マヨナカの喫茶店。

ヤプログから引越ししました(*´∀`*)

【冬の伽藍に ふと】

2003-08-22 13:16:55 | インポート

一章
大学時代からの付き合いで結婚した悠子の幸せは30代で
ある日突然、夫の交通事故の死により砕け散る。
癒えない痛みを抱えて生き続けなければいけない悠子に
友人の摂子は軽井沢の診療所の薬剤師として
自分の後釜で働かないかと持ちかける。
新しい世界での出発をと悠子は軽井沢行きを決断する。

そこの医院長義彦は、東京、
兵藤クリニックの大先生の義理の息子。
義彦もまた数年前に妻を自殺で失っている。

互いに興味を示さない二人。
示してはいけないと鎖をかけた二人がもどかしくも接近して行く。
たどたどしく、人を愛することを忘れた二人が
今一度独りになった時の孤独を想定しながらも落ちて行く。

しかし、悠子は義彦の義理の父からの誘いを断れず
むしろ彼女の父の面影と重ねて心待ちにする自分を恥じる。
そうして義彦の妻、美冬の辿った悲しい運命を自分も辿るのだと。

冬の軽井沢で殺人事件が起きてしまう。
義彦はベットの上で抵抗する悠子を美冬と重ねてしまい
義理の父を殺害してしまう。

義彦は刑務所へ。再び自分の殻に閉じこもる。
また、悠子も廃人と化し実家に戻り月日は流れる。

二章は獄中の義彦と悠子の手紙のやり取りとなる。
「あなたをずっとお待ちしています」の言葉に
義彦は悲劇のヒロインは辞めろと笑う。
六年の刑期を終え出所とともに行方をくらます。

月日はいたずらに流れ十年・・・
義彦を探しつづける反面、母親を安心させたいと願う悠子。
自分の心持を知っても尚、
悠子に求婚する男性と遅い結婚をする。

そして病気の発覚。
悠子の身体は白血病で余命半年と宣告され本人告知を受ける。
死を待つだけの毎日、
もう、心残りは無いという悠子に摂子が声無き声を悟る。

三章は視点が摂子に移る。
奇跡的に義彦と連絡が取れ、彼もまたドイツで再婚し
過去を封印していた。
悠子の前に現れてしまったら自分の過去に押しつぶされる。
見知らぬ土地での生活に「これでいいのだ」と。

悠子の余命を聞き心が動く。
ドイツより帰国。
冬の軽井沢、あの事件以来立ち寄らなかった軽井沢。
悠子と義彦の再開。月日は15年余り流れている。

ホームで義彦に抱きしめられた悠子。
変わらぬ浅間山、自然の流れの中での人の移り行く様は
とてもちっぽけで、それでいて魂の執着は自然をも圧倒する。

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小池真理子の作品を全て制覇したわけではないけれど
彼女は巧みに視点を移り替え 読み手を引きこむ。
そして、多分女でしか解らないであろう「強さと弱さ」、
「けなげさとずるさ」を心と身体の葛藤を交えて書き混ぜる。

悠子は義彦の他にいい男性に巡り会えなかったと言ったら
それまでになるけれど。
事故で突然無くした前夫よりも強烈に義彦に執着し
執着しながらも一方では優しい現夫に包まれている。
執着心を貫いて一人で寂しく生きていかないところに
悠子の人間らしさが伝わってくる。人は独りでは生きていけない。

数々の可能性と選択肢に囲まれた人間は
魂の赴く場所が見出せないが
死へと真っ直ぐに滑る悠子にはその場所が見えたのだろうと思う。

だたしかし、視点を変えれば映画タイタニックのように
また、マディソン郡の橋のように戸籍上の夫を無視する形になる。

でも、人はそれくらいの執着心を持っていたいものだと
思うのはやはり私だけだろうか?
もともと、人は独りで生まれて独りで死んで行くのだから。
映画や小説のように公にさえしなければ罪にはならないだろう。







