じます。
ついつい赤いナナカマドの実に目が行きますが、バックは岩についた地衣類の鮮やかな緑です。
この実は情け容赦のない、苦くて渋い味と表現しましたが、下見の時にいたカワラヒワの姿は見えません。
焼山避難小屋前で昼食をとり、午後の部出発です。外気温-2~3度ぐらい+風です。
「国見台」の霧氷姿。あちこちから「おー」とか「キレイ」との声がかかります。
私たちの足元の沢が台風の時に風の通り道になって、木たちをなぎ倒し、幹から折れた朽木はその時のものかもしれません。
「国見台」からは「見返り峠」のレストハウスが見えます。雪で通行止めのため、本日は無人のはずです。
「後生掛温泉・焼山中間点」の道標を通過。すでに寒くはありません。
吹きさらしの中、後生掛の湯につかることだけを考えていましたが、とうとう到着です。
全員到着して、後生掛温泉湯治部前で本日の振り返りが始まりました。
さすがに、どの顔にも安堵の表情が浮かんでいます。
風はきびしかったのですが、歩いている時ははそうでもなかったし、テーマの初冬の景色を見ることができて良かったと思います。
皆さんからは「寒くて・・・」という声が聞かれず、慣れている方達だなと思いました。
何よりも雨に当たらなかったのが有難いと思ました。
ゆっくり温泉に浸かって頑張ってくれた身体のケアをしていただいたと思います。
ありがとうございました。
あべ
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