広重のシリーズ絵画をビデオ編集しながら楽しんでいます。木曽海道六拾九次も今回で2度目の取り組みですが、一度目では気づかなかったことがいくつかでてきました。広重は一貫して木曽海道という表現を使い続けています。しかし、同時代の他の書物では、その表現は使われていないということです。中山道を示す表現は多様ですが、中山道という表現もあまりないようです。その点は東海道と異なりローカル色が強いということでしょうか。さて、贄川ですが、専門家の情報では、これから狭い意味での木曽路といえる11宿(贄川、奈良井、藪原、宮ノ腰、福島、上松、須原、野尻、三留野、妻籠、馬籠)になるようです。そのため、広重の絵も、ここで一区切りという印象があるようです。そのことを示すとされるのが、画中に組み込まれた看板と講札の情報です。「板元いせ利」、「大吉利市」、「仙女香 京ばし坂本氏」、「松島房二郎刀」、「摺工松邑安五郎」、「仝亀多市太郎」と書かれています。これは、版元、スポンサー、彫師、摺師などの名前です。広重個人の絵というより、多くの業種の担当者が関わる出版事業であることが解ります。このシリーズ作品では、絵師も、渓斎英泉と分担しています。また、版元も途中で変わるようです。出版事業は、経営が関わった共同作業であることを再認識する贄川の絵です。
30秒の心象風景28694・贄川~広重の木曽海道六拾九次~
https://youtu.be/PtSFDfWfAvQ