【お墓で ふと】

2003-08-10 10:15:46 | インポート


日曜というのに相変わらず出勤です。
寝坊大好きのアタシが少しだけ早起きしてお墓掃除に。

今は便利ですねぇ。
コンビニにお花まで売ってるから。

お墓まで車で5分。
お盆が近いので朝早くても掃除してる人結構居ます。
「おはようございます・・・」
うつむいて挨拶するアタシがいます。

お水を汲んでお花を生けてほうきで掃いて。
お線香に火をつけ、お墓でふと・・・。

ここは他人の眠るお墓なんです。
悲しくも他人になってしまった人のお墓。
毎月通ってる、他人のお墓。
それでもアタシのお父さんと思ってる人のお墓。

昨晩夢を見ました。
元主人は再婚してて アタシはお線香をあげに行ってる。
アタシ達の・・・だった家には 知らない女の人が居て
台所の後姿が妙に違和感に感じる。

アタシの居場所だった場所が埋まって行く・・・。
確実に時と共に埋まって行く・・・。


・・・おかしな夢だった。(笑)

お通夜、お葬式、お盆・・・。
子供達の居場所はあってもアタシの居場所は無い。

「お父さん・・・」
「お父さんと話せるアタシの居場所は ここだけだね」



・・・さて。
・・・・・今日も暑い、仕事に行かなきゃ。








【自分の性格】 

2003-08-07 16:45:34 | インポート



「自分の性格は?」って聞かれてどう答えるのだろうか?
自分の性格って一体誰が一番知ってるんだろう?
口で言える性格って結構短所でも 自分で気に入っているところだったりするかも。
本当に自分の嫌なところって気がつかないふりをしてることが多い。

子供の前ではいい親を演じてなきゃという感覚・・・あるでしょ?
アタシは仕事柄か偽善者ぶるところが有るんじゃないかって思う。
嫌なのに嫌と言えないところがある。
意見があるのに言えなかったりする。
だから一定区間よりも立ち入らないし
相手に立ち入ることも許さないような気がする。
いつも「いい人」で済まそうとしてしまう。

ただ、人の世話、面倒見はいい方だと思うんだけど。
友達によく「お助けマンだね」なんて言われるけど
いい方を悪くすれば単なる「使いっ走り」かもしれない。
誰かのために役に立って 誰かが喜んでくれることは嬉しい。
保険という職業に燃えてしまうのもこの性格からかもしれない。(苦笑)

それでいて案外プライドが高いらしい。
お馬鹿を装って相手の出方を見てしまったりするらしい。
「他に好きな人が出来たら仕方ないね」とか言うくせに
ずっと好きで居るよという返事を期待する。
「ずっと好きで居るって言って欲しいんでしょ?」
そう言われてそうなんだなぁ多分・・・と気づく。

自分でも気がつかなかったけれど性格って
人に言われて気づくところもあるんだなぁって思う。
なんか自分がいつも計算して話してるみたいでちょっとショックだったけど
意識して計算しているわけじゃないから仕方ないか・・・。(苦笑)

性格とトシは関係あるか?
トシのせいにする訳じゃないけれど
トシを重ねると感情をストレートに出しにくくなるのかなぁと思った。
「もう少し若かったら・・・駆け落ちでもなんでもするんだけどなぁ」
・・・なんて言葉、耳にするしね。

「アタシ以外の女の子と話しちゃ駄目」とか
「何で連絡くれないのよぉ。そんな人嫌い」とか
「今すぐ会いたいから迎えに来て」とか

・・・・・言ってみたい。言えるものなら。(笑)
多分、学生の頃は毎日言ってたはずなのに。
どうしてだろう?今は言えない。
「あなたを尊重してますわ」
・・・そう振舞いたいのか?<謎

永遠は存在するか?
どこかで「永遠」を否定してる自分が居て
今を共にしている人でさえ「永遠」ではないんだと言い聞かせてしまったり。
それは、多分 その人を失うことが怖いから。
その人との時間の流れが止まってしまうのが恐ろしいから。
その人に寄りかかってしまった心が立ち直れないと知っているから。

