自分を生きるたくさんのヒント

親ガチャハズレでも関係ない!一つ一つ丁寧に手放して、誰かが少しでもハッピーに生きるヒントになったらうれしいです^_^

私もきっと、アンバランス

2021-10-29 14:04:00 | 日記
話の途中になってしまうけど、、、

小さな頃から、ヒステリックな母の激昂を目の当たりにして生きてきた。

もう、忘れてしまったことの方が多いけど、例えば、小学校から帰ってきてランドセルを指定の位置に置かずに放置して遊んでいた時のこと。

もちろん、言われた通りにしなかった私が悪いが、それでもわたしは自分の部屋に置いて遊びに出かけた。
帰宅すると母は怒り狂い、わたしの髪の毛を掴んで家中引き摺り回し、最終的に

「ランドセルいらないのでしょう」
と言って、マンションのベランダから下に投げた。
家は高層階である。下に誰かいたらどうするんだ?

これって、絶対におかしい。

泣きながらわたしはランドセルを取りに行った。

結構高級なランドセルだったけど、サイドの金具がぐにゃりと曲がってしまい、私は卒業するまでランドセルを見るたびにその日の恐怖を思い出しながら小学校に通った。

それでも、わたしは

いつでも母に好かれたかった。

いろいろな葛藤は自分でたたかい、乗り越えてきたけど、とうとうそのシンプルな想いだけは母が亡くなるまで、叶うことなく続いた。

思えば、軽い言葉で
「すごいねーー」「いいわね」と言った言葉をかけてもらうことはあったけど、一度も母に褒められたことはなかった。

褒めて欲しかった。
がんばったね。偉かったね。上手にできたわね。美味しいね。

母に認めて欲しくて、母の望むことは何でもその通りにする努力をした。

科学クラブに入りなさい。(興味ゼロ)
将来の夢はアナウンサーと言いなさい。(わたしはケーキ屋さんになりたかった)
放送部に入りなさい。
目立たないようにしなさい。


母が嫌いというタイプの子とは遊ばないように気をつけていたし、母が好きという曲を好きになり、母が好きな食べ物をさも好きな食べ物であるかのように振る舞っていた。

自分が全くなかったと思う。自分が何者なのかわかってなかったなと気付いたのはだいぶ大人になってからである。

友達と遊んでいても、母が怒るようなことで怒り、母の価値観が全てと思って生きていた。
と言っても塾通いが忙しく、滅多に友達と遊ぶことはなかったのだけど。

それでもわたしは母にほめられることはなく、ことあるごとにあげあしをとられて、批判される日々だった。

テストは100点が当たり前。高学年になる頃には86点なんて取った日には友達の家でテストを切り刻んで捨てていた。

班長になり、学級委員になり、児童会長を務め、リレーの選手になり、アンカーでゴールテープを切ってもまだわたしは褒めてもらえなかった。

わたしは自己肯定感が低く、よって、今思えばものすごく嫌な小学生だったと思う。

小学生なんて単純で、勉強もスポーツも誰よりもできたから、いじめにこそ合わなかったけど、班で活動することが多かったから友達もたくさんいたけど、私のことを好きな子っていなかったと思う。

わたしは、どこか歪んでいるのだと小学生のときに悩みすぎて人間不信になってしまった。

親がこれだけ否定するのだから、悪いのは私なのだろうと。

小学生の頭では、到底その性格をを、矯正する術もわからず、、、、、

この話は、またいずれ。





スケープゴート 〜2〜

2021-10-29 13:16:00 | 家族



からの続きです

弟の話はこうでした。

ある時、弟が、帰ると自宅の鍵が締まっていた。
チャイムを鳴らしても自宅からは応答がない
(うちは、だいたい母が在宅していたので、鍵を持ち歩く習慣がありませんでした)

普通なら、もう大人なのだから、いないのかな?と思ってまた出かければ良いだけの話だと思うのだが、弟は自宅に電話をかけた。

すると、母が出て
「今、来客中だからちょっと外で過ごしてきて。すぐ帰ると思うから」

と。これも、どうなの?って感じなんだけど
同じく、何かを怪しんだ弟は、家のそばで隠れて母の動向を観察していたらしい。

すると、家から男の人が出てきて、その後母から電話があり、もう帰ってきて良いよと。

あろうことか、弟は、このネタを元に
母をゆすり続けていたらしい。

あり得ない、、、、

そして、あの日、些細なことで母と衝突した弟は、父の前で全てをぶちまけ、母を窮地に追い込んだと、、、、、

その日も母は帰ってこなかった。

まだ少し続きます

スケープゴート

2021-10-29 11:14:00 | 家族
どういう訳か、家庭内で揉め事がおきると、いつの間にか矛先が私に向いて、私に関係のないいざこざでも、いつの間にか

【悪いのはわたし】

ということにされる構図がとても多かった。

例えば、今から20年近く前の話

ある時、家に帰ると母がいなかった。
父と弟に尋ねても「知らない」と。

別に出掛けてるだけかなと思い、さして気にしなかったけど、その時父が珍しく洗濯物を畳んでいたのが印象的だった。(後にも先にもこの時しか洗濯物を畳む父は見たことがない)

遅くまで出歩くことなんてない母だったので、珍しいなと思いながら就寝。

翌朝も母はいなかった。

さすがに、何かあったなとは思ったけど、当時母は携帯を持っていなかったので、どうすることもできずそのまま出勤し、
夜、弟に
「お母さん帰ってきた?」とメールすると

「ほんとに何も知らないの?」
と返事が。

は?何?何があった?

