goo blog サービス終了のお知らせ 

自分を生きるたくさんのヒント

親ガチャハズレでも関係ない!一つ一つ丁寧に手放して、誰かが少しでもハッピーに生きるヒントになったらうれしいです^_^

離婚したくてもできなかった

2021-12-03 14:21:00 | 父親
幼馴染のお母さんのところに行くと、小さい頃と同じようにご飯をつくってくれて、

すこしでもいいから食べなさい。と。

大丈夫よ。きっとよくなるわ。と。

そして、
「こんな時にお父さんどうしたの?」

わたしは涙が止まりません。

そうだよ、、、、
普通、お父さんつきそうでしょうよ、、、、

母が、単身赴任の父が上京するとき、いつも憂鬱だったこと
小さい頃から警察沙汰になったり学校によびだされてばかりで弟にふりまわされてうんざりしてたこと

結婚してからも弟夫婦がもめると夜中にすっ飛んで行かざるを得なかったこと、お父さんと離婚したいのに経済的な理由で離婚できなかったことなどを教えてくれました。

ああ、そうだったのか、、、、、
弟夫婦のいざこざに関しては父にも内緒
わたしにもばれないようにふるまっていたから、わたしに

「弟ばっかり優遇されてる」と言われても何も言えなかったのか。

もっとうまいやり方あっただろうよ、、、

でも、、ひとりでかぶってストレス抱えて、、、、

それなのに、、、それなのにわたしは
父が上京するのはたまになんだからその時くらいきぶんよくさせてあげればあとは自由にしてられるのにと母に怒ってました。

母からしたら、わたしは何もわかってくれない娘。憎しみの対象であたりまえじゃないか。

わたしは、父と弟と共謀してわたしを蔑んで笑ってる毒母だと思っていました。

毒母だったことに変わりはないのですが、、、、


話してくれればよかったのに。
人生は一回きりなのに。

父は手をあげることはなかったけど、物を投げたり大声をあげたり、家庭内暴力に準ずることをお酒を飲むと繰り返しやるようになりました。

そのとき、とっさにわたしに罪をなすりつけて逃げる狡い母でしたが、わたしは何度か母に言ったことがありました。

引退してずっと家にいるようになったら、かならず暴力をふるわれる。
離婚しても十分やっていけるだけのお金はもらえるから、離婚したほうがいい。

と。

でも、孫かわいさ、息子かわいさに決断できなかった母。

相談してくれたら、いくらでも知恵を貸してあげたのに。

相談してくれたら、一緒に問題に立ち向かってあげたかった。

ま、死後、その時のわたしの気持ちは全く無駄だった、母は心からわたしを憎んでいたことを気付かされるのですが。苦笑



母にもしものことがあった場合の意思決定

2021-12-01 18:31:00 | 母親
病院側から、延命措置などについての意思決定を迫られました。

血液内科の病気なので、延命措置をして血が止まらなくなってしまったりする可能性があることなどから、何かあっても何もしないでという父の命令通りとなりました。

母は、目を覚ましません。

でも、この時間がわたしにはよかったです。きっと母にも全部聞こえていたと思います。
たくさん今までのこと、辛かったことも楽しかったことも感謝も全部全部きちんと母に聞いてもらえました。

返事はなかったけど、きっと伝わったと思っています。

病室で母と話していたら、母のスマホに入電が。
幼馴染のお母さんでした。
わたしはすがる思いでその電話に出て、状況を説明すると、たまたまおうちが病院から歩いてすぐのところだったので、ちょっとうちにおいでとわたしを呼んでくれました。

母は、たくさん友人がいましたが、おそらく、本当に心を開いていたのはごくわずかな人だけで、特に、このときわたしを呼んでくれたおばさまは、母から何もかも聞いていた人でした。

ブログの最初の方で書いた、母の家出事件の時、母はこのおばさまのところに身を寄せていたようでした。

そこでわたしは、父に病室でされたこと、いわれたことをぶちまけさせてもらうと、おばさまから、母に関してさまざまな知らなかった事実を知ることになるのです。

母、意識不明に

2021-12-01 18:13:00 | 父親
母が一時意識を取り戻した夜、病院から連絡がきて、母がまた昏睡状態になってしまったと言われました。

病院側からは、いつ何が起きてもおかしくないから家族が誰か付き添うように言われました。

わたしは、薬のショック状態か何かであって、きっとまた目覚めると思っていました。

父は地方に単身赴任中
私も弟も仕事がある

わたしは、父が休みをとって付き添うのかなと思っていました。

が、モラハラ父はわたしにこう命じました

「お前の仕事なんか大した仕事じゃないんだ。お前がつきそえ。俺は社長だ!ポチ(弟)は責任のある仕事を任されている(そんなことはない)」

いやいやいやいや、、、、
わたしは別に構わないけど、あなたたち、それでいいの???
妻が、母親が必死で生きようとしている時に何を言っているの?

