おどるなつこ 「あしおとがきこえる?」

タップダンサー・振付家おどるなつこの日常から浮かびあがることばを束縛せず書きとめています。2005年開設。

ベースとぺいす

2018-10-15 | あしもとからの思索
私の友人で、といっても、まだ4回ぐらいしか会っていない、るんちゃんという人がいる。シリアの写真展&報告会の帰り道に、海辺でなんとなく子育ての話などしたのかな、鎌倉大町でぺいすという食堂をしている、ときいて、いつか行くねといったまま、るんちゃんの出産などもあり1年ぐらいが過ぎた。そしたら、今年1月の栄区パラフェスタさかえでの私のワークショップに、ふとるんちゃんが寄ってくれた。デフォルト笑顔の人は哀しみを沈めてしまうのだろうか。
その冬、私は娘と念願叶って食堂ぺいすに赴き、ゆっくり今後について相談した。寒い日だったが、とっても居心地の良い食堂なのだ。そして昨日のかぐや祭りに偶然にもぺいすが出店していて、4度目の邂逅。食堂ぺいすは鎌倉大町四つ角付近にあり、予約制です。

ぺいすの看板には、たしか「こどものぺいすで、地球のぺいすで」と書いてある。
私はこの言葉にハッとなった。
私はずっと私のぺいすで、娘をひきずってきたのかもな。

この日は娘とゆっくり相談する日だったので、それぞれのぺいすが違うということを、前提にすることができた。そして、今後に備えてベースをどこに置くべきなのかを話し合ったのだ。

似ているけれど、ベースとぺいすは実は違うもの。
個々のぺいすをベースにできたらよいけれど、ベースのぺいすに合わせることを強いられたら、そこにはいられない。子どもが不登校を選ぶのも、そんな時かな。
親子と言えどもぺいすが違うから、それぞれのぺいすを尊重できなければ、そこはベースにはならないのだろう。


イマジネーションに強く支配されてしまう私は、長らく人を引きずりまわしてしまったのだろう。
私のイマジネーションは私のぺいす。

様々なぺいすの人がひとつの輪になるためには、まるごとの空間をひとりひとりに明け渡す勇気が要る。ぺいすのるんちゃんに会えたことで、私にとってのかぐや祭りの意味がわかった。




自分のぺいすを守りたい人々が不利益をこうむらないといいな、と切に思う。たいてい、みんな優しいのだ!




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