、、、、、、長くなったので続く

日帰り温泉施設に行くと思い出す

2021-10-28 16:36:00 | 家族
思春期の頃、ご近所さんで集まって近くの日帰り温泉施設に誘われることがよくあった。

我が家は、私の塾通いを口実に毎回お断り。

実際は塾がない日も、健康ランドに行くことはなかった。

何のことはない。母が皆とお風呂に入るのが嫌なのだ。

生まれ育った環境や、これまでにしてきた経験によってそういうものって生まれるから仕方ないとは思うけど、
うちの母のそれはまたちょっと違うもののように感じられた。

なぜなら、大人になってから、法事などで田舎に行った際、温泉に泊まってもわたしとお風呂に入ることが断固拒否だったから。
わたしと一緒になりたくないから、部屋のユニットバスでシャワーを浴びて済ませていた。

思えば、小学校の頃運動会などで成長の早い私の、同級生をみては、「あの子は胸がゆっさゆっさしていてみっともない」
「あの子はもう生理が始まったんだって。、はやすぎる」などと同級生の悪口を言った。

そんなな、個人差あるだろうよ、、、と子供の私はその悪口の理不尽さに震えた。

初潮がきたら、わたしもみっともないと思われる。身体が女に近づいたら、みっともないと言われる、、、
本当に恐怖だった。

その恐怖はやがて高校生になり、友達と友達のママと健康ランドに行った日まで続いた。
なんだ、普通の親子ってこうで良いんじゃん。女同士だもの。
友達と友達のママのおかげで、わたしは温泉に入れる子になった。

いまでも温泉に行って、思春期の女の子が普通にお母さんとお風呂に入っているのをみると、なーんだ!これが普通じゃん!と、安心するとともに、思春期のわたしが顔を出して心のうんと奥の方がズキンとする。


子供が本当に小さなこどもであることにこだわったのか知らないが、わたしは今でも性的虐待であったとおもっているのだが

とにかく、ことあるごとに父とお風呂にいれられた。家族旅行に行った時など、家族風呂に父と入れと命じる。
嫌がると「家族じゃないの!」と、、、

彼女はまだ、幼児だった弟と二人で。

余談だがちなみに、わたしは弟がずいぶん大きくなってから
母が脱衣所で「まだ出るかしら?」といいながら、嬉しそうに授乳するように乳首を咥えさせていたのみてしまったことを覚えている。弟はすでに幼稚園に通っていたと思う。

気持ち悪い、、、、本当に嫌だった。

母はわたしとお風呂に入ることを拒否するのに、なぜ、父とお風呂に入るように強要したんだろう?
いつも泣いていた。父が帰ってこないように願った。いたずらこそされなかったけど、胸が膨らんできたねなどといわれたときは力があればこの風呂に沈めてやるのにと本気で思った。
嫌だった。本当に嫌だった。あの頃、わたしは写真の中で一枚も笑っていない。
本当に嫌だった。

海外だったら逮捕されるような出来事なんだと知ったとき、わたしは我慢ができず、この時のことを母に訴えた。

「あれは性的虐待だった。わたしは、あんなに嫌がってたのに。何のためにあんなことを強要したのか?せめて、今、心から謝ってくれと。」

母はあざわらうかのように鼻を鳴らして

「嫌って言えばよかったじゃないな。良かれと思っていたのに」

とのたまった。

この家は狂ってる。

家族構成のご紹介

2021-10-28 15:29:00 | 家族
私が、長年関係修復というか、改善?に努め、相互理解を願ったけど結局は無理だった

家族についてご紹介させてください

我が家は4人家族でした
です。

両親共に地方出身
父はサラリーマン、母は専業主婦でした。

我が家で1番問題があるかもしれない弟(いずれくわしく、、、、)は、
子供を授かり結婚。
両親から聞く話では、立派にやっているとのことでしたが(嘘に決まってる)
案の定、その家庭内でモラハラ父と同じモラハラ、家庭内暴力を、繰り返しているようです。

このあたりのことは、また今度、改めて、、、

わたしは、子なし既婚の40代です。
40を、超えてやっと自分の人生を取り戻しました。
もしかしたら、心の傷はあまりに深く、本当はちっとも取り戻せていないのかもしれない。
でも、少なくとも、わたしは毎日びくびく生活する必要がなくなり、これまでの支配からは解放され、とても穏やかに暮らせています。

ここまで、すごく長かったけど、結果としてわたしにはこれだけの時間が必要だったわけで、決して無駄な時間だったとは思いません。