実際、、、平日は私がお休みをとって病室に付き添いました。

そして、その週の金曜日の夕方、土曜日に上京するかと思いきや、病室にひょっこり父がやってきました。

個室とは言え、ナースセンターの真横の部屋に移動させられ(本当に危なかったんだと思う)ていたので、病室はせまく、椅子はひとつしかありません。

やってきた父は
「椅子ないの?」と言ってきました。

「ナースセンターで聞けば?」と答えると

「うるせー、ブス。デブ。すごいブスだね」としつこく暴言を吐き

「帰れ」と命じました。


流石に悲しくなり、「病室で何言ってるの?椅子くらいで暴言吐いてあばれるな!」と大声を出すと

「頭がおかしいんじゃないの?大丈夫?ブス」と罵ります。

もう、何を言っても無駄だから無言で病室を出ると、扉が閉まる瞬間まで

「ブス、デブ」を繰り返しました。

それを、看護師さんが聞いていて、エレベーターの前で一緒に泣いてくれたのはせめてもの救いでしたが、そんなわけで、わたしは土日は母を見舞うことができませんでした。


わたしがあわてて連絡をしたごくごく少数の大切な母の知人たちは、土日に母を見舞ってくれました。

その時にわたしがいないことを父に聞くと(もちろん、ポチ(弟)は参上)

父は

「男とほっつき歩いてる。最低の娘ですよ。仲が悪かったですからね」と吹聴したらしく

後々、「後悔するわよ」となんども言われました。

何言ってるのか当時はわからなかったけど、そういうことだったんですね。

すごい。ほんとすごい。
モラハラの、最上級みたいな人だと思う。



病院からの呼び出し

2021-12-01 15:29:00 | 母親
母が入院して1週間

どんなに仲が悪くとも、世界に一人の母親だ。
さすがの私も食欲は落ちてしまうし、あまり眠れなくなった。

しかしモラハラ父はすごかった。

5キロも痩せちゃったよ、、、、
飯が食えない

と、こちらの都合は無視で、たびたび電話をかけてきた。

自分だけがつらいと思うなよ!!何度叫びたかったか。
一家の主人なのに、家族をまとめるでもなく、大丈夫だよと安心させるでもなく、一人テンパり、わめき、騒いでいた。

なんて知性のない人なんだろう。
そして、なんて勝手な人なんだろう。

入院して1週間。
検査結果も出て、いよいよ治療に入ったその日、病院から電話がかかってきた。

一番病院に近いところに住んでいるとは言え、私の電話を着信拒否し、LINEを、ブロックしていたくせに、母は連絡先のトップにわたしの番号を書いていたのだ。

弟だって車で10分のところに住んでいたのに。わたし、車ないから下手したら弟の方が早いかもわからないのに。

『意識不明になったから大至急来てください』

と。

はい???

医療ミスとしか思えない電話に呆然としながら父と弟に連絡を入れて病院へ急ぐ。

母は脳の検査に行っているということだったが、私が到着するとちょうど病室に戻ってきて、幸い意識が戻った。

母はわたしに手を伸ばし、その手を握らながら

「どうした?大丈夫?わかる?」と聞くと強く頷いた。

看護師さんの「どなたかわかりますか?」

の問いにも「娘です」

と、答えたのでほっと一安心。

これをまた、家族に報告して、わたしはお医者さんに話を聞きに行った。

この医者が本当にひどい医者で、終始へらへらうすら笑いをうかべながら、

画像では何もわからないけど、脳に転移したかもしれないんですよねぇ。という。
わたしたちも、こんなの初めてでよくわからないんだけど、また明日詳しくしらべますけど、、、、、と。


そんなことあるの???
まあ、医者が言うのだからそうなのだろう。でもあきらめきれない。

わたしはここでセカンドオピニオンの先生を探し始める。

いがみあっていたこととか、憎しみとか、その時はそんなこと考えもしなかった。

幸い、病院関係の友人がたくさんいたので、方々に連絡して、お医者様を探してもらった。
感謝してもしきれない。


が!

その夜、父にセカンドオピニオンを検討しようと電話をして伝えると

「やめてください」

パードン?

「そんな、みっともないからやめて」

母の命を繋ごうと必死になることのなにがみっともないのか?

父からのLINE
「わたしとポチ(弟)は、最悪の事態を想定して覚悟して見舞っています。立派なことです。お願いです。みっともないことはやめてください」

このひと、頭おかしい。完全におかしい。

病院側も、ひどくて
「セカンドオピニオンを、検討したい」というと

「はぁ、、、、まあ、、、セカンドオピニオンに間に合うとよいのですが、、、、」

みたいな感じ。

まだ生きてるんだから、早く資料ちょうだいよ!!怒

奇跡的に2週間後に血液内科の権威の先生のセカンドオピニオン予約がとれた。
最悪の場合民間の救急車を使うことや、その場合の費用、予約先なども友人たちがみんな調べてくれた。






育てていただいた恩

2021-12-01 13:10:00 | 父親
今でも

都心部に出向いた際、満員電車に乗り合わせた時、、、、

雨の日も暑い日も寒い日も、毎日毎日働いて養ってくれたのだなと思い、泣きそうになる。

母が亡き今、あたたかいご飯を食べる機会もほとんどなく、レトルトをたべているのだろう。

せつないなと、、、、、

でも、だからといって私の人生を搾取し、モラハラによってストレスを発散して良いということにはならないので、わたしはもう彼にしてあげられることはない。

あんなに守ってもらったのに、お礼も返さずに彼からにげることしかできない。

父もまた、まともな部分があって、わたしのことを心配したりもするのかな?

と、考えたりもする。

が!
モラハラはそんな甘いこと考えてるからターゲットにされ、モラハラをされるのだ。

父の人生は、彼なりに楽しいなら良いが、改めて悲しい人生だなと思う。