今という時間を誰かと共に積み重ねたいという気持ち
積み重ねた果てには「永遠」を夢見ているのかな?
多分アタシは その人を繋ぎとめる最終手段として
「結婚」という二文字を夢見ているんだとも思う。

自分にもっと自信を持てたら この性格も変わるかな?
ムズカシイな。

でも、人と関わって人に指摘されたりすることは
新たな発見を生むからいい事だなぁって思う。
自分のいいところも悪いところも付き合っていかなければならない。

どんなに完璧な性格の人でも
人(他人)が居なきゃ心がある意味が無いからね。

心のフットワークを軽く
人はみんな違ってみんないいって言うしね。


【夏の日に思うこと】

2003-08-05 16:42:09 | インポート


夏休みは果てしなく長く続く・・・。 子供の頃はそう思ってたっけ。
実際アタシの頃は週休二日じゃなかったし余計にそう感じたのかな?
学校から離れる時間が40日余り・・・。

今は見うけられないけど あの頃定番だったのがラジオ体操。
うちは子供会主催で近所の広場に集まった。
毛糸の紐でカードをくくって首から下げて出かけた。
「あーたーらしーぃ あさがーきたぁ、きーぼーぉのあーさーだ・・・」
今ではきっと流行らない文句の歌と共に体操が始まる。

「休みなのになんで早起きしなきゃいけないのよぉ」と
小学生のアタシはかなりご立腹だった。(苦笑)
それでも今、親になるとあれは結構重要だったんだなぁって思う。
不規則になりがちな休みに定期的に目覚めて身体を規則正しく保つために。
しかし、あの頃の母親に寝ぼすけはいなかったのだろうか?
もっとも、子供が夏休みでもお父さんは出勤ですよね。
パパの居ない我が家はそんなときチョット感覚がずれちゃいます。(苦笑)

どんなに暑くてもお母さんは朝食の支度をしてたし
勿論、コンビニなんて無かったし
ラジオ体操から帰るとお父さんの出勤の支度で
ネクタイを選ぶお父さんの脇でYシャツにアイロンをかけて
ズボンプレッサーでズボンに折り目をかけてたお母さん。
定番はNHKで「休みくらいマンガを見させてくれーーー」と心で叫んでた。

「涼しいうちに勉強をしちゃいなさいよ」と
決まって午前9時から勉強タイム。
昔は親に何処かに連れていってもらおうなんて思わなかったから
まごまごしてると友達が迎えに来ちゃう。

昼は扇風機の中で冷麦。
明けても暮れても「冷麦」
うちのお母さんはめんつゆが濃かったから私はあまり好きじゃなかった。
自分で作るようになって薄くしたら「結構美味しいじゃん」と思ったし。

学年プールに出かけて暇を持て余すことなく一日が終わった。
プールが無いときは「昼寝しなさい」とお母さんの言うとおり
家の一番涼しいところに陣取ってタオルケットでお昼ね。
クーラ?・・・無かったしね。(苦笑)

おやつはとうもろこし。
「またとうもろこし?」と言うほど、「とうもろこし」
でも、結構ゆでたての香りとか夏の思い出になってる。

お母さんは専業主婦だった。
あの頃は珍しくなかった専業主婦。
微妙に一杯愛情を注がれていたんだなぁって今思う。

夜は夜で網戸越しに隣の家のテレビの野球実況が聞こえる。
うちも同じのを見てるから チョットした音声多重。
近所の友達から花火の誘いが来る。
花火が終わったら がちゃがちゃ(くつわむし)を採りに行った。
くわがたとカブトムシにスイカのえさをやって
蚊取り線香の香りと共に眠りに落ちる。

・・・そんな40日間

ふふ。変だ。
急にあの頃を思い出した。

あの頃は幸せだった。
30年近くたってそう思った。

こんな事を思い出すのは今がきっと幸せだからだろう。

・・・外の夕立を眺めながら職場より